西本 昌平

建築のこと、都市のこと、人のこと。観察したこと、感じたこと、考えたこと。多様性ってなん…

西本 昌平

建築のこと、都市のこと、人のこと。観察したこと、感じたこと、考えたこと。多様性ってなんだろう。

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  • 街からの学び

    街をふらふらしていて、ぼーっと眺めていて、たまたま目に入ったりして、感じたことや考えたことを纏めたくくりです。

  • 多様性について

    〔多様性〕について、考えたことが多くなったので、くくりをつくりました。

  • 地方都市について

    〔地方都市の住宅街〕を中心に、〔地方都市〕について考えたことが多くなったので、くくりをつくりました。

  • 本からの学び

    本から学んだことを纏めたくくりです。

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最近の記事

~2019

0. 恐らく節目でした。2019年が先日終わり、2020年になりました。 2019年は僕にとっては大きな節目のような年でした。 なので、出来事・感情・学びを忘れないうちにここに記しておきます。 公開するのはもっとずっと後になりそうですが、まあ10年後とかに整っていればいいかなと思います。 1. 学部卒業設計遥か昔のように感じますが、2019年初頭は卒業設計に取り組んでいました。 この卒業設計の主題は、[人間関係の範囲] [地方都市の更新] [非敷地主義] の三つほ

    • コミュニティって2種類ある

      今回は大学4年時、研究室の活動で関わった福井県高浜町で発見した、地域コミュニティについて考えたことをご紹介します。  福井県高浜町のコミュニティは、血縁関係の積み重ねで出来たもので、僕はそれまでそんな町の構成に気づいたことがなかったので、大きな衝撃でした。 この町でそのコミュニティを意識的に観察した経験は、現在の活動にも大きな影響を与えていますし、派生して昨今のシェアの流れ、都市の在り方への考え、村の未来への回帰につながっています。 (2018/07/26) この前ま

      • 先行型コミュニティ施設について

        今回は大学4年時、研究室で運営していたコミュニティ施設について考えたことをご紹介します。 当時の投稿にもありますが、この施設はコミュニティの形を調査し寄り添いながら設置されたわけではなく、設置してからイベントなどの積極的な開催によって近隣住民にどうにか使っていただき、現在(2019年で15周年)も使っていただいている施設です。いわゆる先行型コミュニティ施設。 当時はまだ使っている様子を見ずに書いたわけですが、この施設に関係する人はなかなか入れ替われていない状態、施設設置当

        • 卒業設計の中間発表 を終えて

          大学の卒業設計では、〔多様性をもつ建築〕の設計・設計論の提唱 と迷いましたが、都市計画研究室に所属していたことと、調査で出会った福井県高浜町の様子、福井市の様子、地方都市の将来への危機感を踏まえ、〔地方都市の住宅街〕の新時代への更新を試みることにしました。 ここでは、住人以外も住宅を使うことを前提にした住宅が建ち並ぶ住宅街を構想した後、〔敷地主義〕の概念を指摘されたことをメモしたものです。 (2018/12/15) ハピテラスやOM TERRACEの衝撃は、〔敷地主義〕

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        • 地方都市について
          7本
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        記事

          『モダニズムの臨界』を読んで1

          (2018/11/19) ワクフ制度 社会的共通資本(宇沢弘文) 経済至上の社会(自由権) / 生活を中心とする社会(生存権、生活権) "これまでの感覚では建築とは言えない、隙間産業のような建築家たちの活動がある。" ”それは、決められた敷地の中に建築という作品を建てる行為を超えていくもので、これまでの社会の中で制度化された建築が依拠するものではない。” "この新しい建築には、所有された敷地を超えていく概念がある。" "例えば、『パブリック』と『プライベート』と

          『モダニズムの臨界』を読んで1

          『地域社会圏モデル』を読んで

          (2018/11/11) 地域社会圏モデルp.123周辺を読んで、 「地域社会圏」「地域コミュニティ」は一時的な関係性である。 そして、子供と介護を必要とする高齢者からすると、その狭い行動圏内がほぼ全てで、そこに対して近隣の「地域コミュニティ」が生活を支えたり豊かにする能力を持っている。 その他の人に関しては、基本的には「間接的に開く、誤読によって開く都市 だから、〔間接的に開く〕のコンセプトに加え、子供と高齢者に配慮のあるコミュニティを担保するレイヤが欲しい。

          『地域社会圏モデル』を読んで

          住宅における ミクスドユース とは

          (2018/10/13) ○住宅において、本当の意味でのミクスドユースとは。よくある、下は店舗、上は住宅など、建物全体ではミクスドユースとみなせるが、結局は空間を分割したに過ぎないものが見られる。 HYPERMIX(北山恒)は、同じ空間がSOHOとして両立する。同じ空間がどちらとしても捉えられ、どちらとしても機能する。 その時に機能とコモンズとが、限定や選択される。 HYPERMIXの場合、 コモンズは選択。ある階以上からは誰でも共用空間を利用できる。また、洗濯機が隔階

          住宅における ミクスドユース とは

          誤読 (=abduction) で[背景のような建築]は表せる

          (2018/10/10) "誤読"というパワーワード 〔背景のような建築〕はこの一言で表せる。 青木のいう「原っぱ」もつまりは誤読を楽しむ場や仕掛けと言えるのでは。 "誤読"を住宅で起こしたい。 住人と都市の中の人とが繋がるきっかけにしたい。 独りよがりではあるが。 それが独りよがりでない方向性にしたい。 開いていないっていう住民の意識と開いてるっていう都市の中の人の意識が共存するような、そんな住宅と都市の関係。 もう道にこだわる必要はないのかも。 結果的に道の

          誤読 (=abduction) で[背景のような建築]は表せる

          誤読 (=abduction)

          (2018/10/05) 誤読 = アブダクション(abduction) ”「模型優位型」スタディは、とりあえずのところ設定した理念を、模型を介した外部化を通じて、当初の文脈とはまったく異なるものとして誤読するかのような方法論なのである” “万有引力が唱える「質量は互いに引力を及ぼしあう」という法則は、その形成過程に、観察結果から出発しつつも、観察結果を超越する仮説構築のプロセスを内在している” “アブダクションにおける仮説構築のプロセスは、他者としての模型から、新た

          誤読 (=abduction)

          道の方向性

          (2018/05/02) 「両者共存(both and)」、「にもかかわらず(otherwise)」に係る言説の中で “町の中の道は、往来としては方向性があるが、にもかかわらず場所としては方向性がない。 建築の多様性と対立性 p.52, l.1 参考文献: R.ヴェンチューリ, 伊藤公文 訳「建築の多様性と対立性」, 鹿島出版会, 1982 参照: facebook

          道の方向性

          かたち / 形

          (2018/04/03) 「柿崎による かたち→形 として知覚される かたち(form): 知覚の世界において図となったものは一つの単位としてのまとまりをなしている。このようなまとまりの特性のこと 形(shape): 具象性ないし意味性を持つもの (pp.74-75) 「かたち + コンテクスト、諸条件、スキーマ = 形 という感じがする。」 「「旅するサヴォア邸」は「かたち」をサヴォア邸に限定し、後者を変える実験である。 そして、最終的に示したかったものは「形」

          かたち / 形

          コラージュ / ブリコラージュ

          (2018/02/14) コラージュ: ある特定のオブジェクトを、慣用とは異なる状況に置いて用いる手法。 特定の事物に対して、意図的に「多義性」を付与する操作であり、そこには「対概念の共存」という性質が含まれている。 コラージュされたオブジェクトは、慣用的な意味とともに、作者によって意図された新しい意味を併せ持つ事になる。(pp149-150) ブリコラージュ: エンジニア(科学的思考)は、目的に応じて、あらかじめ機能や意味の決められた部品を全体の計画に従って組立てる。

          コラージュ / ブリコラージュ

          続・『思考を開き、意図を離れる』

          ○建築と都市の間での〔恣意性の排除〕(2017/12/28)参考記事 「建築内部を「恣意性の排除」を行い、設計することから、外部の話に逸れる。 つまり、アクセスする事にすら「恣意性の排除」を徹底する事についての考える。 そうなると、後者は建築に入るという行為が、木と利用者がそのシーンに入るという事になるのだろう。 多分これが最近感じている違和感の正体。恣意性が無いと言いつつその関係になることを強いている、その関係にならないと始まらないという感じ。これが建築の内部、恣意性が

          続・『思考を開き、意図を離れる』

          〔中心性〕と〔透明性〕を兼ね備えること

          ○〔中心性〕と〔透明性〕とは これは大学3年次、 ①福井駅前の新栄地区に計画されたテラスについてのレポートの執筆時に考えたこと ②それまでの設計活動でうまく設計できたと思っていた『明石高専キャンパスギャラリー(以降 CG )』『大壁のある2.5世帯住宅』『福井市立図書館(以降 図書館)』 ③直前に考えた『過渡期の家(コンペ)』 ④『日本の家 展』をみて印象に残った思想 ⑤Y-GSA主催のon going を聴講して感じたこと を用いて、自分の作品において、建築の〔

          〔中心性〕と〔透明性〕を兼ね備えること

          『建築が生まれるとき』を読み返して

          ○青木淳/平田晃久/藤本壮介 にみる〔恣意性の排除〕  403architecture[dajiba] の橋本健史の、青木淳/平田晃久 論考 を拝読して、大学3年当時、すでに拝読していた藤本壮介『建築が生まれるとき』を読み返し、関連付けて、さらなる〔恣意性の排除〕の扱い方を発展させようとしました。その時の Facebook への投稿です。  投稿では話がぷつんと切れますが、当時それ以上何も思いつかなかったためです。しかし、そこから全ての発想に対してこの考えが根幹になって

          『建築が生まれるとき』を読み返して

          〔背景〕としか言いようのない、何かについて1

          ○〔背景〕としての建築 今回は、大学3年時、自分が良いと思う建築を言語化しようと苦心する中で、〔背景〕としか表現できない感覚を明確なものにするために考えていたことについての投稿です。  〔背景〕としての建築 と言えば、当たり前すぎて全く説明になっていないだろう、と思うのですが、多様性をもつ建築に現れる感覚だと思っていて、何とか自分の感覚と言葉から率直に捉えられる感覚の差異化を図ろうとしていました。 ○Facebookの投稿 (2017/08/24) 「決定ルールをとこ

          〔背景〕としか言いようのない、何かについて1