~2019


0. 恐らく節目でした。

2019年が先日終わり、2020年になりました。

2019年は僕にとっては大きな節目のような年でした。

なので、出来事・感情・学びを忘れないうちにここに記しておきます。

公開するのはもっとずっと後になりそうですが、まあ10年後とかに整っていればいいかなと思います。

1. 学部卒業設計

遥か昔のように感じますが、2019年初頭は卒業設計に取り組んでいました。

この卒業設計の主題は、[人間関係の範囲] [地方都市の更新]  [非敷地主義] の三つほどです。もちろんその背景には [資本主義の乗越え] がありました。

案自体はあんまりうまく構成できませんでしたが、柔軟なくくり(人間関係の範囲・生活圏・文化思想 を包含した曖昧な範囲) の感覚を発見したので、それを先々の目標である [地方都市の更新] に結び付けたかったのです。

詳しくはこちら。

この頃、「設計行為とは将来の敷地周辺の諸状況を、不可能と分かっていてもできる限り予測をして、仮説を立てて、その予測に寄り添っていくようなものである。」と考えていました。

なかなかに意固地で融通の利かない考え方だなあと後々思って大方変えることにしましたが、今でも予測については参照必須とは思ってないにせよ、重要であるとは思っています。

2. なんだか少しズレている

卒業設計の発表後、数ある卒業設計展への出展を棒に振って友人らと2週間の弾丸アメリカ横断旅へ。

カリフォルニアから観光地を経由してニューヨークまでRVをレンタルして横断しようというものです。3日目で断念しました。

小さな衝突事故や大きな旅程変更があったので、僕は主に英語担当になりました。拙い英語で一生懸命要件を伝え、もろもろ予約を取り直し、泣きそうになりながらも誰も代わりはいないので必死に交渉。

おまけに旅はトラブルだらけ。

ラスベガスのストリップの客引きは良い奴なんですが引き際を知らず。そりゃ黒リムジンで連れてくと言われたら行ってみたくても怯えて行けません。冬のグランドキャニオンは寒いし暗いし道が合っているか全然分からない。RVパークを予約した際スペルに分解して伝えたにも関わらず Susaya.F(房安) という名前の予約になっていてパスポートを確認するまで怪しまれ続ける。寒すぎるグランドキャニオンRVパークではRVの生活用ヒーターが原因不明の故障。以降返却まで4~5日間一般的な車の暖房だけで生活する羽目になる。次の目的地に進もうとするも大雪につきRVパーク予約時に「予約は受けるけど来ないことを強くお勧めする。私なら行かない。」と言われ行かないことにする。そこから丸2日動けず。大雪の積もった駐車場では7人の関西人の悪ノリは留まることを知らない。ようやく晴れた日の感動は忘れられない。

少し話が逸れましたがグランドキャニオン・ラスベガスを満喫したのち何度か無理かもとすら思ったニューヨークに無事到着しました。

ここからが建築的な本題です。

そこで訪れたソロモングッゲンハイム美術館で発見した、[少しズレている] の感覚がとても衝撃的でした。それはまさに [背景のような建築] の解の一つであり、あまりにも鮮やかに、生き生きと佇まっていたからです。

詳しくはこちら。

ここで自分の感じていた [背景のような建築] に確信を得たのに加え、[少しズレている] を学び、近代の乗越えに向けて心躍らせました。

あともう一つ、WTCの慰霊碑はやはりずしんとくるものがあって、Archiology of the Future展での発見により確信を持つこととなりました。

3. 非空間を目指した空間

東京での新生活が始まってすぐ、門脇耕三さんの自邸(2018) を拝見できる機会に恵まれました。

詳しくはこちら。

ここでは [多様性をもつ建築] のつくり方についての大きな学びがありました。バラバラなものをのびのびとつくること。そしていろんな文脈の下で理解しえる状態として整えること。

そして何よりも、自分はこの空間を表す言葉を知らないという感想から [空間の形容] という概念を発見し、重要であると考えるようになりました。

4. 見るものとの距離

4月に青木淳さんが満を辞して藝大の教授に就任し、就任記念講演が開催されました。青木さんを大いに参考にしている自分としては聞きに行かざるを得ませんでした。

会場は超満員で、出来るだけ早く向かいましたが整理券は最後のグループだったように思います。まあ聞けるだけでも良いかと思っていましたが、あれよあれよと幸運が続き、かなり前の方、藤村龍至さんの真後ろの席に。

とても嬉しい。

この講演では、「紙片と眼差しのあいだに」が鍵を握る書として挙げられ、青木さんの話が進んでいきました。

ここでは自分が [多様性をもつ建築] を考えるうえで発見していた、層状の判断基準の正当性を確認できる機会となり、またその先を感じられる講演でした。

余談ですが、死体と生体の差異、同じ物質であるにも関わらずどこか違うという感覚が指摘され、何かにつながりそうな気がしていて、[背景のような建築] と同根なように感じて、とても興味深かったです。

5. [空間の形容] [くくり] をもって [多様性をもつ建築] [地方都市の更新] へ

夏の大学院受験を間近に、どうしてももう一つ設計したいという願望と使命感に駆られ、大学3年時に設計した福井市立図書館をもう一度ゼロから設計し直すことにしました。

当時は当時で [間接的に開く] という概念を発見し、その後の [背景のような建築] の発見に繋げていけたのでとても有意義かつ思い入れのある提案でしたが、この提案では [背景のような建築] に感じていた行き詰まりや、[多様性をもつ建築] の設計手法への戸惑いを、ひいては福井での2年間の経験・発見・関わった人々への想いを、纏めて新たな段階へと運ぶ重要な提案になりました。

詳しくはこちら。

これは、文化思想を信頼し、強引ながらも読み取れたことを前提としたうえで、元来「建築家のエゴ」と呼ばれた [恣意性] をその文化思想に委託し、真の地域性(正確にはくくりのための建築)を獲得することを試みたものです。

完璧とはいえないまでも、今まで重要と他人から教えられつつも全く腑に落ちなかった数々の建築の物質的要素・環境的要素・非物質的要素がすべて腑に落ちました。

ようやく「自分のやりたいことは何か?」という問いに誠実に「これです。」と答えられるものがひとつ出来ました。

6. 人は生きているだけで価値がある

7月に参議院選挙が行われました。そこでは歴史に残るであろう政治家らが現れ、「死にたくなる世の中を変えよう」と謳い、颯爽と人々の先頭に立って引張ってくれる未来を予感させました。

その政治家らとは山本太郎率いるれいわ新選組です。

人は生きているだけで価値があるという、基本的人権の尊重を真っ向から主張し、それに反する昨今の日本の政治情勢・人々の諦めもしくは無知に対して税金の使い方や政治屋らの政治利用を暴露したり理想の政策を掲げるなどして「この国に生きるすべての人々」に変革を訴えかけました。

またれいわ新撰組は、簡単に言うと、情熱の塊と各専門家と実被害者らによる政党であり、政治とは本来人々の生活を抽象化し全体が妥協しながらも良い方向に進めるように調整することであったということを当事者として身をもって示してくれました。

人は生きているだけで価値がある。

この主張を根本に置かずして、多様性を認め合う/差異を理解し合う 状態は訪れないと確認させてくれた、歴史が動き出した瞬間でした。

7. 色の産業革命

幾らかの手応えは得つつも大学院受験が失敗に終わり、覚えている限りで最もメンタルが死んでいた頃の気持ちは、もしかすると18世紀後期のイギリスや19世紀のフランスのようにどんより鬱屈な状態だったかもしれません。

そんな時に坂牛卓さん×加藤耕一さんの「捏造された白」を聴講し、感動と喜びに再会し、とても素敵な夜を過ごしました。

一般的に建築を学んでいて、産業革命について勉強するのは鉄とガラスの登場・交通機関の発達・工業製品の台頭などでしょう。しかしこの講演会において産業革命で言及されたのは、色 (あるいは繊維産業) についてでした。

当時の写真は白黒写真で、僕は想像することすらなかったですが、繊維業の発達により、色彩豊かな布は貴人階級のみでなく庶民階級の生活の中にも登場するようになりました。街はドレスを纏った夫人で溢れ、曇りがちな街は華やかなカーテンで各々に彩られました。窓が小さく日の入らない住居にもテーブルクロスや絨毯が普及し、百貨店には心躍る鮮やかな垂れ幕があちらこちらにかけられました。(その垂れ幕はあのクリスタルパレスの内部にもです。)

産業革命は色の革命でもありました。

詳しくはこちら。

産業革命についてとても大きく見方が変わった、間違いなく人生に影響する講演会の一つでした。

8. 「あの浮遊感が欲しかった」と無邪気に語る建築家

福井市立図書館の設計で、[空間の形容] を発見しさらなる手掛かりを模索していた頃、福島加津也さん×光井渉さんの「歴史と美学」を聴講しました。

二人はとても日本建築史に精通しており、嬉々として日本建築史上重要な家屋について構造と美学を語り合いました。その後の議論はそれを踏まえた福島さんの作品をベースに、謎解きのような流れに。

福島さんの提案はとても素敵で、まさに [空間の形容] のその先にありました。代表作は工学院大学の弓道場で、そこでは江川太郎座衛門邸の浮遊感を参照したとのことでした。その浮遊感の解明と間接的もしくは抽象的な応用は鮮やかで、また文脈上・文化思想上は何も関係ないにも関わらず、必要と思われる感覚を探り、信頼を寄せる建築の美学・時間の美学に沿って参照元と結びつける行為にとても感銘を受けました。

何よりお二人、とても楽しそうで、やっぱし設計はこうじゃなきゃなあとも思いました。

9. 本物の建築家

関東圏にいる友人とお酒を飲み、世間話がしたいと言いつつ建築の話に二人とも乗っかってくれるという贅沢な時間を過ごしたのち、12月中頃に西沢立衛さんの講演会をようやく聴講する機会に恵まれました。

西沢さんのお話はとても刺激的で、圧倒的で、そして自分の今まで積み上げてきたものとは大きく異なるものでした。出かけていた鼻をへし折られた気分です。

西沢さんの建築は、諸情報・諸条件を一度西沢さんの感覚世界に放り込み、スタディの末に建築として西沢さん以外にも知覚しえるようにするというものでした。この手法を支えているのは、「自分は建築家である(その他のことは考慮する材料にはするが題とはしない)」という非常に清々しい割切りでした。そして感覚世界を鍛えることこそが建築家であるという感じ。

恣意性を排除することを大前提とし、思考を積み上げてきた僕としてはとても大きな衝撃でした。こんなに清々しいまでに恣意性を受け入れ真っ向から向き合うやり方をしているのか。。と。ここで腑に落ちたのが西沢さんのとことん嘘を嫌い追求する姿勢でした。嘘を追求し撲滅しないと、恣意性に建築が呑み込まれ、ニシザーワランド(ごめんなさい)になってしまう。その微妙な塩梅の中での活動を想像し、あまりの難しさに地面に叩きつけられたように感じました。

西沢さんの手法や考え方に大きく影響を受けつつ、しかし自分の積み上げてきたものには幾つもの自信が乗っかっています。

これは主観 / 客観 論争とでも呼べるかもしれません。それくらい根底から差異があります。

個人的に質問した中でも、僕がくくりに見られると考えている文化思想、それに依拠した建築について、くくりと文化思想の対応を信じすぎる危険性を指摘していただきました。

でもいつか超えたい。ああ、そのやり方も良いのかもしれないと思わせるような建築や環境をつくってやりたい、もちろんその建築の関係者のみなさまの文化思想や生活のためにですが。

10. 空間言語としての建築

2020年へと移行する間際に、自分の内側からあふれ出してきた考えは、建築は言語なんだというものでした。気付きというにはあまりにも普及した考え方なので、腑に落ちたような感じに近いでしょうか。

春から夏にかけて福井市立図書館を設計し直した頃から着々と、文化思想と多様性を信じ続ける中で、Phonics学習の重要性に気付いたことも影響しつつ、西沢立衛さんの講演を聴講したあたりから決定的に、という感じです。

建築を空間言語として捉える時に、重要な点を、忘れないようにここに記録しておきたいと思います。

○そもそも言語とは、感覚と現実を繋ぐ虚構システムである (立石さん参照し派生)ため 、空間を体験する人と現実の何かの状態である建築の間で言語として成立し、人同士で空間の体験を通して感覚の交換を行うことができる。

○言語が一般的に意味と一対一対応であることに対して、建築は必ずしも一対一対応ではない。異なる感覚を持つ人同士でも矛盾を起こしながら矛盾なく感覚を交換することができる。簡単な例を挙げると、日本語話者と英語話者が互いの言語を話しながら会話が成立しているような状態である。建築は日本語であり英語であるという矛盾を持ちつつ、矛盾なく話者同士の感覚の交換を成立させる。

○上記は時間の概念も包含している。

○建築を空間言語であると捉え、[多様性をもつ建築] の達成のヒントにするとき、各個人の差異を尊重する姿勢、もしくは基本的人権の尊重、もしくは各文化思想の尊重、もしくは人は生きているだけで価値があるという態度 を大前提としなければならない。差異を持つこと、差異を表明することを積極的に肯定し互いに受け入れ合わなければならない。

11. 建築家として第二章へ

長くなりましたが、ここまで建築の基礎を学ぶと同時に、自分なりに観察して/考えて/提案して、建築について信じられるものを積み上げてきました。

大学院受験や二級建築士受験などもあり、明確に基礎力を固めた時期でもありました。

この積み上げてきたものに対して、ほぼ正面衝突する世界的建築家の姿勢を知ったことが、大きな章の節目のように感じています。

あくまで2019年を、しかもかなり印象的なものだけ選んで纏めているので、なかなか記し切れていませんが、2020に向けて、より [多様性をもつ建築] を設計する建築家として精進していきたいと思います。



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