先行型コミュニティ施設について


今回は大学4年時、研究室で運営していたコミュニティ施設について考えたことをご紹介します。

当時の投稿にもありますが、この施設はコミュニティの形を調査し寄り添いながら設置されたわけではなく、設置してからイベントなどの積極的な開催によって近隣住民にどうにか使っていただき、現在(2019年で15周年)も使っていただいている施設です。いわゆる先行型コミュニティ施設

当時はまだ使っている様子を見ずに書いたわけですが、この施設に関係する人はなかなか入れ替われていない状態、施設設置当時から何年後かまでに日常的に使うようにしていた方々ばかりが使っている、というのが現状でした。

その既存の関係者たち(近隣住民・商店街の方々)にとっては、学生と関わることのできる重要な拠点なのですが、このままでは持続可能性に欠けるなと考えていました。

ちょうどこの前年の夏頃、青木淳建築計画所から『十日町ブンシツ』が発表されていました。それもあり、現状が全く悪いわけでは無く、このコミュニティ施設はあったほうがいいことに越したことはないのですが、クローズドに陥っているコミュニティの限界と、持続可能性の限界をこの活動から感じていました。


(2018/04/05)

ゼミ活動で運営してるコミュニティカフェに在駐しるのだけど、人が誰もこないのでコミュニティにゆっくり考えられる時間。もともとうちの研究室にあまり仕事がない時に、社会実験の場として運営を開始した施設。

なので10年前とかは年内に今よりもイベントを行って、それが何年も続いたりしていたと紹介を受けた。
現在は週に3日、店を開けて学生が常駐。あと、ボランティアのとあるお母さんが週一で昼食を持ってきてくれ、顔馴染みが集まり昼ご飯を食べる。

さて、ここでいま感じている事は、この施設が必要か?という事。コミュニティを作るために施設自体を用意するのは、現状の誰も来ない様子を見ると安易な様に思う。
そもそも、「昔からある、又は昔のコミュニティ」というのはきっと施設があるから始まったわけじゃない。

楽しそうな事、参加したいと思う事があり、その様子を見て参加した人達をひとまとまりの単語で呼ぶならそれがコミュニティなのであろう。
そう考えると、「無くなってしまった所にもう一度」といって施設を作るのは安易である。

そこで、何かのついでに使える場所を用意するという視点が一つ有効な視点なのではと思った。
例えば商売のついでや暮らしのついで。それくらいの軽さ、自由さで場を用意する方が無駄もないし、らくである。

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