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雨読の土曜日、料理の楽しみを知る

この土日は特に予定もなかった。どこかに出掛ける気分でもなかった為、土日で畑作業を進めようと考えていた。金曜日、会社でお昼ご飯を食べていると、同期の子から「明日は一日雨だって」と言われた。

最初は雨なら畑作業が出来ないではないか、と感じてしまった。しかし、私は自然に抗うことは出来ても、支配することは出来ない。大人しく土曜日は晴耕雨読を実践しようと考えた。

土曜日、朝から近所に住む知り合いに車を出してもらいホームセンターに肥料を買いに行った。田舎はやはり車社会で車でホームセンターの近くに行くと、スーパーや100均が立ち並ぶ。駅前にもスーパーはあるが、丁度良いスーパーはそこにしかなかった。知り合いが「大体必要なものはここで揃う」という言葉の前提に車を乗れる事が絶対に必要であり、町全体が車ありきの仕様になっている事を実感した。
田舎では5キロは近所である、という認識を埼玉県での滞在制作時に知った時、驚きを隠せなかったが、全ては車で移動するという前提のもとに作られた認識なのだ。当たり前の事かもしれないが、改めて車と街の関係性や移動手段によっての街の構造の作られ方について考えさせられた。

早々に買い物を済ませ、家に戻ると、一階でカフェの準備をしている会社の職員さんがいた。今日は雨だった事もあり、お客さんはまばらだった為、自分で入れたお紅茶を職員の人と一緒に飲んで、楽しくお喋りをした。
今日、来ていた職員さんはハンドマッサージが出来る方らしく、紅茶を飲んだ後にハンドマッサージをしてもらう。マッサージを受ける事自体はあまり経験がなかった為、人に自分の手をほぐされる感覚にとてもドキドキする。何よりもそれを雨が降る景色の中で受けられた事に、こんなに素敵な事は無い、と感じていた。

今まで雨の音はあまり好きになれなかった。しかし今の家に来てから、雨も良いな、と思うことが出来た。縁側で見る雨の景色は、何故かずっと見ていられるし、家で本をゆったり読む中で聞こえる雨音はとても落ち着きのある音に聞こえて、自ずと自らもリラックス出来るように思えるのだ。

以前、野菜の肥料についてお話をした職員さんに勧められた自然農法の本を読む。そこには、また私の知らない農業の考え方があり、とても興味深かった。特にその本の中に書かれていた「急がないことが大切です。急ぐとつらくなり、仕事が乱れます。」という一文には思わず哲学を感じた。
かく言う私は早々にホームセンターで有機肥料を買ってきてしまった。しかし、何はともあれやってみる事が重要なのである。最初からあまり上手くいくことは少ない。あまり考えすぎずに一度有機肥料を使ってみようと考えた。

田舎にある古民家だけあって、日が出ている時の解放感は抜群である。降り続く雨を見ながら、袋めんを食べるだけでも私はすごく満たされていた。本当に私は贅沢で幸せ者である。

今日来ていた職員さんとのお話は相変わらず続いており、私がなんだかんだ週1程度実家に帰っている、と話すと「それが良い、それが親孝行だよ」と言われた。その人は私の両親と年齢が近い事もあって、妙に説得力があった。私は今週、火曜日頃から「もう頑張れない」スイッチが入った事もあり、週の後半は実家にいた。比較的フランクに実家に行き来する事に対して、特に何も考えていなかったが、これはこれで良いんだな、と妙に自信を持った。

午後、大学院の授業がオンラインで配信されていた為、少し覗いた。久しぶりにガッツリとアートの話を流れ弾のようにする教授を見て、自然とワクワクする。TAから(恐らく)のダイレクトメッセージで「おかえり!」と来た時に、ああ、ここも帰ってこれる場所なのだ、と実感して少しだけ泣きそうになった。

実家に、時たまやって来る職員さん、そして大学院の人達に、近くに住んでいる知り合い、私の周りにはこんなにも沢山支えてくれる人がいるのか、と思うと、本当に今の家は超ミラクルラッキーな着地点だったのかもしれない。

新学期を迎えた大学院の授業は人数も増えたせいか、とても長丁場のものとなっていた。その傍ら、なるべく明るいうちに出来る事をやりたかった私は洗濯、掃除、料理を作り始めていた。今日は基本的に家の中でのんびりしていた為か、今まで何も感じていなかった料理も初めて楽しい!と思えた。

今までは作りたい料理という目的から、食材を買い、料理を行っていた。しかし、今回は会社の同期の料理トークに刺激され、とりあえず気になった野菜を買ってみるという行為から料理の過程をスタートさせた。
誰かが、理想があり続けることのしんどさについて話していたが、目的の料理があると、どうしてもその目的に到達したか否かで自らの料理の過程を判断してしまう。しかし、今回は目的がなく、現時点での状況から判断して料理に取り掛かった為、極論理想や目的などなかった。そのおかげか、ちょっと美味しく出来ただけで、とても嬉しく感じたし、料理における「創作」感も味わえた。何が起きても全てが発見や感動に繋がる感覚に「なるほど!これが料理か!」とワクワクしていた。

自然農法の本でも言われていたが、急いだり頑張りすぎるとつらくなってしまう。私が今日作った料理達も、工程としては切って、焼いて、和えただけである。しかし、すごく時間を掛けて料理を作った時以上に満足感が大きかった。訳も分からず読んでいた料理という行為についての本に書かれていた事が少しだけ理解できたように感じた。

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「足るを知る者は富む」という言葉が存在するが、これはきっと物理的な事だけでも他者との関係性の事だけでもないのかもしれない。そう考えると、「無理しないでね~」と農作業中の私に声を掛けた近所のおばちゃんの偉大さを痛感する。

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