見出し画像

「にしだ」の自己紹介

この投稿では、詳しく自己紹介していきます。

島根の離島で、水族館づくりをしています。

唐突な紹介ですが、まず隠岐諸島の海士町にて水族館づくりに取り組んでいます。

海士町のとある場所で、コツコツ水槽を管理していたり、
隠岐諸島内で移動水族館を実施しています。

離島で、水族館づくりに取り組むまでの、経緯

ちょっと長いので、いくつかの時代に大まかに分けながら紹介します。
※結構長いので、ざっとよんでもらえるだけでもうれしいです!

~その①~飼育係時代

もともと僕は水族館の飼育係でした。

過去は、水族館に就職していました。(今見返すと、自分、若いな、、、)

5年ほど働いた後に退職し、飼育係のような現場仕事ではなく、水族館に関わる企画職の仕事もしていたりしました。

でも途中から、「自分でやったほうが面白いかもな、、、」と考え出すようになっていました。

~その②~とりあえず移動水族館を始める。

しかし「自分でやってみても面白いかもな」とか考えつつも、僕はそれまで個人事業主になったこともなければ会社を起業したこともない「ただの水族館好き会社員」でした。どうすればいいか全くわからず、悶々と悩む日々が続きました。

そこで

「とりま自腹でいいから、知り合いを通じて移動水族館をしまくろう!」

と考えて、東京に住んでいた時に、「とりあえず移動水族館できる場所」に乗り込んで移動水族館を行ってきました。

最初は、本当に右も左もわからず、とりあえず荒川の河川敷で勝手に水槽を置いてやりました(おい)。

まずはスタートだ!と意気込み、とりあえずで勝手に荒川で始める。(今見るとだいぶしょぼい(笑))

そこから、東京都・神奈川県・福岡県・岡山県・奈良県とかとか、いろんな場所に遠征していました。少しづつ、自腹とか関係なく水槽も買い足して、規模を大きくしながら。

クリックするとそれまで移動水族館の様子など紹介しています。

場所によっては、報酬をくださるところもあって、もらえるだけで嬉しかったことをよく覚えています(なにもわからなかった俺でもプチ個人事業主デビューできた!的な)。

~その③~やっぱり拠点がないと……と考え出す

移動水族館を行っていくと同時に、「よりやりたいことをやりたい」と思う中で「水族館」と名乗るにはやはり「移動」だけではだめだ、、、という考えに至っていきます。

水族館が好きな人なら御存知かもしれませんが、水族館は社会的な機能がある施設です。簡単にいうとその地域の余暇や教育面を提供している施設です。つまるところ、「常設、もしくはそれに近しい継続的な運営」をしていなければ「地域に余暇や教育を提供している」とは言い難く、「水族館をつくれた」とも言い難いはずです。

「やはり、拠点になる場所が欲しい」

そう考えて、移動水族館とは別で、拠点探しの旅にでました。
北でいうと北海道。南でいうと福岡まで。

拠点とする場所はいくつか条件をもっていて
①都市ではなく田舎→(東京暮らしに飽きてたので)
②水族館が無い地域→(競合はいないでほしいから)
③海がある場所  →(川だけだと、扱える生物が限られるので)

の3点を考えていました。

~その④~しかしなかなか見つからない。

もともと移動水族館で自分の生活をまかなえるほど収入はとれていなかったので、現実的なことを考えると一時的でも働き先も確保しないといけませんでした。しかし、いわゆる「地域おこし協力隊」はあまりいい印象がありませんでした。あくまで個人の主観なのですが、責任が大きそうで、本当にやりたいことが集中できなさそうな気がしていたのです。

しかも会いに行く先々で「水族館をしたいんです」と話したら、面倒くさそうな顔をされるか、「それよりこっちのやってほしいこと手伝ってよね」という顔をされる。

「絶対ココだ!」という確信めいたものまでいかなくても、少しでも「いいかも」と思える場所に移住したい。。。でもそんな移住先すら見つからないことに、モヤモヤした焦燥感をもっていました。

~その⑤~海士町&複業組合を知る。

そんなある日、ボランティアで手伝っていたオンラインイベントに、海士町の方がゲストスピーカーとして登壇をしにきたのです。

当時のイベントの振り返りレポートが👇

「海士町?・・・かいしちょう?じゃなくて、あまちょうっていうのか。」
そもそも名前の読み方すら知らなかったのですが、それが海士町との最初の接点を持つきっかけでした。

ゲストスピーカーは「海士町複業協同組合」の方でした。
海士町には「複業協同組合」といういわゆるマルチワーク制度(日本では確か初めての制度)があります。町内の複数の事業所を、短期間で行き来するという少し変わった派遣労働を行う組合です。

とりあえず話を聞いた後、「へー、組合以外にも、そもそもが面白い変わった町だなぁ」と思い、「海士町複業協同組合」の就職説明会に行ってみることにしたのです。

それは、僕個人としては衝撃の説明会でした。
東京や都市部のサラリーマン感覚で話を聞いていたら信じられないような言葉が普通に飛び出てくるのです。
具体例を挙げると、
「事業所によるけど、休みたいときにその日に休むと決めて連絡して、休むでも大丈夫です」

というもの(海外か!?)。

これを聞いていた時に、大げさですが、うっすらと一筋の光明が見えた気がしました。

①柔軟に休みがとれる→(つまり責任は大きくない。しかも辞めたくなったら辞めやすそう)
②とりあえず働き口はある→(一時的な生活はそれで大丈夫)
③複数の事業所を回れる→(漁師さんや町の人とお付き合いの輪ができれば水族館をつくりやすい)

「もう悩んでいる暇はない!移住だ!」

当時働いていた東京の大手町から
離島の海士町に引っ越し。(ちなみにこの景色は家から徒歩1分の場所)

~その⑥~そして奇跡で水族館づくりスタート

そこから海士町に引っ越してきて、せっせといろんなことをしていたら、なんと奇跡的に水槽を置いていてもいいという場所が見つかり、ちょっとずつ水族館をつくっていってます(正直信じられない展開)。

見つかった水槽を置く場所も、引っ越した家の近所(徒歩10分!)。
その経緯は詳しくは👇

複業組合で働いてはいるので、今のところちょっとしたライフワークをしているくらいの状況ですが、うまく両立しながら、いずれは水族館業で独立できるようにしていきたいと考えています。

どうして自分で水族館をつくりたいのか?

 もともと子供時代まで振り返ると

そんなに水族館に興味や関心をもってはいませんでした。僕の出身県である佐賀県は水族館が無い県なのです。

ただ親の影響でアクアリウムが家にあり、それを眺めるのはすごく好きだったことはよく覚えています。
そして自分で飼うようにもなり、そのまま魚やアクアリウムを扱う専門学校に進学して、就職先は「水族館だな」ということで飼育係になった人です。

働いていって、いろんな感情を経験しましたが、年数が経つごとに「水族館の魅力」を感じるようになってきました。なので僕は「水族館で働き出して水族館の魅力を感じた人」です。

「こんな自分(西田)でも人の役に立てる場所」

働いていてもっとも意外で、強く感じたのはそういうことです。

正直、家で魚を飼っているときも、学校でも、自分が好きだから飼っているだけで、それが世の中の役にたつとは思えませんでした。その延長線上に水族館があるように思い、「特に役にたってはいないけど、お給料をいただけている」という感覚で、新人の頃は申し訳なさがありながら働いていました。

でもお客さんを見ていると違うことに気づきだします。
多くの人が喜んでいたり、楽しんでいたり、なにかを学んだり感じたりしているところに、自分が飼育している魚がいるのです。

自分にとって、水族館は社会で生きていってもいいという免罪符をあたえるような、そっと居場所を与えてくれたような存在でした。

しかし水族館は、システムが完ぺきではないと感じる。

現在では様々なメディアで取り上げられていますが、施設の老朽化・動物福祉の観点から見た飼育管理・スタッフのキャリア形成・集客力の維持向上など、様々な面で課題を持っています。

完璧なシステムなど存在しないのは当然ですし、若輩者の僕がいうのも恐縮ですが

「このままいくと、日本の水族館は世界または社会から否定的な評価しかされなくなるのではないか?」

と感じています。

好奇心やピュアな想いで「好きな魚を飼っていたい」というだけなら、飼育係を続けていけばよかったのだと思いますが、仕事として取り組むならそういった社会課題(というより水族館課題?)にも取り組みたいと考えるようになっていきました。

 そんな中で、いま少しずつ頑張ってきて、ちょっと具体的にやれつつあります。海士町に来てよかった、と思いつつ、油断はしないようにと日々頑張っています。

僕は、大量の資金をもっていたり、すごい人望があつかったり、とてつもない独自技術をもっているとか、そういう人間ではありません。だから、日本の水族館業界からみればハナクソみたいな規模の活動にしかみえないかもしれませんが、そういった規模や展示のクォリティといった面では評価できないところからチャレンジをしていきます。


最後に、最近、感銘を受けた島根県江津市にあるデザイン会社のSUKIMONO株式会社さんが掲げていたメッセージを、紹介して終わりにします。(急に出してきて申し訳ないのですが、とても自分のつくりたいもののイメージにピッタリだったので備忘録として)

👇

ローカルデザインのその先へ
私たちの暮らす地方は情報が遅く、交流の機会も少なく、スピードの速い現代のまさに最後尾を走っています。多くの先端を走る人たちをは見えるものが違い、しかし最後尾を走っているからこそ、見えるものがあります。
~中略~
見た目がカッコいい物ばかりが増え、ライフスタイルという洋服を着替えるように暮らしを着飾る世界においては、ローカルこそが好きなものは好きと言え、その個性が個性として愛される場所です。私たちは有り余る土地や建物、自然、そのすべてを自由に活用できる環境の中でそれらと対話しながらモノづくりをしたいと考えています。”ゴールから逆算する人生設計ではない、日々のモチベーションからフルスロットルする。”そんな日々の積み重ねにローカルの未来があると信じています。

SUKIMONO株式会社
めちゃめちゃ感銘を受けてとってしまった写真。

都市部や観光集積地といった水族館ではできないような、オリジナリティのある展開を作っていく努力を最大限していく予定です!
これから少しづつ紹介させていただければと思います!

どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?