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セルジュの舌/あるいは、寝取られた街【8/13】

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サイっっっっっっっっっっっアクっ!

 千帆がそう吐き捨てて踵を返し、駆け出す。

「まて、待ってくれ千帆っ!」

 恵介は友里江の顔を引き離した。
 友里江の唇と恵介の先端との間で、名残惜しそうに粘液が糸を引く。

「あははははははははは! お兄ちゃんサイっっっっっっっっアクっ!

 突然、友里江がヒステリックに笑いだした。

 友里江を突き飛ばす恵介。
 ごろり、と友里江の身体が地面に転がり、短いスカートがめくれ上がった。

「あははははははははは! 妹ちゃんに……見られてやんのっ! あははははははははは!」

 地面を転げまわりながら、友里江は呼吸困難を起こしそうな勢いで笑い続ける。

 薄い下着のショーツが目に飛び込んできたが、恵介にそれをじっくり鑑賞している余裕はない。

 ズボンをあげて、なんとかベルトを絞めながら千帆の後を追って会館の裏から飛び出す。
 千帆は会館の門をくぐって、外の道に走り抜けていくところだった。

「ど、どうしたんだ恵介? な、なにがあった?」

 会館の前に立っていた父が驚いて声をあげる。

「なに? どうしたの……その格好……一体どうしたの?」

 隣りに立っていた母も目を丸くしている。
 言われて恵介は自分の下半身を見下ろした。

 ワイシャツの半分がズボンからだらしなくはみ出し、もう半分は全開になったズボンのジッパーからこれみよがしに飛び出している。

 しかし、そんなことに構っている余裕はなかった。

 恵介は会館の中に飛び込むと、クラスメイトや教師たちの参列客をかき分けて、和男の遺影が飾られている祭壇の前まで走った。

 そして、相変わらず涙を拭っている和男の母と、死にぞこなったゾンビのように萎れている和男の父を指差して、これまでの人生で初めて出すような大きな声を上げた。

「知ってるんだろ? なんで和男が死んだのかを? ……誰のせいで和男が死んだのかをっ?」

 和男の母が、泣き濡れた目をゆっくりとあげる。
 でもその目は……冷たく、どこか笑っているようにさえ見える。

 ゾンビの父のほうは、うつろに前を向いたままだ。

 住職は読経をやめ、肩ごしに恵介を見て戸惑っている。

「あんたら知ってるんだろ? 和男が誰に殺されたのかを? ……殺したのは、セルジュだっ!」

 後ろから父が恵介の両肩を掴む。

「やめろ、恵介! ……どうしたんだ? 何があったんだ?」

「恵介、やめなさい! いったいどうしちゃったの?」

 母も後ろで慌てている様子だったが、気にしなかった。

「ここに集まってるどいつもこいつも、実はみんな知ってるんだろ? 和男がセルジュに殺された、ってことを? そうだろ? みんなで秘密にしてるんだろ? 見て見ぬふりをしてんだろっ?……なあ、和男のお母さん!!」

「やめろって言ってるだろ恵介!」

 もはや父は恵介を羽交い絞めにしようとしていた。
 しかし恵介は和男の母に指を突き出し、声を荒げ続けた。

「おばさんはよく知ってるよな? なんで和男が追い詰められたのかを? おれは聞いたぜ! おばさんが自分ん家でセルジュとヤりまくってるのをっ!」

「なに言ってんだ和男! 黙れ、黙るんだ!」

 父はほとんど半狂乱になっている和男の口を塞ごうとした。
 和男は父の手を振り払い、さらに声を上げた。

「それにそこにゾンビみたいに座ってるお父さんよお! あんたはそれを、黙って見過ごしてたんだ! 自分の奥さんがセルジュにヤりたおされて、息子がオナニーのやりすぎで死んでいくのを、黙って見てたんだっ! ……ここにいる連中、みんなはどうなんだ? みんな、似たりよったりなんだろ? 何でだよ? なんでおまえらはセルジュにヤられっぱなしなんだよ? ええ? ……ほんとうのことを言えよっ!」

「いい加減にしろ!」

 父親は恵介をくるりと後ろに振り向かせると、その左頬を拳で力任せに殴りつけた。
 地面に倒れる恵介。

 え、平手打ちじゃなくて、…………?

 と思わないでもなかったが、あまりの怒りと感情の昂ぶりのせいで、ほとんど痛みを感じなかった。

「おまえら全員、偽善者だ! セルジュと一緒に地獄に落ちちまえっ!」

 恵介は埃だらけになってよろよろと立ち上がると、千帆が駆け出していったように全速力で公民館から飛び出した。

 そして、千帆の後を追いかけようとする……しかしもう千帆の姿はどこにも見当たらない。

 家に帰る気もない。
 どこにも行くところがない。

 とにかく、走り出した。

 佳祐は、左はネギ畑、右は白菜畑の一本道を、走りに走りに、走りに走った。
 どこまで走っても息は切れなかった。

 だが、自らの性器に巻きついてきた友里江の熱いの生々しい感覚は消えない。

 それを振り払おうと、走り、走り、走る。
 もう千帆を追いかけることなど、どうでもよくなっていた。

 と、そのとき、背後で車のクラクションが鳴る。

 恵介はその場に足を止めた。

 振り返ると、数メートル後ろに、黒塗りの車が停まっている。
 恐ろしいくらいに磨き上げられたその車体は、まるで巨大な甲虫のようだ。
 その車の車種に、恵介は見覚えがあった。

 ……セルジュの家の前に停められていた車……

 担任の江藤とあの家に訪れたとき、彼女が興味を惹かれていた『66年式のシトロエンDS19パラス』。

 錆色をしていたセルジュのものとは違い、それはまるで新車同然のように磨き上げられていた。
 江藤の言葉によれば、60年以上も前の車であるはずなのに……。

 車のドアが空き、3人の人間が降りてくる。

 全員が真っ黒なスーツに身を固めており、白いシャツに黒ネクタイだった。
 ……しかし和男の葬式に訪れた弔問客ではなさそうだ。

 一人は中肉中背のはげ頭……小鬼のように尖った耳が印象的だ。
 一人はまるでアーノルド・シュワルツェネッガーのように筋骨隆々とした体格。
 もう一人は……針金細工で作った人形のように痩せこけている。

 全員が黒いサングラスをかけていた。

「……お葬式の席では、とんだ無作法だったね」

 はげ頭が言った。
 抑揚のない、台詞を読んでいるような声で。

 シュワルツェネッガーのほうは、まさに「ターミネーター」よろしく、固定されたようにぴくりとも動かない。

 いちばん奇妙だったのはハリガネ男だ……まっすぐ立っていられないのか、頭をふらふらさせ、まるで風にそよぐように全身をくねくねと揺らしている。

(ブラックメン……MIBだ……)

 恵介は呼吸を整えて、3人を見据えた。

 黒いスーツにサングラスの3人組の男が、古い車の前に立っている。
 自分はおかしくなってしまったのだろうか? ……いや、これはまぎれもない現実だ。

 もともとわずかしか持ち合わせていない勇気を総動員して、恵介はハゲ頭に言った。

「お前らか? ……セルジュを警察から釈放させたのは?」

 語尾のほうはほとんど聞き取れないくらい声が小さく、言葉がもつれた。
 しかしハゲ頭に言葉は通じたようだ。

「そのとおりだ……君は不審に思っているだろうな。町の人々と同じように……」

不審だよ!」恵介は声を荒げた。もうヤケクソだった。「セルジュに、それにお前ら……不審そのものじゃねーかっ!」

 ふう、とはげ頭が大きくため息をつく。
 恵介に向けて、聞えよがしに。

「君は誤解しているようだ。君に誤解されたままでいるのは、我々の本意ではない」

 ハゲ頭の言葉には、やはり抑揚がない……ほとんどロボットのような口調だ。
 そして手をまっすぐ突き出し、子犬でも呼び寄せる仕草で、恵介を手招きする。

「乗りたまえ……少し君に説明しておきたいことがある」

 なぜこの車の後部座席に乗り込んでいるのかわからない。

 恵介の隣りにはシュワルツェネッガーのようなターミネーター野郎。
 狭い後部座席の三分の二を、その巨体が占拠していて異様に窮屈だった。

 運転しているのはハリガネのように痩せたひときわ奇怪な男で、助手席にリーダーらしいハゲ頭が座っていた。
 
 車は田舎の一本道を流している。
 とくに目的地があるようにも思えない。

 左にジャガイモ畑、右に大根畑。
 車が走り出して10分間、車内は完全な沈黙に包まれていた。

 しびれを切らしたのは、恵介だった。

「ど、どこに行くんだよ……説明って、何だよ?」

「すばらしい町じゃないか。君はこの町で育ったのかね?」

 急にハゲ頭が声を出す。
 前を見たまま、恵介に顔を向けずに。

 恵介はこくりと頷いた。
 ハゲ頭はバックミラーでその仕草を確認したのか、恵介の意思を理解したようだ。

「セルジュがこの町にやってきて、ちょうど8年になる。知っていたかね?」

 首を横に振る恵介。
 その意思もハゲ頭はバックミラーから汲み取ったようだ。

「私も30歳を越すまで、自分が生まれた町で育った……君ぐらいの歳には、町の隅々まで知り尽くしてるつもりだったが、実はそうではなかった。それから何十年も経った今、わたしが子供の頃に町について知っていたのは、ごく一部であったことに気づく……わかるかね?」

 どう答えていいのかわからない。
 いや、正直言って、何がなんだかさっぱりわけがわからない。

 恵介は沈黙したまま、ちらりと横のシュワルツェネッガーを見た。

 その逞しい太腿が自分の太腿の脇に触れている。
 まる鋼鉄で出来ているように、硬くて冷たい。

「君は今年で14歳になる……そうだな?」

 ハゲ頭が少しだけ恵介の方に鼻先を向けて言った。

「えっ……ああ、うん。まあ……そうだけど……」

「子ども時代から、少年に移行する時期だ……ものの見え方も随分変わってくる。身体が成長すれば、精神も成長する……そうすると、今まで見 えていなかったものが、見えるようになってくることがある。知らなかった、わからなかったことが、理解できるようになってくることがある。わかるね?」

 諭すような口調に、恵介は反感を感じた。

「そ……それとセルジュと、どんな関係があるんだよ? あいつのせいで、和男は死んだんだ……」

 しかしハゲ頭は、恵介の言葉を無視して語りだす。

「和男くんに対しては、我々も深く同情している。われわれは、君には彼のようになってほしくない。だからこうして君に会いに来た……和男くんにも接触したかったんだが、間に合わなかった。実に不幸な、悲しい結果になってしまった。それはわれわれの落ち度でもある」

「ど、どういう意味だよ? ……あんたら、セルジュとどういう関係なんだよ?」

「まず断っておくが、われわれはセルジュを監視してはいるが、管理することはしていない。というか、できない

 ハゲ頭がまた前方を見ながら言う。

「監視? 管理? ……どういう意味? あんたら、一体何なんだ?」

「これは10年間のプロジェクトだ……あと2年で終わる。8年前、あの屋敷を買い取り、セルジュをこの町に置いたのは……われわれだ。以来、われわれはセルジュ の生活を経済的、法的に支援している。セルジュは金銭に対してまるで無頓着なので、経済的なコストの面では助かっているが……なにぶんあの性格なのでね。 彼がちょっとしたトラブルを起こすたび、われわれが処理している。結構な苦労だよ」

「……な、なんのために、そんなことを?」

 当然、して然るべき質問だ。
 聞けば聞くほど、恵介の頭の中に“?”のサインが点いては消える。

「まあまあ、先を急がないでほしい……まずわれわれが、この町を選んだ理由を話そう……この町の地理的条件と、行政サービスのあり方、人口、住民の年齢分布、所得分布などが、われわれの試みにとって最適だったからだ……とくに所得分布が素晴らしかった。この町の人々は、多少の差額はあれど、ほとんど同じ所得圏内にある。全員がいわゆる中流より少し下か……もしくは少し上。ここまで見事に“中庸”の人間だけで構成された自治体は、日本国内でも珍しい。そんな意味で、われわ れはこの町を選んだ……セルジュを置くのに、最適だからだ」

「だから……何のために?」

「まあもう少し待って欲しい。一億総中流時代といわれた1970~80年代、バブルが崩壊した1990年代、その後の不景気、リーマン・ショック、アベノ ミクス、止まらない円安、物価上昇……日本経済は時代ごとに景気の波に乗って変動し、揺らいできた。その中で日本国民の意識も、同じように揺らいでいる……しかしこの町の安定性には目を見張った。この町は、ずっと変わらないんだ。都市部とのアクセスは少々困難だが、平穏な暮らし……あくまで、精神的な意味で、だよ……を過ごすには、これほど理想的な町はない。今後、大きく開発されて人口増加が望めるような見込みもなければ、大きな企業が誘致されるような可能性もない。極端な金持ちもいなけれ ば、極端な貧乏人もいない。人々の生活は、とても平均化されていて、安定している……だから、この町が選ばれた」

 隣りのシュワルツェネッガーの存在を忘れるほど、恵介のなかでは恐怖心より焦燥感のほうが大きくなっていた。

 いったいこのハゲは、何を言おうとしてるんだ?

「だ、だからっ……セルジュって何者なんだ? あんたらと、どんな関係なんだよ? だいたいあんたら、何なんだ? ……さっきから一体、なんの話してんだよ?」

 ハゲ頭がふっと笑ったような気がした。
 まるで機械のようなその男が。

「ようやく説明できるな……君の質問に答えよう。セルジュは、“刺激”だ……細胞を酸性溶液に浸して刺激を与えると、どんな細胞にも変化させることができる。確か、そんな内容の研究発表をした科学者がいて、世間は大騒ぎしたことがあったが……」

「あれは、ウソだったんじゃ?」

 恵介もはっきりと覚えてないし、そもそもその内容の理解すらできない。

「生命が辿ってきた進化について『突然変異説』があるのを聞いたことあるかね? ……生物は自然淘汰によってゆっくりと現在の生態系を築いてきたのではなく、ある日、 突然、爆発的に新しい種が生まれた、というんだ……いわゆる、ミュータントと言われる生き物が、少数派ではなく、ある日突然、多数派に成り代わる。それがいつ起こるか、どういう要因で起こるか、それは誰にもわからない」

「せ、セルジュは……」恵介は目眩を覚えながら言った。とてもハゲ頭の言葉が頭の中に収まりきらない。「セルジュは、ミュータント? ……あんたらは……政府の秘密組織か何かで……セルジュを作り出して……」

「違う。そういうB級ホラー映画みたいな話じゃない……先の科学者の説にたとえて言うならば、この町は無垢な“細胞”で、セルジュはそれに“刺激”を与えるため の“酸”だ……セルジュは、この町に刺激を与える。8年前にセルジュをこの町に置いてからずっと、彼はこの町に刺激を与え続けてきた……君は気づかなかっただろう。なにせ、子どもだったから。少年時代に入って、ようやくセルジュの存在感に気付いた……君もこの町という細胞を構成する要素のひとつだ。そのことによって、君の生活や考えは変化した。君の親友には気の毒なことをしたが……ああいう悲しい例もある。変化のためには」

「い、言ってることがさっぱりわかんねーよっ!! いいかげんにしろっ!!」

 恵介は身を乗り出して、ハゲ頭に迫った。
 隣りのシュワルツェネッガーは、まったく気にしていない様子で、微動だにしない。

 多分、ハゲ頭がリモコンを操作するまで、息もしないのだろう。

 ハゲ頭は答えない。
 ハンドルを握るハリガネ男の頭が、気味悪くゆらゆらと揺れている。

 しばらく車内は静まりかえり、古い車の騒がしいエンジン音だけが響いている。

 あれ、ちょっと待て……恵介は思った……車は西へ向かっているのでは?

 ……つまりセルジュの家のほうへ。

「降ろせ」恵介は言った。「……もういいから、降ろしてくれ」

「……今はすべてを理解できなくてもいい。これは多様性の発現を実証するための実験なんだ……われわれはセルジュを監視しているが、管理はしない。あれの好きなよう にやらせる。君の担任の先生にも気の毒なことをしたが、われわれが接触して、説明を行った……彼女も納得してたよ。たぶん彼女は、週明けには学校に復帰するだろう……そして、ほかの先生たちはもちろん、君のクラスメイトたちも、大きな噂を立てることはないだろう」

「そんなバカなことあるかっ!!」恵介はわめいていた。「降ろせっ! 車を停めろっ!」

「わかってほしい。セルジュは管理できないんだ……あの個体はとくに……あれには、何もかも好きなようにやらせるしかない。君らには、何もできない……あの個体を縛るものは何もない。何かあれば、われわれが処理する。警察に捕まっても、起訴されることもなければ、裁判を受けることも、まして刑務所に入れられることもない。マスコミが、彼のことを報じることもない……われわれはセルジュを管理できないが、そういうことは管理できる」

 恵介はハゲ頭の後頭部を睨みながら、声を絞り出した。

「……こ、このことを、ネットに公開したら? ……さすがにネットまでは、あんたらにも管理できないだろ?」

 ハゲ頭がクスリ、と笑い……やがて肩を震わせて大笑いを始めた。

 ガハ、ガハハ、ワハハハハ!

  ……ハリガネ男も運転しながら笑う。
 
 ヒッヒッヒッヒ! ヒャッヒャッヒャッヒャ! イーヒヒヒヒヒッ!

 隣りのターミネーターも、アハッ! ヒハッ! ブワハハハッ!と大型バイクのエンジン音のように笑い出した。

 車内が爆笑の渦に包まれた……笑っていないのは、恵介だけだ。
 やがて落ち着いたハゲ頭が、肩ごしに恵介を振り返って言った。

「いや、すまない。君の言うことがすごく面白かったのでね……いや、確かに。ネットを通せば全世界につながるとでも? ……君は本気で……ネットを通してこの何の変哲もない、誰も気に留めないような町と、世界がつながるとでも思うのかい? ……プッ、グハッ! ガハッ! ガハハハ、ワハハハハ! ……すまない、いやほんと、すまない……あ、そうそう。君は降ろしてくれ、と言っていたな。一刻も早く降りたいか? 家の前まで送っていこうか?」

「ここで、降ろしてくれ……今すぐ!」

 車が停車する。
 恵介は慌てて後部座席のハンドルを握るとドアを開け、車外に飛び出した。

 車は、一度クラクションを鳴らすと、Uターンして恵介の脇を通り抜けていった。
 中で3人の黒い服の男たちが、また大爆笑しているのが見えた。
 

 ふと見上げると、六角塔と、風見鶏、避雷針が真っ青な青空を突き立てている。

 セルジュの家の前だった。

 グルルル……獣が唸る声がした。
 はっと振り返る。

 和男が言っていた、セルジュの異形の犬が……恵介の背後、3メートルの距離にいた。

 真っ黒で、醜悪に太り、汚れた体毛はドレッドヘアのように縺れ、垂れ下がっている。
 その犬が、セルジュの家の敷地の外に出て、恵介を睨みつけていた。

 恵介は、後ずさりはじめた。
 犬に背を向けてはいけない。
 そのまま、じりじり、じりじりと……角を曲がるまで、延々と後ずさりを続けた。

 
 ずいぶんと離れ、その姿が米粒くらいの大きさになっても、犬が恵介を睨んでいることがわかった。

 そして恵介は、踵を返して……一目散に走りだした。


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