見出し画像

風間さんと鬼木さんで思い出すこと

風間さんが監督を務めていた頃、忘れられない試合があります。それは、2016年J1セカンドステージ第13節 川崎フロンターレ対横浜F・マリノスです。

この試合は、狩野の三好のゴールで2点を先制しながら、GKの新井の負傷交代をきっかけに追いつかれ、アディショナルタイムの小林のゴールで勝ち越す、という「等々力劇場」そのものの試合でしたが、僕は「自作自演の喜劇は一度で十分」「鹿島アントラーズや全盛期のジュビロ磐田はこんな試合はしない」とレビューに書きました。今の川崎フロンターレなら、絶対にこんな試合はしないと思います。懐かしい試合です。

なぜ、この試合の事を思い出すかというと、それは風間さんが腕組みしながら試合中に何度もタッチラインとベンチを往復する姿が印象に残っているからです。

腕組みしながらタッチラインとベンチを往復する風間さん

この試合はFWに小林、小林の背後に狩野と三好を配置しました。狩野と三好はゴールを挙げる活躍を披露しましたが、時間とともにミスが増え、2人のミスによってボールを保持できず、次第に自陣でプレーする時間が増えていきました。

風間さんがタッチラインを往復する回数は、時間とともに増えていきました。風間さんとしては、三好と狩野をできる限り引っ張りたいと考えていたはずです。今後の試合のことを考えると、2人が起用できる目処を立て、自信をつけさせ、戦力として活用していきたい。でも、この試合のことを考えると、早く交代させたほうがいい。そんなジレンマがタッチラインとベンチの往復から感じられました。

風間さんが川崎フロンターレの監督を務めている頃、最も印象に残っているのは「我慢する姿」です。ここで手を打てば試合に勝てるけど、後でしっぺ返しを食らう。そんな場面で、風間さんがグッと堪えている場面を何度も見ました。僕の中での風間さんは「我慢する人」です。

そして、風間さんがベンチに戻ってきてから、必ず相談する相手がいました。それが現在川崎フロンターレの監督を務めている鬼木さんでした。

自分で全部決めていた人が人に相談するまで

2016年シーズンの試合を見ていて、風間さんの行動で明らかに変わったことがあります。それは、ベンチの鬼木さんに選手交代や戦術の変更などを相談するようになったことです。

2012年に川崎フロンターレの監督に就任してから、風間さんはしばらくは「すべて自分でやる」という方針でチームを運営していたと感じます。基準を決めるのも自分だし、指導するのも自分。たぶん、最初の2年くらいは、自分が連れてきたスタッフ以外のスタッフのことを、信頼してなかったと思います。既存のスタッフの頭の中を変えるのも自分の役割。そう考えていた気がします。

2015年に自分が連れてきた望月達也コーチが退任してから、風間さんはチームを運営しながら育ててきたコーチたちと戦うことになります。鬼木さんが風間さんとベンチ内でコミュニケーションを取り始めたのは、2015年くらいからだと思います。

ただ、2015年シーズンは、試合中の決断は風間さんが決めていたと思います。そんなに風間さんが鬼木さんに相談していた記憶がありません。もしかしたら違うのかもしれませんが、まずはベンチの中で自分が何をしているのか、何を考えているのか、見てもらっていたような気がします。鬼木さんの反応と行動をみながら、少しずつ任せていった。そう見えました。

2015年シーズンはいま振り返ると、コーチングスタッフが少し入れ替わり、チームとしても踊り場に立ったようなシーズンでした。しかし、2015年シーズンのチームを支えた、田坂、武岡、森谷、新井といった選手の存在が、2017年、2018年シーズンのリーグ連覇につながったと思います。

余談ですが、2019年シーズンは、井川、田坂、武岡、森谷といった、出場機会が少なくてもチームを支えてくれた選手の存在がいかに大きかったかを実感したシーズンでした。このテーマについては、改めてnoteに書こうと思います。

引き継ぎを兼ねていた2016年シーズン

元の話に戻ります。

2016年シーズンが始まると、なんとなく「風間さんは今シーズンで最後なんだな」と感じるようになりました。記者会見のコメントなどでも感じることが多かったのですが、最も感じたのは、選手交代で3人の選手交代枠を使うようになったことです。しかも、的確に。また、ボールを奪う際のアクションも整理され、明らかに失点が減りました。僕は試合を観ながら「これは風間さんだけのアイディアで、チームが運営されているのではないな」と感じました。

そして、ベンチを見ていると、試合展開に応じてホワイトボードのマグネットをいじりながら、風間さんが鬼木さんに相談している場面を、2016年からはよく見るようになりました。1人で全て決めていた監督が、コーチを信頼してチームを運営している。チームの変化を感じるとともに、僕はこんなことを感じました。

これは、「引き継ぎだな」と。

なぜ、そんな事を考えたかというと、前例があるからです。読売ジャイアンツの長嶋監督は、監督を務めた最後のシーズンに、監督を引き継ぐことを前提に、当時ヘッドコーチを務めていた原監督に采配を託します。

私が監督として彼に託したかったことは、ジャイアンツは常に勝たなくてはならない。とにかく勝つ。そして、勝ちながらファンの皆さまに、「ジャイアンツの野球とはこういうもんなんだ」と喜んでもらうこと。そして、その中身は、自分で作っていかねばならない、ということでした。また伝統の大切さも常々口にしてきました。

鬼木さんに相談する風間さんの姿を見ながら、2016年シーズンは鬼木さんが決めている部分も多いのではないか。そんなことを感じていました。

そして、2016年シーズン終了後に風間さんは退任。名古屋グランパスの監督に就任します。鬼木さんは2017年シーズンから監督を務め、リーグ2連覇を果たします。

変革期を迎えた2020年シーズン

鬼木さんは風間さんとは異なり、コーチの力を活かしながら、チームを運営しているように見えます。時に自分が教える「ティーチャー」タイプのリーダーだと思いますが、ファシリテータータイプのリーダーとして振る舞おうとしている、そう見えます。

ただ、鬼木さんの強みが活きるのは、川崎フロンターレが時間をかけて、チームとして基盤を作ったからでもあります。大きく変革を求められたとき、鬼木さんは従来とは異なるリーダーシップが求められるのではないかと思いますし、もしかしたら、そのタイミングが、監督交代のタイミングなのかもしれません。

まだ発表になってませんが、2020年シーズンも鬼木さんが監督を務める場合は、4シーズン目を迎えます。風間さんが川崎フロンターレの監督を務めていたのは、4シーズン半。つまり、フロントは次の監督のことも考え始めていると思います。

鬼木さんがベンチで米山さんに相談しているのを見ていると、米山さんが次の川崎フロンターレの監督になるのかな、と思うときもありますし、別のコーチが監督になる可能性もあると思います。

果たして、引き継ぎは行われるのか。それとも、新たな道を作るのか。2020年は単にタイトルをかけて戦うシーズンというよりは、クラブとしてどう次の10年を歩んでいくのか。そんなことを問われているシーズンだと思います。

そして、いま改めて読むと、このnote面白いと思います。ぜひ読んでみてください。

ここから先は

0字
スポーツのコラムにプラスして、日記を書くことにしました。日記には、お会いしている人の話、プロジェクトの話、普段の生活など、表に書けない話を書こうと思います。

Jリーグ、海外サッカー、ランニング、時事ネタなど、自分が普段楽しんでいるスポーツの楽しみ方について、ちょっと表で書けない話も含めて、4,0…

サポートと激励や感想メッセージありがとうございます! サポートで得た収入は、書籍の購入や他の人へのサポート、次回の旅の費用に使わせて頂きます!