見出し画像

【#哲学のドアをあける 001】 人生の短さについて/セネカ著 「本当の意味で時間に自由を持ってる人の特徴を教えてやろうか。それは『過去のことを思い出せる人』だよ」

「ドアをあける」をテーマに、気になってたけど近づけなかったものへ、意識的に扉を開けて触れていく、その所感をまとめる連載noteをはじめます。
第一話は「古典哲学」にドアをあける。

人生の短さについて/セネカ著

最近読んで一番面白かった本(2023年冬の日記より)
あんまり面白すぎて、展示会に行き来する朝夜の電車内で、一気に読み終わる程だった。

この本は、いつ買ったのか覚えてない。
なんだか近頃、人生ってあっという間に終わりそうだなあ、いやだなあ、と思うことが多くて、出勤前、ふと視界の本棚前に置かれていたこの本の題名が気になり、移動中に読んだろ、と思って、手に取った。

その題名からの印象は「人生を健やかに生きるためには、やりたいことをやりなさいよ🎵」的な、ライトな自己啓発本。

でも、中身はかなり「お前のやってること全て、世の人間がやってることほぼ全て、ガチで、無駄ばかりである🌞」って感じの本だった。お前らは今この瞬間もかなり時間を無駄にして、浪費して、しかしそれに気付くことなく、一生を終えるのである。お前が仮に100年生きたとしても、お前が本当の意味で「自分の意志で自由に使った」と呼べる時間は、ほんのわずかである。マジ、速攻改めよ。ということを、ずっと言われる。はい、わかりました。では、どうすればいいんですか?という気分になって読み進めようとしても、「いやwお前まじで何もわかってないわw😅今、わかったフリして読み進めてたでしょ😅わかってるから😅そうやってわかったようなフリして、安易に答えを得ようとするところとかも、マジ、軽率で、何もわかってないわ😅お前が今頭に浮かべた、有意義な時間、過ごし方、それすら、自分で選んだものじゃないから😂😂😂」という感じの煽りを、先回りして、永遠に言われる。かなり、ハードコアな本だった。マジでこいつ、うっとおしい、会話のリズム感とか、ターン制とか、無視して、相手の会話にかぶせて自分の話をするタイプ、急に長文ライン送ってくる、友達絶対いないだろ、って感じの、パンクス、って感じの本だった。全然「じゃあ、どうすればいいのか」を教えてくれない。本題に、全然、入らない。あのー、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?と中盤まで読み進めても「はいお前のそこがダメ~。俺はレペゼン哲学✋市民らは全員アホ🤲歴史上の王、全員カス🖕なぜならば…😅」って感じの話を、哲学のすごさと、ダメなやつの例を、一生言われ続ける。でも、そのくどさがなんか、良かった。ライトに「ありのままでいいんだ🎵やりたいことは全部叶うんだ♬」と言われるより、全然、よかった。

ここで、パンチラインすぎる、と思ったフレーズを載せる。

「夜の来るのを待ち焦がれて昼を失い、朝の来るのを恐れて夜を失うおろかものよ🌕」

「過去を忘れ現在を軽んじ未来を恐れるものたちの一生は、きわめて短く、きわめて不安である😭」

パンチラインだ。

どんな王でも、市民でも、金銀財宝を得たり、地位を得たり、安定を得たとしても、それが崩れることに頭を悩ませ続けてるのであれば、それは全く自由な命を過ごしてることにはならないですよねえ、と、セネカは言う。

「最も惨めなものといえば、自分自身の用事でもないことに苦労したり、他人の眠りに合わせて眠ったり、他人の歩調に合わせて歩き回ったり、何よりいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである😡」

「自分自身の人生がいかに短いかを知ろうとするならば、自分だけの生活がいかに小さい部分にしかないかを考えろ💢」

「人は教えることによって、もっともよく学ぶ😁」

とも、セネカは言う。

パンチラインすぎる。

これは、トレンド、SNS運用、AIの発展、そしてそれに追従することに日々を忙殺されてしまっている状態の人間にも、ぴったりあてはまる、効果的な説法だと思う。

告白すると、僕にはこんな一日がある。

毎秒、インスタグラムを見てしまう、毎秒、YouTubeのトップページを見てしまう。Xも、スレッズも、新しいSNSサービスも、VRも、AIも、最新のインターネット・人々の動向が、とかく、気になってしまう。フィードにあがる「オススメのコンテンツ」を、リールを、tiktokを、特に見たいわけじゃないけど、全く受け身で、ぼんやりと、眺めてしまう。

挙句の果てに、自分もその流れに乗りたいと思う、その流れに表示されるコンテンツを作りたいなと思う、そんな一連の流れ・感情・欲望全てに対して、背後からヌッと現れた師匠から「自分の時間、なんも生きてねえなあ」と、ハッキリ言われた気分だった。

それは2000年前から現代に送られた、愛ある叱責である。

セネカは、こんなことも言った。
「本当の意味で時間に自由を持ってる人の特徴を教えてやろうか。それは『過去のことを思い出せる人』だよ✨」と。

これは、少し意外だった。
昔のことばかり振り返ってるやつって、なんだか、今を生きていられてないような、過去の栄光にすがってるだけなような、そんな気がする。もっと、今この瞬間の時代性とか、未来のこととか、そういうことに目をやってる方が正しいんじゃないか、と、近頃思っていた。

でも、セネカ的には「ちげえし。そっちの方がよっぽど、今を踏みにじってて、未来のこと見ようとやっきになってるだけで表層的なことしか見えてなくて、過去との連携も失ってて、ただ、流されてるだけだしい」とのことだった。

じゃ、どういう人間が自分の時間を生きていて、僕らは一体何すればいいんすかね。という疑問を、後半でやっと、教えてくれる。

それは、「🔥✞マジ、英知に触れよ✞🔥」ということだった。

とりあえずまず(とりま)、時代を超えて読み継がれる思想、哲学を読め。
ということだった。それは現代人からすると「古典」と呼ばれるものだ。

彼の伝えたいサビ部分は、そこにあった。
イントロが10分あってAメロが10分あって間奏が5分あってやっとサビが来るハードコアの名曲か。

そしてこれが本当によかったから、このサビの部分だけを引用して書き残したいと思う。

───────

英知(古典)は、あらゆる時代を自己の時代に付け加える。彼ら以前に過ぎ去った年月は、ことごとく彼に付加される。彼らはわれわれのために生まれたのであり、われわれのために人生を用意してくれた人々であることを知るであろう。
彼らの苦労のおかげでわれわれは、闇の中から光の中へ掘り出された最も美しいものへと運ばれる。
われわれはいかなる時代からも締め出されず、あらゆる時代に入れてもらえる。そこにこそ「自由」がある。

めっちゃ良いこと言いますね。

悩みも、懐疑も、安らぎも、人間性についても、古典に触れさえすれば、君は共有することができる。(一人で悩むことなく)どんな時代とも交わることができる。
彼らは誰一人留守にすることはない。誰一人近づくものを拒まない。訪れたものには、どんなものにも手ぶらで帰すことはない。夜であれ昼であれ、どんな人間でも会うことができる。

英知、めっちゃいい人ですね。

誰一人君に死ぬことを強制しない。でも、誰もが死についてを教えてくれる。誰一人君の年月を使い減らすことはなく、かえって自分たちの年月を君に付け加えてくれるだろう。

誰の言葉にも危険はなく、誰と複数付き合っても罪に問われることなく、金もかからない。
君の望むものはなんでも取り出せる。取り出せないときは、彼らのせいではないだろう。
彼らは共に考え、助言を与え、お世辞はせずに褒め、真似て表現することを受け入れるだろう。

どんな両親を引き当てるか、われわれに選ぶ権利はない。けれど、古典に触れれば、誰の子にでも生まれることができる。
君は養子に入りたい家庭を選び、その家の名を継ぐばかりでなく、その財産も引き継ぐことができる。その財産は、けちけちして守る必要もなく、奪われる不安もない。
なぜなら、多くの人に与えれば与えるほど、それは増えていくからだ。

彼らは君に永遠の道を教えて、誰からも引き落とされない場所に君を落とす。それは、いつか死んでいく人生を引き伸ばす、いや、不滅に転ずる唯一の方法である。

名誉や記念碑といった功名心によるものはいずれ倒壊する。けれど、もしも英知になったのならば、いかなる時代もそれを滅ぼさず、減らさない。
次の時代へ、更に次の時代へ、常に受け継がれるからだ。

───────────

彼は長い手紙形式で「英知(古典)やばっ❗これはマジでオススメだ❗❗❗❗」と言いたいだけだった。

ずっと、そうじゃないものを罵倒しつづけ、君はまだまだ浅いと言い続け、こいつ、なんなんだよ、と思いながら聞いてた話の先に、そんなにも前向きな話をされるとは思わなかった。

古典が、いかにあなたの人生において効果的に働くか、いかに「今この瞬間」に生きることの孤独感や無力感に対応しうるか、それが彼の一番伝えたいことだった。

「オンタイムで生きること・自己判断のみに生きること・孤立した思想をもつこと」から抜けよ、それは可能だよという話から、今あなたが20才だったとして、古典を読むことで君はその著者の年月が付け加えられるから、60才にもなれるし、320才にもなれる。そしてきっと、10才のような吸収度を持つことも出来るよと。そんなこともセネカは教えてくれた。

これは、哲学についての哲学書だった。
広義の哲学というものが、どんなものなのか、どんな作用をもたらすのか、それを一旦教えてくれる、ゲートウェイ的な本だった。

とっつきにくいなあと思っていた「哲学」についてを教えてくれる、尖りながらも素直でとても優しく愛ある手紙だった。

この結論があるのなら、それまでの、あれもダメこれもダメって批評も、合点がいった。そして僕はこれらを「芸術」の別名かもな、とも思った。

未来に受け継がれていく、時代と時代を接続させる力を持つ、心を打つ、創作物。

名誉や功名心のための造形物じゃなく、得れば得るほど臆病になったり不安になる資本主義的・数字的なものでもなく、自分が、自分自身が良いと思ったものを形にする、そしてそれが、人から人へ伝播される力を持つ、与えれば与えるほど減らず、むしろ増える、愛、に近いもの。

休暇より、財産より、名誉よりも、「英知=芸術=創作」に近いものに多く触れ、追いかけ、自らも発信し続ける人生をお前は過ごすのだ。それこそが、この短い人生を短く終わらせない、あらゆる世界とも、あらゆる時代とも接続する、とっておきの方法なのだ。

と言われた気分になって、なんかちょっと、嬉しかった。
作ることを楽しもう。これからも。と思った。

2000年前に書かれた説話とは思えないくらい、現代にも通じる普遍的なことが書かれてる。おすすめの一冊でした。

#哲学のドアをあける

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?