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キャビア・ド・オーベルジーヌのこと

 茄子が好きだ。旨いからである。
 何にしてもある程度旨いが、最も活かすべき特徴は身のとろりとした食感だと思う。揚げるとうっとりする程滑らかになる。ただこれはカロリーの面で懸念がある。蒸してはどうか。いや、それよりは焼き茄子の方がよいだろう。皮の香ばしさの移った、むにゅんと甘い身。無上である。

 とはいえ、私は焼き茄子をそれほど作らない。いけないのは時間がかかることだ。旨い焼き茄子の為には、じっくりと焼く時間と、しっかりと冷やす時間、その両方が必要だ。
 せっかちな私としては、手数が多いのは構わないのだが、待つのが嫌なのである。

 ところが近年、待つ時間はなしで、とろりとした茄子を食べる方法を学んだ。キャビア・ド・オーベルジーヌである。

 やたらに格好のいい名前だが、日本ではよく『貧乏人のキャビア』と紹介されている。
 キャビアに擬えるのは茄子の種の粒々している様がキャビアに似ているからとか、皮の黒さがそうだとか、色々に言われているようだが、どれが本当なのかは浅学の私には判らない。だが『貧乏人の』というのは、まあそうだろうな、と思う。実際に素朴な材料から作られる。茄子と大蒜と油、後は味付けの塩、それだけである。檸檬とか柚子とか、何か酸味のある柑橘の汁を加えるとかなり旨いので何とかこれも用意してほしいが、必須ではない。
 世間ではドライトマトとかオリーブとかアンチョビなど入れる方もおいでだが、誠に失礼ながらこういったものは入れない方が旨い(と私は思う)。茄子の身が甘く蕩けていればそれで十分なのである。

 問題の茄子は一本、ヘタを落とす。それをラップで包み、電子レンジにつっこむ。ヘタを落としているので爆発の心配はないと思うが、心配なら茄子の皮に穴を開けておくとよかろう。大体一分から一分半も温めればへにょへにょになる。絶対に、何があっても、水に晒してはならない。ただまな板の上に置いて、縦に二分する。
 茄子は熱くてとても触れないので、先に大蒜をひとかけ微塵に刻む。細かくできればできる程よい。これをフライパンに入れる。
 そこに油を大さじ一杯入れる。本来はオリーブオイルを使うところなのだろうが、私はサラダ油を使うことが多い。大抵家にあるし、私はオリーブオイルの臭いが苦手なのだ。
 これを火にかけるが、始めから一番小さな火にする。弱火と言うよりはとろ火である。あまり強いと茄子を用意している間に焦げてしまうし、大蒜が中まで柔らかくならず口に障るような気がする。
 さて、多分この頃には『触れんこともないな』くらいに茄子が冷えてきているだろうから、身をスプーンでこそげ取る。お尻の方からこそげた方が気持ちよくつるっと取れる気がする。そうして取れた身を、包丁で細かく叩く。慣れていない方は包丁が飛んで行かぬようによくよく気をつけてほしい。
 ペースト一歩手前になったら、フライパンを見る。大蒜に丁度よく火が通っていい匂いがしているだろうから、茄子の身を入れて中火にする。塩を一つまみ、柑橘があるならひと絞りする。
 少し水分が飛んでねっとりするまで炒め合わせたら完成である。

 パンに乗せるのもよいが、私はクラッカーに乗せるのが好きだ。
 ざくざくしたクラッカーと、大蒜の香りのついた油を吸ってとろとろになった茄子の身のコントラストがいい。水分が飛んだお陰で茄子の甘味がはっきり感じられる。シンプルに旨い。酸味が少し入っていると味に奥行きが生まれて余計に旨い。私は酒を飲まないが、恐らくワインに合うだろう。今まで食べさせた誰かがなんかそんなようなこと言ってた。

 うちにはローズマリーの鉢があるので、そこから小枝を一本拝借して入れることもある。この場合は茄子を加える前に取り出して捨てる。具としては硬くて邪魔になるからだ。とにかく茄子の滑らかさ、その甘味、むにゅっとした食感、それが身上である。たまらんのである。イチオシである。

 惜しむらくは軽食であって、どっしり腹には溜まらないということだろうか。これで腹いっぱいになりたいと言ってたくさん作ると、揚げ茄子同様カロリーの懸念が発生する為、そういう訳にもいかないのだ。茄子一本分をちみちみ噛み締めるのが、まあ人間風情には丁度よい幸福なのだということかもしれない。


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