沖縄滞在7ヶ月

沖縄に移り住んで間もなく7ヶ月になる。「1週間があっという間に過ぎていく」と月曜日が訪れるたびに思うのだが、「あっという間」がいくら重なっても「あっという間」でしかなく、この7ヶ月は嘘みたいに早く過ぎていった。うつの最も激しい頃、ぼくは布団に根を生やした植物のように寝つづけていた。あの頃の時間の感覚と今とでは明らかに違う。

「スロウライフ」とか「沖縄に流れるスロウな時間」などといったキャッチコピーをよく耳にするし、自分も好んでそのような表現を用いていたのだが、「スロウ」というよりも、「身の丈にあった時間」と言った方がしっくりくるように思う。

「まだ来ない未来のことで思い煩い、今というときを潰してしまうよりも、今というときを楽しめ。未来といっても今の連続でしかないのだから。なんくるないさもてーげーも、沖縄のそんな思想が背景にある言葉なんだよ」

--数年前、屋我がぼくに教えてくれたことだ。この言葉がどれほどぼくの救いになったかわからない。ぼくの人生を大きく方向転換させてくれた恩人の言葉である。


それにしても、ハルシオン1錠で眠れるようになってきている自分には、自分でも驚いている。沖縄に渡った当初は睡眠薬だけでも6種類の薬を飲んでいた。今では、「薬が病状をよくしてくれる」という発想はなくなり、むしろ逆に薬が邪魔に思えてきてならなくなった。沖縄・・・・・・というよりも、屋我を中心としたガラス工房の人々に守り育まれながら、ぼくはこの7ヶ月の間に随分と健康を取り戻してきているように思う。ITの先端技術を駆使するシステムコンサルタントの「時を踏む」歩調をつづけてきたぼくが、火とガラスでモノを作る「歩幅」をのみこむまでには、それなりの時間はかかった。いきなりガラス工房の時間に自分が合わさったわけではない。その間には寝込みもし、恐れもし、苦しみもした。だが、もう生きていくには選択が他にはなかった。「沖縄へ!」。幸いにしてガラス工房に呼ばれて屋我たちとともに仕事をするようになった。人々に愛されるような「ニラカナちゃん」も生み出し、それにまつわる幸せな人のつながりもできた。僭越ながら、「ガラス作家」としての幸せもこれで味あわせていただくことにもなった。


今日は4月に工房を訪れたことのある、TVやFM横浜などで活躍をされているフリーアナウンサー・Mさんが再度、我が工房に来てくださった。「ニラカナさんはいませんか?」と名前まで覚えてくださっていたのだという。彼女が工房を訪ねてきてくださったときは、ぼくは恩名村で、これもまた沖縄で何度もお会いするようになっているディアマンテスのアルベルトさんたちと一緒に過ごしていた。アルベルトさんは何度もぼくの手を握り、一緒に沖縄に文化と幸せの輪を広げていこうっと仰ってくださった。これだけ何度も会うようになって熱い語らいができるようになったのも何かの宿縁だと感じてやまない。アルベルトさんは「世界のうちなんちゅ大会」で披露する予定になっている曲と、ディアマンテスの名曲・「勝利の歌」をギター一つで歌って下さった。「勝利の歌」には、こんなフレーズがある。


いつか時が過ぎて どこへ行くのかと
自分を探して ためらっても
胸に呼びかけて 大切なこと
力強く 勇気を持って

勝利の歌を歌おうよ まっすぐ前を向きながら
生きてる喜び感じよう いまの自分を信じて
勝利の歌を歌おうよ いつかその夢叶うから
生きている喜び感じよう Hey much por hacer

まだこの先は 見えないけど
君が作る この道がすべて


アルベルトさんの、目の前にいる一人を大切にするんだ、という熱い思いをひしひしと感じ、目に涙が溢れた。ありがたい人を友だちに持ってしまった。


その余韻を残しつつ工房に戻ると、前述のMさんが吹きガラス体験をされていた。ぼくと一緒にガラスを作ったことがとても思い出に残っていて、ぜひまた一緒にガラスを作ってみたいと多忙なスケジュールの間を縫ってやってきてくださったのだという。こうしてまた来ていただけ、「会いたかったぁああ!」と再会を喜んでいただけると、ぼくの方も嬉しくなる。「文化と幸せの輪」は小さな出会いから大きなものへと発展していくものだと思う。


その後、ピザ屋で食事。食事を終えたあと、りょうさん、かっこちゃん夫妻は、「どんな本を読んでいるのか見てみたい」と我が家へ訪ねてきてくださった。ご夫婦で我が家を尋ねてこられたのは、今回が初めてだった。ブライアン・L・ワイスの「魂の伴侶」、「未来世療法」、フィンの「アンナの小さな神さま」をお貸しした。
「これからもニラカナ文庫としてどうぞご活用ください」
とぼくは笑った。

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