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2020年6月福島取材②/新たな線引き

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特定復興再生拠点区域でありながら、ネットで公開されていたモニタリングポストでは毎時4.7μSv以上の数値を示していたJAふたば総合営農センター。実際に足を運んでみると毎時5.84μSvを記録した。探せばもっと高い場所があるかもしれない。このエリアは広範囲にわたって毎時3μSv以上の場所が広がっている。ふと思い出してみると、初めて六国を走った15年5月、六国沿いのJAふたば大熊集配センターの前で下車して写真撮影をしていた。あの場所は、後にネットで調べて、毎時17μSvを超えていたと記憶している。皮肉にも、今回もJAの施設で高線量というわけか。

笑えないな…と思いつつ乾いた笑いが出てしょうがない。その後も線路沿いを北へ向かって進むが、常に線量は毎時1.5〜3.0μSv。高すぎる。

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マスク嫌いの僕でも、マスクをせざるを得ない。ウイルスではなく放射性物質だ。原発構内と違って、このエリアでは放射性物質は全く管理されていない。野放しだ。

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歩いていると、常磐線の線路の向こうにセメント工場が見えてきた。

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いつも代行バスの中から眺めてた帰還困難区域の風景。今そこに僕はいる。何とも奇妙な感覚に襲われる。現実のような夢の中にいるような。周囲は静寂に包まれていて、ただひたすら野鳥の鳴き声だけが響いている。

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綺麗な地層に覆われた崖が見えてきた。そこには大きな穴が空いている。人為的に掘ったものか、自然に出来たものかはわからない。このような穴は、双葉町内で他にも見たことがあるが、これは戦争中は防空壕としても使われていたようだ。

そこから西へ進む道があり、その先にはバリケードがある。

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バリケードの脇には、これまでなら「この先帰還困難区域につき通行止め」と書かれた黄色い看板だけが立っていた。しかし今は、「ここまで特定復興再生拠点区域」という看板も加わる。帰還困難区域内にこうして新たに線引きが為され、そこでまたかつての住民たちは分断されていく。複雑な思いでバリケードを写真に収めた。

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「この先通行制限中につき通り抜け出来ません」と書かれた看板が出てきた。なるほど、もうすぐ浪江と双葉の町境付近か…と思いながら歩いていると、前方からパトロールの車がゆっくりとやってきた。こちらを睨みながら、「何してんの?」と声をかけてくる。

「何って、撮影です。絵を描くための」
「この先は行けないよ!」

そう吐き捨てるように去っていった。こんなことは…過去にもあった気はするが、ここまで敵意を剥き出しにされたのは初めてかもしれない。避難指示解除されたエリアを歩いていると、怪しまれて変な目で見られることはよくある。そのたびにいつも思う。

「じゃあ立入規制緩和なんかすんなよ」

避難指示解除と喧伝されて、全国から空き巣が集まってるという。震災から9年も経つのに。福島は今も行政に掻き乱されている。

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今にも崩れそうな家を横目に歩いていくと、帰還困難区域のゲートが見えてきた。

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撮影しつつ「お疲れ様でーす」と声をかけながら近づく。

「ここで働くようになってどれくらいですか?」
「ああ、最近来たばかりなんですよ」

そんな話をしていると、奥からベテランらしき警備員が出てきて言った。

「そういうこと聞かれると困るんですよ。内閣府を通してくれないと…。僕ら、嫌な思いもしてるんで」

どんな嫌な思いをしたのだろうと思いつつ、

「あ、いや、これを記事にするとかではないです。僕は絵を描くために写真を撮ってて、参考に話を聞いただけで。すいません、ご迷惑おかけしました」

そう言ってその場を離れた。

過去に「個人情報が…」と言って何も話してくれない人がいた。そんな通達が出てるのは知ってる。しかし、復興庁でも環境省でもなく、内閣府からだったのか…その名前をここで聞くとは思わなかった。

現場で働く人はみんな必死だ。僕は彼らの邪魔をしようとは思わない。

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(今にも崩れそうな家。中には賞状が飾られたままだ。)

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(ここから踏切の先まで線量の高いエリアが続く。)

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来た道を戻りながら、線量計に目をやりつつ歩く。高い。ステーションプラザふたばで借りた積算線量計の数値もどんどん上がっていく。しかし僕が持つガイガーフクシマの数値よりは低い。おそらく行政が寄越したものは、γ線しか測れないのだろうし、体の前面から来る放射線しかキャッチしてないのだろう。

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(このコメリの脇はホットスポットだ。)

町なかへ戻ると線量は若干下がるが、場所によって毎時2.0μSvくらいまではすぐに上がる。所謂ホットスポットというものだろうが、そんな「スポット」が双葉駅前にはまだまだたくさんある。

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(解体されフレコンバッグに詰め込まれる家。この光景を、解体=復興と安易に話したカンニング竹山に見せてやりたい。見る気は無いだろうが。)

立入規制が緩和され、常磐線が全通してから解体が一気に加速したのか、あちこちの家がフレコンバッグへと化けていく。双葉駅前はまだ住むことは出来ないが、これは浪江でも富岡でも見た景色だ。解体せずに帰還した人もいるが、それはつまり「解体すれば放射性廃棄物としてフレコンバッグに詰め込まれる家」に住むこと。逆に言えば、放射性廃棄物としてフレコンバッグに詰め込まれているのは、土も含めて全てがその土地に住んでいた人たちの「財産」だ。

「国民の生命と財産を守る」のなら、原子力発電など行うべきではないのだ。

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六国を超え、長塚三ノ宮方面へ向かおうと思うが、気が変わって六国沿いを歩き、双葉厚生病院へ行くことにする。

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ダンプが走り抜ける六国を歩くのは、線量はさほどでもないものの、とにかく土埃が舞うのでマスクは必須だ。

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(双葉町の六国よりも海側は絶賛工事中。「復興」の名の下、震災前の風景は消されていく。)

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(何が「復興」なのか。)

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(前田川)

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「復興シンボルロード」と書かれた看板がただ白々しく、地下道入り口脇の花壇の手入れは「ハッピーロードネット」。原発事故をなかったことにし、福島を食い物にしようという魑魅魍魎が蠢いている。苦々しい思いで、双葉厚生病院の前に立った。

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<続く>

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