見出し画像

2017年福島の旅

3月19日から21日まで、二泊三日で福島を旅してきました。とても濃ゆい3日間でした。まとめ のようなもの をアップしたいと思います。大量に撮影した写真はまた後で追加でアップしていきたいと思います。

ハイライトは、木戸川沿いを歩く猪、フレコンバッグの山、帰還困難区域の状況、南相馬より北の常磐線の津波の爪痕、中筋純さんとの出会い、その後の打ち上げ、米坂線や上越線の雪…などなど。

竜田駅から木戸駅まで歩く中、木戸川の土手の上から猪を発見した時は本当に驚きました。ここは避難区域ではありません。たった1割とはいえ、人が帰還してきている場所です。猪の歩く先にも民家があります。僕が住むさいたまの荒川沿いを猪が歩いていたらTVのニュースです。

福島テルサでの中筋純さんの展示では、南相馬の語り部の人の率直な話が聞けました。搬出後の打ち上げでは浪江や飯館の人たちと酒を酌み交わし、とても貴重な話が聞けました。また、避難区域外の福島の人の率直な思いや、今まさに建設中の大間原発周辺に住む方の話も聞けました。ちゃっかり中筋さんの隣に座り多くのことを話し、東京五輪に合わせて様々なアーティストが参加する形での「大福島展」の構想も聞けました。畏れ多くも一緒にやりたいと伝えたし、何人かの絵描き仲間にも声をかけたいと思います。

浜通りに行くのは3回目ですが、エアーカウンターを持って行ったのは初めてです。放射線については素人ですが、素人なりに感じるものが多々ありました。2日目、帰還困難区域をバスで通過した際は、最大で2.23μSv/hまで車内の線量が上昇しました。バスの車内、そして車高を考慮すると、あの地点は8〜10μSv/hくらいはあったかと思います。2年前に行った時は、国道6号線上の最も線量の高いモニタリングポストで14.7μSv/hだったので、それよりは下がっています。でも東京の160〜200倍です。

原発タブー、福島タブー。一緒に呑んだ人たちは誰もそれを感じていました。このまま福島以外の地では風化させて、終わったことにしようという大きな思惑を感じます。風評ではなくて実害です。震災から6年が経ち、日本政府やメディアは勝手に区切りをつけたがってますが、まだ溶け落ちた核燃料がどうなってるかさえわからないのに、廃炉の行程表がどうの避難指示解除がどうの言ってる場合じゃないでしょう。避難が長引いたから帰還率が低いとか、避難させた民主党がとか年間20mSvの基準がどうだとか年間100mSvまで平気とか、物事はそんな単純じゃないでしょう。まずそういう学者が帰還困難区域に住めばいいでしょう。放射線管理区域という概念は一体どこに行ったんでしょう? 日本は法治国家ではないのですか? 最初はメルトダウンを否定して、それがバレれば大して漏れてないといい、漏れてることがバレればこれくらいの線量では平気だといい、甲状腺癌が増えれば過剰診断だといい、挙句避難したことのストレスの方が放出された放射性物質より深刻だといい。今度は安全と安心は違うだと? 言葉遊びしてんじゃーぞ、そんなに核兵器温存したいか、お前ら?

南相馬の語り部の方は、その地に残り子供を育てる決心をしたことで、右からも左からも叩かれるという不条理を聞かせてくれました。全ての根本は国の原発政策であり東電であるのに、どうして福島県民が喧嘩しなければいけないのでしょう。福島に呪いをかけている? この旅で一緒に呑んだ人たちは誰も原発反対だけど、みんなとても明るくて呪いなんかかけられてませんでした。呪いをかけてるのは、此の期に及んでまだ原発が必要だと言い続けてる人たちの方でしょ? 学者連中も、エビデンスがどうとか横文字使って上から目線でモノ言ってんじゃねーよ

…すいません、少し興奮しましたw

避難区域外の福島の方は、とにかく自分の目で見てくれと話してました。2年前に行った時、僕もそう思ったし、今回も思いました。原発推進も反対も、まず福島に行って自分の目で見るべきだと思います。物見雄山だと批判する人もいます。でも、そんな物見雄山の報道を遠くで読んでるのも同じでしょう。自分の目で見て判断することをいけないことだとは僕は思いません。去年行ったニューヨークだって、行かなきゃわからないことはたくさんあった。僕は原発事故が完全に収束するまで(おそらくそれは僕が死んだあとの話だけど)、福島を見続けていきたいと思います。また皆と再会して呑みたいです。

畏れ多くも絵描きであり表現者の端くれでもある僕は、中筋さんのように強いメッセージを発することは出来なくとも、同じように福島を描いて表現していきたいと強く思いました。大福島展、本気でやりたいです。

サポートしていただけると大変ありがたいです。いただいたサポートは今後の取材活動や制作活動等に使わせていただきます。よろしくお願いします!