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2020年6月福島取材⑫/遅れてやってきた「津波」

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<続き>

前回、大野駅前で警察官から職質を受けたことを書くのを忘れていた。

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職質というとどうも物々しいものを感じてしまうが、僕は浜通りで出会った警官にはいい印象しかない。ほとんどが福島県外から応援で来ている警官で、話すといい人ばかりだ。この日も笑顔で声をかけられた。イラストを描くために取材してることを話し、iPadで自分の作品を見せる。既に10kmほど歩いてきたことを伝えると「疲れた顔だね」と笑われたw 翌日の6/8に帰還困難区域に入域することになってるので、その旨を話し身分証明書を見せる。この後富岡駅へ移動し、コンビニのイートインで休憩することを伝えると「疲れただろうし、ゆっくり休んでね。」と言って警官は去っていった。

富岡駅脇のコンビニ、さくらステーションKINONEで冷やし桜うどんを食し1時間ほど休憩した後、ちょうど電車が来たので夜ノ森駅へ。前回3月に来た時はあまり夜ノ森駅周辺を見れなかったので、この日も1時間程度だが、周辺を歩いてみる。

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安っぽいプレハブ小屋のような夜ノ森駅の東口へ出る。

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夜ノ森駅東口は道路だけが立ち入る事が出来る。こんなのは「避難指示解除」とは言わない。

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夜ノ森駅東口は、大野駅周辺と同様、道路だけ立入規制が緩和され、家屋や施設は金網で厳重に仕切られて入ることは出来ない。この点は様々な廃墟が晒しものになっている双葉駅周辺との大きな違いだ。双葉駅前はこれから徹底的に解体する予定だから放置に近い状態なのだろうが、大野駅と夜ノ森駅周辺は何故こんなに厳重に管理され、解体の目処も立ってないのか。

この点は双葉町の知人も不思議に思っていて、10月に伝承館に行った際に、大熊町から避難している語り部の方に尋ねていた。その方も理由はわからず、本人の推測と断った上で、「線量が高すぎて、解体しても持っていく場がないのでは」ということだった。

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解体されてできた更地に雑草が茂る。

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夜ノ森駅の東側は、道路を歩いてみると線量はさほどでもなく、高い場所でも0.7μSv/h程度。しかし東京新聞の記者さんの感覚では、夜ノ森駅の東側はかなり高線量だという。双葉と違って大野駅のように厳重に金網で仕切って管理しているということは、記者さんの感覚が正しいのだろう。夜ノ森は桜が咲く頃には多数の花見客で溢れ、その中には就学前の子供やペットもいる。そのことも考えていると思う。

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夜ノ森駅から東へ向かい、桜並木の道で北に曲がる。立派な建物の「健康増進センター・リフレ富岡」も金網とバリケードで厳重に守られている。

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中が見てみたい…

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最近、解体が始まったとSNSで見た。富岡駅は場所も変わり周辺は震災前とは様変わりし、夜ノ森駅も解体、回転寿司アトムも富岡町の小中学校も解体、「なかったこと」にすべくかつての建物の解体は次から次へと進んでいく。

放射性物質で汚染されたからやむを得ないことなのかもしれないが、こんな風に別の町へと変わってしまうなら、帰れなくていいからそのままにしておいてほしい、そんな双葉の人たちの声を僕は忘れない。浪江も解体され、今は双葉が「解体」という形で破壊されている。これは、原発事故によって9年遅れてやってきた「津波」なのかもしれない。

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バリケードばかりだ。こんなのは「避難指示解除」とは言わない。

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法喜山妙栄寺。ここも解体された。

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夜ノ森駅北側の陸橋前。北も南も通行止め。

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太陽光パネル。

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線路の上の陸橋を渡り、夜ノ森駅の西側へ。電車の時間がないので、今日はここまで。せっかく夜ノ森駅が開通したので、いつか必ず夜ノ森駅の西側も歩いてみたい。今や線量も下がり、解体もあらかた済んでしまって、かつてを彷彿とさせるようなものは何も残っていないかもしれないが。異様なメガソーラー施設を見るだけでも価値はあるだろう。

ここで僕は、恥ずかしい話だが少しもよおし、東口のトイレへと向かった。この時点では夜ノ森駅前には建設現場などによくあるスーパートイレしかなかった。汚いイメージしかないスーパートイレに入ることを少し躊躇したものの、扉を開けてみてその心配は稀有に終わった。驚くほど綺麗に掃除されていたそのスーパートイレは、そこにほとんど人が訪れないことの証でもあった。

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この時はトイレは建設中。旧駅舎に似せたトイレが先月(11月)出来た。

夜ノ森駅は、3月の五輪の聖火リレーに間に合わせるため、駅舎は安っぽいプレハブだ。五輪がなければ、もっとちゃんとした駅舎が出来たかもしれない。

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夜ノ森から電車に乗り、いわき行きの電車に乗る。富岡駅へ向かう車窓には、耕作放棄地に生い茂る美しい緑が現れ、思わずシャッターを切る。

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富岡駅を過ぎると、今度はそれが水田に変わった。ここでは稲作を再開したのかーー 感慨深く感じながらも、土壌はどれだけ汚染されているのかとふと思う。放射線管理区域並みの場所で、農家は丸腰で仕事しなければならない。農家の努力によってコメにセシウムが移行することはほとんどなくとも、福島のコメのブランドイメージは原発事故で徹底的に壊されてしまった。為政者が風評被害ばかりを強調し生産者と消費者の対立を煽ったとしても、そもそもの問題は原発事故であるということを忘れてはならない。「風評」なんて言葉は、本当の被害を隠すためのカモフラージュに過ぎない。

この日、いわき以北滞在約11時間で5.16μSv。1時間あたり0.469μSv。ただし、そのうち大熊滞在時間は6時間半。それだけで4μSv以上は積算でいってると記憶しており、前日歩いた双葉とほぼ同等の被曝量とみなしていいと思う。

いわきへ向かう途中、翌日6/8に双葉へご一緒するOさんと連絡を取り、定宿にしているホテルにチェックインした後、2人で行きつけのスプーンさんへ。

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絶品の鰹。

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僕が描いた浪江時代のスプーンのイラストのプリントを店内に展示、実家では原画を飾ってくれているという。

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最高に美味い常磐ものとサービスのあら汁に舌鼓。帰り際、ママさんは全身真っ赤に日焼けした僕に保冷剤のお土産をくれた。優しい心遣いに感謝。また必ず呑みに行きます!

<続く>

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