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2020年6月福島取材④/晒しもの

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<続き>

東電長塚第二独身寮は門がしっかり施錠してあり、敷地内に入ることは出来なかった。そのまま海の方へ向かい、避難指示解除されたエリアを見てみようと思ったが、今現在工事の真っ最中であると思われ、あえてそこまで行くことはやめた。

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(放置された車。)

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(中間貯蔵施設とその周りに仮置きされたフレコンバッグ。)

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(ここにも中間貯蔵施設が出来るのだろうか。)

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遠くにドーム型の建設中の建屋が見える。中間貯蔵施設と思われる建屋とは形状が異なり、あそこは減容化施設なのかもしれない。何にせよ、ここには福島県内各地から放射性廃棄物が運び込まれる。国はここを「中間」というが、そんなものは欺瞞だろう。果たして一体どこの県が、溢れるほど大量に出た放射性廃棄物を受け容れるというのか。中間貯蔵施設のための敷地買収は思うように進んでないと言われているし、予定地を全て買い取っても全てを収容することは出来ないと言われている。入りきらない分の汚染土や30年後のリミットを見据えて環境省がひねり出した策が、基準を80倍に引き上げた「8000bq/kg以下の汚染土の再利用」というわけだ。世間の科学至上主義者達は安全安全というが、その明確な根拠を目にしたことは僕はない。

中間貯蔵施設とフレコンバッグの仮置場が併設されている場所へ向かう。ここは…おそらく17年11月に訪れた場所だ。しかし、行けると思ったらバリケードが見えてきた。

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「ここまで特定復興再生拠点区域」と書かれた看板と「この先帰還困難区域につき通行止め」と書かれた看板が併設されている。二重の線引きだ。ややこしいことこの上ない。

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「この先帰還困難区域」というが、実際にはこのエリアの空間線量はそれほどではないと思う。中間貯蔵施設建設エリアであり、様々な人や車が行き来する場所で、除染はそれなりに徹底されているはずだ。単純に、ここに人が紛れ込むと作業の邪魔であり、多数ダンプが行き来する場所なので危険ということだろう。その危なさは、浪江で大平山霊園を経由して請戸まで歩いた時に痛感している。

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(黒い袋の山に圧倒される。)

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緑色のシートがかけられている場所もあるが、むき出しのフレコンバッグも多数見える。今まさに福島県中から集められ、積み重ねられていく最中だ。五輪は延期となったが、本来は五輪開幕だった7/24までになんとか、どうにかこうにか隠したい一心なのだろう。富岡でも浪江でも、目につく場所からはだいぶ隠されてしまい、今では僕みたいなマニアぐらいしか、仮置場の場所を知る人は少ない。

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この日は土曜日だったが、この場所で働いている人は何人かいた。時たまダンプも行き来している。しかし僕はその視線をほぼ気にする事なく、撮影を続けた。動画も撮った。その辺の図々しさはだいぶ身についてきた。何より、この日は役場に個人情報を晒して積算線量計を借りているので、文句があるなら役場にどうぞという感覚もあった。

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奇妙な線引きと大量のフレコンバッグに少し心揺さぶられながら、駅方面へ引き返す。

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(どの車もタイヤの空気は抜けている。9年3ヶ月そのままだ。)

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(六国)

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双葉厚生病院の駐車場を歩き、地下道を抜けて六国を渡る。地下道は綺麗に整備されていたが、やはり住む人もおらずほとんど人の歩かない町の地下道は何か不気味だ。

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(家が解体されフレコンバッグに押し込まれる。)

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双葉駅前は解体ラッシュだ。浪江駅前がそうであるように、五輪に備えて震災の痕跡を残す建物は片っ端から解体し更地にして、「なかったこと」にしようということだろう。「アンダーコントロール」と安倍が言った手前、許可なく入れるようになった地点はとにかくまっさらにして、万が一五輪を見にきた外国人が双葉郡に来ても「復興してるね」と思わせなければいけない。

昨年12月の個展で、中国人留学生が見に来たことがあった。彼らは僕のように電車に乗って浪江に行ったというが、駅前を少し歩いた感じでは「普通の田舎の町だった」という(実際は細かいところまで見れば震災の痕跡は残っているのだが)。ここ双葉駅前も、日本政府は地震や原発事故の痕跡はとにかく消して、パッと見「普通の田舎の町」にしてしまいたいと考えているだろう。

駅の少し手前で南に向かい、双葉高校へ向かうことにする。

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(少し大きな地震が来れば、あっという間に崩れるだろう。)

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傾いた家、倒壊寸前の家、倒壊し潰れた家…晒し物のように建っている。どの家からも悲鳴が聞こえてくるようだ。こんな状態のまま、国は「特定復興再生拠点区域」として、全日本国民に晒した。大熊の大野駅周辺や夜ノ森駅の東側は、道路は通れるものの、住宅の周囲には柵が張られ入ることは出来ない。勿論、線量が高く、除染が出来た道路だけ立入規制を緩和したということなのかもしれないが、それにしてもこの双葉駅前の晒されっぷりは、正直理解に苦しむ。

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山門が倒壊したままの光善寺が見えてきた。

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ここは3月に来た時はあまりよく見てなかった。脇から光善寺の敷地内に入る。

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(山門を中から見る。)

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…倒壊した建物がいくつも、そのまま残っている。その先に本殿はある。

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…本殿は傾いてはいるものの、なんとか建っている。板が張られ、中の様子はわからない。

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(色々なものが崩れ落ちてきている。)

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この敷地の空間線量はさほど高くなく、1.0μSv/h以下ではあるが…鐘撞堂と本殿以外は全壊だ。

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鐘撞堂の建立記念碑がなんとも切ない。

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言いようのない虚無感というのか。複雑な心情が頭の中で渦巻くなか、光善寺を後にした。

<続く>

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