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2018年5月福島、富岡町役場〜境界線

<続き>

約半年ぶりの回転寿しアトムとの再会を果たし、次のチェックポイント、富岡町役場へ向かう。国道6号よりも内陸だ。昨年11月の取材で車では通ったが、自分の足で歩くのは初めてだ。

6号から内陸へ入ってすぐに「原子力エンジニアリング株式会社」を見つける。その脇には…

未だ主の帰らぬ歯科医院の廃墟がある。富岡町は、従来の住民の帰還は勿論だが、それよりも廃炉で食っていくと覚悟を決めたと聞いている。原発関連施設を受け容れ、そこで働く人々を受け容れ。元々の住民の感情は如何ばかりかと思うが、それが現実的な選択肢だとも思う。

少し歩くと大手ゼネコンの事務所、そこに書かれた「お帰りなさい、富岡町へ」。なんて皮肉な看板かと思った。

地元業者に任せるはずだった除染事業は、余りに規模が大きいため結局は首都圏の大手ゼネコンに全部持って行かれた。大手ゼネコンにとって、福島は金のなる木だ。

富岡川を渡る。新緑が綺麗だ。

ホームセンターの廃墟を通り過ぎると、生命保険会社の支店開設式に出くわす。このうちの何人が富岡に住むのだろう。当面はいわきや広野から通う人が多そうな気がする。

富岡町役場を目指して常磐線の高架下を歩くと、富岡第一、第二中学生徒による卒業制作(?)の壁画を目にする。心がキュンとする。

富岡町役場。

町役場前の放射線量は0.64μSv/h。都内の約13倍だ。この周辺は常時0.6μSv/hはあって、年間では5mSv以上被曝する。放射線管理区域レベルと言っていい。

町役場前に植えられた「復興の木」。切なく見えた。

役場前には病院もある。

役場に併設された富岡町文化交流センター。その前には

JAEA、日本原子力研究開発機構の廃炉国際共同研究センターがある。

週5日、これを目にする富岡町役場職員はどう感じているのだろう。

わずかとはいえ戻っている住民はどう感じるだろう。

いたたまれない気分で夜ノ森を目指す。

綺麗な菜の花畑。しかしここの放射線量はさらに高く、0.7μSv/hを超える。

「この先帰還困難区域」の看板が見えてきた。

歩道も雑草が増え、荒れてくる。

見慣れてしまったバリケード。

…この場所には警備員もいないので、侵入は可能だ…

複雑な思いで境界線を歩く。道を隔てて向こう側に帰還困難区域がある家で生活してる人がいた。洗濯物がベランダに干してある。放射線量は意外と低く、0.6〜0.9μSv/h。

…低いといっても放射線管理区域だ。もう感覚が麻痺してる自分がいる。

<続く>


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