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noteと音楽と。

noteはじめて一週間程ですが、いろんな方のページを読んで、なるほどなと徐々に色々とわかってきた。

クリエイターとかいうそれこそ全ジャンルを乱暴に一纏めにした、なんだかよくわからないけれどなんだかカッコイイような雰囲気がそこかしこに出てて、ビジネスモデルがうんたらかんたらと言い、自身の積み重ねたプロセスだとかを競い合う文章が行き交ってて、将来のあるいまの現役大学生ぐらいの方達の興味関心を一身に集めてる。ような気がする。文章が主なので「ライター」「ライター志望」といった言葉が多く出るのも当然か。
わかりやすい❤️の数をみて文章を追いかけてみすれば、それこそ肩書きも素晴らしくて憧れてしまうような方々ばかりだ。フォロワー数と❤️が同じかそれ以上の方なんかだと圧倒的に文章も毎回よくてただただ白旗を上げたくなる。

そして己を省みて、え?自分も何か「それらしいこと」をちゃんと発信しなければいけないの?この魑魅魍魎なnoteっていう世界で。。みたいな緊迫感や強迫観念はあるよね。たしかにある。テキストは真っ白、さてあなたはどうする何を書く?
それこそがnoteをのんびりと続けられない人達が諦める最たる部分であるような気もする。まあ、実際にいるそんなすんばらしい人達にケチをつけたりしたいわけじゃない。決してない。それも一つの需要と供給って感じがする。


自分の得意を生かしたいなーってのが、俺がnoteに対する率直な投げかけ。
文章書くのに大して困ったこともないしな。苦ではない。得意でもないが。

あと、noteは、音楽というジャンルに対して圧倒的に閉塞的
動画アップはYouTubeともう一つに上げたアップ済みアドレスの添付のみとなっていた。システム上の問題なのか、はたまた倫理上の観点でアダルトコンテンツが紛れ込んで荒らされたりしないようにするための予防策・安全策なのかは正味よくわからない。


だが、つまらん。


fecebookだってInstagramだって、noteと親和性が高いらしいTwitterだって、普通にiPhoneで撮った動画をそのままでアップロードできるのに。現状のnoteではそれ自体がNGみたいだ。

クリエイター = 文章
 
でなにかをやるための専用noteなんですよ!ってんならば、俺はそれも否定しないしそのルールにつき従う。


だが俺は音楽が好きだ。大好きだ。聴くのも、やるのも、音を観るのも。音楽を趣味だと言い切るにはあまりにも時間をかけすぎた。きっと死ぬまで続く確定的なライフワークだ。その音楽を、頑張りも失敗も楽しみも、自身の成長も喜怒哀楽も、それら全てをテキストで打ち込んでその熱量を人に伝えなさいってか?

えー説明しますとこの曲は、昼下がりのこんなにも明るいメジャーコードであったのに突然ディミニッシュの雨が落っこちてきて雷雲が轟き、転調を絡めたセブンスとメジャーセブンスはまるでミルクティとダージリンティの味わいを交互に行き交いながら、セカンダリードミナント進行を模した内容にみせてじつは完璧なツーファイブ。それなのに最後にはまさかまさかでオーギュメントで落ち着こうとするだなんて。。


って、誰が分かるんだよ。音も聴かないで。


言語化視覚化が出来ないからこそ聴覚で受け取れる芸術だろがーと。その音を言葉に落とし込もうってのは、変拍子を譜面に書き起こしてくださいぐらいのレベルよ。テンポ240〜ぐらいで。できる人はそれもできるのだろう。俺は出来ない。

さっきヘルプから要望してみた。iPhoneから普通に動画ファイルを上げさせてくれーと。お代官様おねげーしますだーと。オラだって米食いてえ。年貢をもっと軽くしてけろーと。
自分の好きを発信するのがnoteなんじゃないのかな。






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