小・中の「不登校過去最多」、12年間で中学生は2倍、小学生は5倍増 〜”義務教育”の抜本的な見直しが急務〜
小・中学校生の不登校の推移です。
中学生は、2010年から12年間で2倍。
小学生は、12年間で5倍近くに増えています。
要因の最多は「無気力、不安」(51.8%)で、「生活リズムの乱れ、遊び、非行」(11.4%)と続いた。
「無気力、不安」の更なる原因はデータ上は不明です。
「生活リズムの乱れ、遊び、非行」については、昔から一定数ありました。
子供の「無気力、不安」の原因を探るために、『義務教育』について掘り下げてみましょう。
次に、「義務教育の目的」について、文科省の説明です。
最後に書かれている、義務教育の目的の大きな2点について考えます。
「・国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障」という部分は、特に議論はないと考えます。
従って、焦点を当てるべきは、次の文言です。
・国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成
歴史的には、日本の義務教育は、日露戦争(1904年〜1905年)の役に立ったと言えます。
戦争では、規律の遵守、武器使用の能力、忠誠心などが必要ですが、そのための義務教育としては大きな成果がありました。
ロシアの兵は、武器を使用する基礎的な資質に欠けていたと分析されています。
現代において、戦争を想定しての義務教育は建前上存在しません。
では、現在のような「国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質」として、超難解な国語・算数・理科・社会は必要なのか。
私は、塾講師や家庭教師の経験もありますが、全く必要のない知識が多すぎるように思います。
そもそも、人類の”科学”が現代のように急速に進歩・発展すれば、すべての学科において圧倒的に”学ぶ”知識は増えてしまいます。
”難解な知識”は、社会生活では全く必要がありません。
そうした知識が不足すると、義務教育で評価されないのでは、子供の学習意欲は削がれるはずです。
むしろ、物質的に豊かになった現代で最も必要な「基盤的な資質」は。
・社会へ献身する
・社会への恩義を学ぶ
・嘘をつかない
・人を騙さない
・礼節を知る
・他人とのコミュニケーション能力を育てる
などの人間形成こそが、国家や社会の形成者に相応しいと思えます。
何故なら、物質的に豊かになると、人間は「あり得ないような欲望」に塗れてしまう可能性が大きくなるからです。
そうしたことが、結局は国のかたちを壊し、社会を退廃的にしてしまう。
そうした傾向は、現代の国の政治活動や社会の経済活動では、頻繁に観察されることです。
政治家が利権にまみれて国民を軽視する、企業経営者が金儲けならば法を犯してもいいと考え行動する。
具体的に言えば、数限りなく、そのような事例はあります。
読者の方には、それぞれいくつもの実例(現実のニュース)が自然に目に浮かぶことでしょう。(あえて、ここでは取り上げません)
さらに、国語・算数・理科・社会の全てで結果を出すことを強制させられます。
スポーツを例にすれば。
テニスが上手い人が、サッカーが出来ないから「あいつは(体育の)出来が悪い」とは決して言いません。
白い筋肉か赤い筋肉か、親の遺伝子はどうかで、運動神経も体格も決まっているのですから。
何故、頭を使う勉強は、総合的に習得することを目指すのでしょうか。
国立大学に行くためとしたら、少子化なのだから大学は全て国立だけにして、(大学進学希望者を)全入にすればいい。
そんなことは、成長期における義務教育では全く必要ありません。
例えば、スポーツで言うと、野球の大谷翔平やイチロー、テニスの錦織圭や大坂なおみ、ゴルフの松山英樹や渋野日向子のような、それぞれに得意な分野はあるのです。
音楽なども同様で、ピアノ弾けるけどバイオリンが弾けないから、評価しないとはなりません。
”高度になり過ぎた”勉強にも当てはめて考えるべきで、そのような義務教育なら、「最低限の基盤的な資質」も身につくはずです。
得意な学科から学ぶことで、”努力”も学べるでしょうし、将来への夢や希望も膨らむのではないでしょうか。
現在、AIが、東大受験において一番の成績をとれることは実証されています。
受験の知識を増やすことは、コンピュータチップの能力に敵うはずはありません。
科学の飛躍的な進歩により”平均的に”学業が優秀であることは、大部分の人にとって”社会の役”には立ちません。
例えば、現代の教育の頂点が大学受験として、総合的に学業が優秀な東大生と京大生の人気企業の変遷を見ます。
たった22年の変遷ですが、ベスト10を見たら分かる通り、1998年の銀行、NTT、損保、人気メーカーなど、2022年には存在しません。
2020年は、圧倒的に外資系コンサル、商社となっています。
商社は、昭和の時代から現代まで人気企業なのは、「商売」だからです。
商売というのは、日々変化し続けなくてはいけないので、日本の商社マンは優秀で時代に遅れることはありません。
こうして見ると、超優秀な大学生は、企業エリートといえますが、その人気企業がたった22年間でも没落していくのは何故でしょうか。
端的にいえば、沢山のエリートが居ても、実社会での企業は隆盛であり続けることは難しいということになります。
そもそも、現代のエリート教育とは、誰かを蹴落として自分は成功(合格)するということだけを目指す教育に成り下がっています。
私の直接知る数百人の”創業経営”の中の、大きく社会に貢献し変革を起こしている大成功者で、東大や京大出身はいません。
もちろん、東大や京大生には、大企業(サラリーマン)や官僚として活躍している人が多数いることも事実です。
横道にそれましたが・・・、結論として、義務教育は、あまりに高度になった全ての学科の成績がいいことで、生徒たちを評価してはいけない。
義務教育は、社会に出て役に立たない”難解な”国語・算数・理科・社会を教えるのではなくて、スポーツのように各自の持っている能力を発見し活かしていくべきだと考えます。
その前提であれ、「国家・社会の形成者として」学校は楽しく学べる場になり、真の人間形成において必要とされる”資質”も育ち「無気力、不安」もなくなるのではないでしょうか。
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