「今いる場所で全力出す」のが結局最善最良なのかもしれないという話。

私が小学生の時、学芸会のクラスの出し物で演劇をすることになった。

題名は忘れたけど、内容は大体こうだ。

―ある小さな島に暮らす村人たちがいた。その人たちはやる気も気力もなく働くこともそこそこに、畑は荒れ放題で魚とり網はこわれっぱなし。

「あー働きたくねえなー。どっかに野菜や果物が取り放題な果樹園や畑、山盛りの魚とか転がってないかなあ。こんなボロボロかすっかすな村で汗水たらして必死で働いて…なんてやだわぁ」

とつぶやいてはごろごろしてばかり。

ある日、長老が言った。

「実は…果物がたわわに実り、魚も食べ放題、超豊かで美しい島があるんじゃ…しかしな、めちゃくちゃ遠い所にあるんでな、そんなものすごい長旅に耐えうる船と備蓄の食料を用意しないとたどり着けはせぬ。」

村の若者たちは

「なにそこ行きたい!!!!!!!みんな準備して頑張ってその島行こうぜ!!!!!!!!!」

と奮い立ち、せっせと畑を耕し果樹園の木を手入れしなおし、魚とり網をせっせとメンテナンスし、立派な船を作り上げ、長旅にも十分過ぎるほど備蓄食料も用意出来、

さあいよいよ出発!長老にその島がどこにあるか教えてもらおう……

と長老の住処を訪ねると、既に長老は亡くなって、手紙が置いてあった。

「ごめん遠くに豊かな島あるって言ってたのウソなんじゃ。でも今いる島見てみ?もうここが美しく豊かな島になってるじゃろ?」

若者達(あ・・・ホンマや・・・)


――――――という話。

教訓は「せっせと汗水たらしてはたらけ!」というわけではない、

『現状に不満や文句や現実逃避して何もしない世界、奮い立って行動していたら豊かで幸せにあふれて囲まれている世界、もしかして【同じ世界】かもよ』

ってことじゃないかな?と私は思ってる。


最近よく「スピリチュアル界」で「これから住んでいる次元が分かれていく(波動の近い者同士が共鳴し世界が分離していく(?))」的な話を耳にして、最初聞いた時は「ん?どういうこと?物理世界の住む世界も分かれるってこと?そんなSFみたいなことが起こるんか??」とかよくわからなかったけれど、今なら何となくわかる。

自分や周囲に不平不満愚痴を抱え吐き散らかして生きる人は、まずSNSに同じような人がよく目につくようになり、もしくは「そういうのをカモにしようとする奴」の接点が増える。リアル人間関係でも愚痴悪口に同調する人が集まり、敵が出来、生きにくい要素がどんどん増えていく。世界が狭まって生きにくくなり、それがまた不平不満に繋がるループになっていく。

意識してポジティブな側面を見つめ、「自分はツイている」と思い、周囲に感謝の気持ちばかりを感じ言動することで、周囲の人はさらに自分を大事に扱ってくれるのでますます感謝の気持ちにあふれ、自然に助け合いの関係が繋がり広がっていき、自分の視野や可能性が広がっていく。応援される。そして「ああやっぱり自分はツイてるなあ」という気持ちが自然と起こる。



貴方は、今どこの世界にいますか。

どこの世界に向かっていますか。

今居る世界はどんな感じですか。

それは誰かのせい(おかげ)ですか?



「ちょっと生きにくいなあ」と感じる人は、そこを変えるアクションをしてみましたか。してみませんか。

ただ、目の前のことをいっぺん全力でやってみるか。

身体壊れそうならいっぺん思いっきり休んでみるか。

思い切って誰かに助けを求めてみるか。

何かを切り替え、何かを手放すか。

「じゃあ何が必要か?何がしたいか?できるか?」を棚卸してみるか。



それでうまくいかないなら「まだそこでクリアしていないミッション」が残っているのかもしれない、

もしそれが正解なら、大体ホントに(自分でも心の準備が追い付かないくらい)一気に変化して導かれたりする。




よくわからない、信じられない、

そういう人は、まあ試しに動いてごらんよ。

何もしないままだと結局何も起こらないままだから。

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