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mother マザー

もう1回見たい。

感想⬇️

⚫️子供が小さい頃の場面

母親から適当に扱わられ、ご飯もまともに食べられない。

しかし本当の父親からの救いの手も、選択の考慮にすることが出来ない。



母親から離れる事が出来ないのだ。


この原因の根本的なものは、母親への依存による愛である。


例え学校に行って、自分の母親がおかしいと知っても違う選択をとる事は難しい。


母親も息子に依存していて、息子は自分のものであるという絶対的な価値観を持つ。
よって息子を粗末に扱おうが知った事では無いのだ。


散々酷い事をして、急に優しい行動をとるのも負のwinwinである。
子供は更に母親に依存し、母親は寂しいという思いを解消できる。


この母親の酷い行動は他にも沢山ある。

性的な行動を躊躇せず行ったり、家族からお金を借りさせるために息子を利用するのだ。


私も同じ経験をした事がある。
両親のイチャイチャほど見苦しいものは無い。また自分の親とおばあちゃんが喧嘩すると、自分が板挟みになってしまう苦しさもよく分かる。


⚫️子供が高校生ぐらいになった頃の場面

妹ができて、自分が守っていかなければならない立場になった。

子供がいるのに、ホームレス生活をしている母親はヤバすぎる。



生活保護を受ける事になったのだが、ここでは私は子供よりも、支援者側であるアヤに同情した。
演技が上手いという理由もありそうだが、何としても自分と似た境遇である子供達の、力になりたいという思いが心に刺さる。

フリースクールを紹介したり、図書館の本を借りてきたり。


結果的には助けられないというのも尾ひれを引いている。


⚫️家から逃げ出す場面

自分が成長した事で、母親から逃げたいという思いが湧いたが、妹の事が心配なのを加えて、完全には母親から解放されていない。



常に母親は命令している。
自分の責任にしたくないという思いも多少なりにあると思うが、大部分な感情は自分で行動出来ないというのが占めていると感じる。



助けて貰った職場からはお金を持ち出し、ついには祖父祖母に手をかける事を命令する。


周平は、実際にこれを実行した。


罪悪感は無い。
依存している事で、理性が正しく機能していない。


ここで言葉で分析するのは簡単だが、実際にやるのとではハードルが違う。


なぜやれてしまったのだろうか。


本当に依存によるものなのだろうか。


⚫️事情聴取の場面

母親が周平の事を私の分身であると言った所

これから考えられる事は何か。


自分の思い通りにさせたいという思いあるだろうが、本質は自分と同じような境遇でないと許せないというものだ。

周平だけが幸せになる事は望まず、常に一緒な社会的地位にいたい。
嫉妬もせず、寂しい思いもしなくて済むから。


⚫️周平君とアヤさんのシーン

共依存からなのか定かではないが、母親が好きだから嘘をついたという発言。


1番心にきた言葉は
"全部ダメですよ、生まれてきてからずっと。母親も好きなのもダメなんですかね。"

そんな事ないよとは軽々しく言えない。


全ての自分を否定し、自分がもうダメだからこそ何してもいいという感情に駆られ、それを利他的な行動に回すという彼の優しさ。


母親が好きという感情もダメなのかという、
苦しすぎる問い。



こんなにいい子で素敵なのに。


🛑まとめ

よく遺伝も環境も努力で覆るというのを見かける。


それを信じる事ができる私たちはいかに幸せだったのか。


そもそものスタートラインすら見えない人達も存在するのだ。



私は助けたい。

本人はそう思っていなくても、チカラになりたい。



私は両親の事は嫌いだが、感謝は をしなくてはならない。



本当に苦しい人は悲劇のヒロインを演出しないのだから。

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