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両親 25.主(あるじ)のいない家

2008年4月・・・

 実家の家は、2年前両親が老人ホームに入居してから空き家になっている。母は父が先になくなるものと思っており、姉夫妻と一緒にその家に住みたかった様だが、 自分が先だったので、思いはかなわなかった。

 先日、父も亡くなり、あの家は主がいなくなった。35年前、両親は東京の目黒区に住んでいたが、横浜の環境のいいところに住みたいと言い出し、今の場所に、家を建てた。三度目ということもあり、住み心地には満足していたようで、終の棲家になった。

 家は2階建で50坪ほどあり、2人にしては広すぎるが、母の希望通りに建てると、そういうことになる。1階のリビングの奥には掘りごたつのある和室があり、これは主としてマージャン用、2階にも広めの和室があり、こっちは三味線がおいてあり、長唄用らしい。両方の和室には、紫檀の机や飾り棚、桐の箪笥セット、屏風など、先祖代々のものを並べ、 リビングにはマホガニーの飾り棚やチェスト、皮のソファーなどをそろえた。寝室には大小のベッドが置かれ、最後まで同じ部屋に寝ていたようだ。

 親戚や友人を呼び、マージャンをする、長火鉢に炭をおこしてお湯を沸かし、お茶を入れて、道具を披露するなど、余生を楽しんでいた。時には長唄の師匠や仲間を招待し、演芸会などをしていたが、近所迷惑だったかもしれない。父は庭が好きで、季節毎に各種の花を咲かせ、あれは一月前に植えた花だ、もう直ぐあっちの花が咲くと、楽しそうに解説していた。向いの公園には、見事な桜もあり、花の季節は借景だ。家は、2人が生活を楽しむための、大道具だった。

 今、主のいなくなったあの家をどうするか迷っている。姉は交通の便が悪いと言い、私の2人の息子は通勤には遠いいと言い、誰も住むとは言わない。家はしっかり出来ており、手入れもよかったので、まだまだ充分に使える。処分する気にもなれず、将来息子に子供が出来た時、住む気になるかも、などと思い、暫くはそのままにしておこうか。

 兎も角、今は空にしようということで、連休中に片付けて主要な家具を車で15分ほどの私の家に運ぶ事にしている。主のいない家から、主の住んでいない家への引越しだ。将来、新潟から戻った時、旧い家具に囲まれて、酒を飲むことになりそうだ。

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