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Google Earthとお姉さんとわたし

昔住んでいた家って今もあるのかなぁ?とふと思ったとき、ドラえもんのごとくすぐさまその疑問に答えてくれるスマホのアプリがある。

「Google Earth」だ。
住所などを打ち込むとその場所が立体的に出現する。地球の衛星画像や、地球全体の 3D 地形画像も見られるし、世界各地の数百もの街の建物も3D 画像で現れるから、ちょっとした旅行気分にもなれる。
いや、もはやこりゃ「どこでもドア」だ。

「地球は青かった」
曲線が美しいアイコン

これが無料ダウンロードできちゃう時代ってある意味どうかしてる。

待ち時間という暇な時にこのアプリをいじる。
ふと小学1年生の時に住んでいたアパートを思い出した。車でも4〜5時間は要する場所だ。生きてる間にはもう行くはずもない。しかしわたしはその当時の住所を今でも正確に覚えている。
わたしは、小学生の時、頭を強く打った時などに自分の住所を口に出して言えるかどうかで自分の重症加減を図る、という珍妙な小学生だった。
唱えるように覚えていた当時の住所を「Google Earth」の検索欄に打ち込んだ。

すると、半世紀ほど前のアパートは今でもあった。
古ぼけたおもむきは、現在までの時間を象徴する。

懐かしい。

映し出された画像のアパート前には自転車が置いてある。後ろにカゴのある自転車。
住んでいた部屋には洒落っけのないカーテン。子どもが住んでる様子を感じず、思わず妄想をした。60代くらいの夫婦2人暮らしかな…とか。

さて前置きが長くなったが、今回の話は、このアパートの先の戸建に住んでいた7〜8歳年上の少女の話だ。

わたしは小学1年生になったばかりだったが、下校、或いは友達との遊び終わりに家に帰っても誰もいないという孤独な毎日を過ごしていた。
父は会社、母はパート。兄はいつもどこへ行っていたんだろう。
この無性な寂しさを回避するために、ある日、小さな頭で考えたことがあった。

『アパートの前の路上で泣く』

誰かが気づいてくれるだろう。
気づいてくれたら、その人が母親にわたしの寂しい気持ちを代弁してくれるかもしれない…。
なんとも幼稚な考えだったが、
見事に思惑通りになった。

近所の人から学校に連絡が行き、
学校側から母親に連絡が行った。
《お母さん、少しパートを休むことは可能ですか?》と。
が、しかしそれに対しての母親の返事は
《パートを休んだからとて、それがあの子の為になるんでしょうか?我慢ということを教えることこそ、大事だと思います》
連絡帳に書かれた母の文字。綺麗な字ではあったが、きつい字に思えた。連絡帳に書かれた漢字混じりの文字を何故小学1年生の自分に理解できたのかは、たしか先生に読んでもらったからである。

計画の最終目的は失敗に終わり、
わたしの「路上泣き」は今まで以上になった。





そんな時である。
7〜8歳年上の当時中学生だった少女がわたしに声をかけてくれた。
「お姉さん」とよんでいた覚えがある。
彼女は自分の部屋にわたしを招き入れ、折り紙やお絵描きを一緒にしてくれた。わたしの寂しさを紛らわしてくれた。
名前も覚えてはいないが、そのお姉さんの手の温もりは覚えている。
人の優しさに触れるとは、このことだ。わたしの人格形成において彼女の存在が良い影響を与えたことは
間違いないだろう。

「Google Earth」で見た彼女の家の画像が、当時の折り紙の匂いや手触り、お絵描きをする際の白い紙にえんぴつが擦れる音を思い出させてくれた。

色で例えるならピンク色だろうか。
柔らかでほのかに甘い感覚。

現在、彼女は孫がいてもおかしくない歳だ。
この家に彼女の家族は住んでいるのだろうか、
想像が妄想になって脳裏に浮かんだ。ご夫婦と子ども家族と小さな子どもたちが食卓を囲む。傍らのご高齢の方の笑顔…

"半世紀ほど経った今も、あなたの優しさを覚えています。
ありがとう。"


この感謝の言葉、風に舞いながらどこかで聞いてくれはしないかな。
もしかしたら、これを読んだ人の中にお姉さんがいるかも。なんて。

そんなことを考えていると

待ち時間が終わる。

そして

また一日が過ぎてゆく。

#Google  Earth
#思い出
#寂しい
#お姉さん
#ありがとう

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