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その空いた時間を何をして過ごすのか。

ムスメが4月に17歳になる。運転免許をとるから、水泳の練習も学校も買い物も、私が同乗する必要がなくなる。どこへでも一人で行けるようになる。

「一気にヒマになるじゃん。一体これからその時間どうするの?」

結構な数の友達から真剣な眼差しで聞かれる。その裏にはやることがなくなって時間をもて余して呆然とするのじゃないかという問いが隠れているから、私は首を傾げてしまう。

私にはいくらでもやること、やりたいことがある。

幼児だった子供が大きくなって、一人でお風呂に入れるようになり、自分で歯を磨くようになったから、その時間が空いた。宿題を見てあげる必要がなくなり、その時間が空いた。学校やクラブの諸事を子供たちは自分できちんと管理できるようになったから、締め切り前にせっつく必要がなくなり、その時間が空いた。時折、進行状況や様子を確認するが、ちゃんとやっているのでイライラすることもない。洗濯もそれぞれでやるから、栄養バランスの取れた食事だけはきちんと食べさせるが、子供の医者関係と、家のことと自分のことだけやっていればよくなった。

自由になる時間がゆっくりと徐々に増えていく過程の中で、読書の時間が取れるようになった。どんどん読みたい本が増えていく。子供の付き添いの出先で時間を潰すために編み物をどこへでも持ち歩いた時期があったが、今は編みたい時に家でゆっくり編む時間がある。BBCのPodcastは散歩の時と決めているから、ムスメの用事が1時間足らずなら、家に戻らずに、その近辺を歩いてPodcastを聞く。友達とランチに出かける。

ムスメが一人で運転できるようになったら、私は帰りの時間を気にせずに遠出ができるようになるから、マンハッタンへも気軽にいけて美術館でゆっくりくつろぐこともできる。そのまま一泊したっていい。朝から夜遅くまで韓国式のSPAでお風呂サウナも入り放題で、マッサージしてお昼寝して読書して冷麺とビビンバが食べられる。

子供の成長と共に手が離れて、その分、私の自由になる時間が増えることだと分かっていたから、それに備えてうっすらと自分の趣味や世界を広げる準備をしてきた。

子供だけが自分の世界の中心になってしまっている友達は大勢いる。朝から晩まで、同じような境遇の母友を相手に噂話と情報収集に従事し、子供の手が離れても子供を通じた世界にしか関わっていない。子供が大学に進むと、これまで関わっていた世界が目の前から消えるから、大学に進んだ子供の新しい世界に関わろうとする。FBの大学関係親グループに挙げられるトピックなど、この人たちは他にやることないのか、と目を覆うばかりだ。大学から親への通知は「授業料払え」だけで、あとは全て学生に直接連絡。親が関わるには子供から事情聴取しなければならないが、子供は子供たち同士で情報交換してちゃんとやれると思ってるし、実際やれるから、親にいちいち報告も説明もしない。そこで親たちはFBグループを作って子供が(おそらく面倒くさがって)共有してくれない情報を他の親から入手しようと躍起になる。

せっかく家を出て大学に行ってくれたのに、なぜまだ追いまわしてるんだろう、と私は不思議に思う。もうそっちはそっちで放っておいて、自分が自分のためにやりたいことをやればいいじゃないか。

お迎えまであと30分読書、何ていう制限つきじゃなくなったら、1時間でも2時間でも読むだろう。お天気が良ければ、何時でもふらっと散歩に出かけられる。計画性のないLoanから「今日ランチ空いてる?」と11時に連絡が入ったら、医者のアポでも入ってないかぎり「いいよー、どこで会う?」と言えるだろう。午前中しか行けなかったヨガのクラスだが、これからは夜のクラスにも行ける。おぉ、泊まりがけの瞑想キャンプにもいけるぞ。

夏から始めたSudokuの難易度が徐々に上がってきて、最近は数日かけて一問解けるかっていう有様だし、The New York Timesという新聞についてくるWordleという単語クイズもムスメに紹介されて始めた。ボケ防止対策。

私はいくらでもやりたいことがある。それはヨーロッパ一周旅行するとか、難民キャンプの手伝いに行くとか、そんな大きなことではなくて、今まで1日30分しかできなかったことを2時間できるようになる程度のことだけれど、私はそういうゆったりとした時間をまずは過ごしたいと思う。

そしてそのうちそんな時間の流れを物足りなく思って、何かの刺激を求める「模索の旅」に出るかもしれない。

いずれにせよ、空いた時間をどう使っていいかわからなくて途方に暮れる、なってことにはまずナリマセヌ。







ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。