無意識とはなにか②
♡ハートの形は一体誰が作ったのでしょうか。
人々は愛をこれで表現し、多くの場所で使用しています。
記号や言語の発祥は未だに謎が多く残っていながらも、私たちは普段知っているかのごとくそれらを使いこなすことができます。
それは、無意識に美しいと感じているからなのでしょうか。長いものに巻かれているからなのでしょうか。
あるいは、その両方であると言えるかもしれません。
長い歴史を持つものは、消えゆくことを知りません。それなりの理由があるのでしょうし、無意識に働きかける膨大なエネルギーがそこにはあるのでしょう。
人が美しいと感じるカタチは、数値化あるいは言語化できます。知識によって思考し、カタチの詳細を知ることが出来ます。前章で述べたように、無意識によってそれを美しいと感じることも必要です。
音楽や芸術の中には、多くの人を魅了する作品が数多くあります。そこには、美しいと感じる法則性が見受けられます。立体造形はもちろん、平面芸術作品に数学的知識を盛り込んだものも少なくありません。
聴いていて心地よいと感じる波長に合わせた音楽もあります。
24時間は86400秒です。太陽の直径864000マイルと調和をもたらしています。
12時間は43200秒です。これは432ヘルツと調和しています。
これらは偶然ではなく、時間と空間における音と光が秩序を保っている証拠です。
秩序ある自然の法則に則り、人為的に創造したものもまた数値化することで忘れていた何かを思い出すキッカケになります。
エジプトのピラミッドの座標は北緯29.9792458度に位置しています。これは光の伝播速度である299,792,458メートル毎秒と全く同じです。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品である最後の晩餐には黄金比が使われていたりと、これらの叡智を盛り込んだ制作物の正確さは驚異的なものばかりです。
美しいと感じる、心地よいと感じる、幸せだと感じるものには必ず法則があることが分かります。カオスの中には必ず秩序が存在しているのです。これをバタフライエフェクトだとか、アトラクターフィールドだとか、カオス理論と提唱している学者もいます。
多くの人に賞賛される、多くの人を幸せにするには、基本となる自然の秩序を知識として知る必要があります。また、これらを感じる必要もあるのです。知識をいつでもどこでも収集できるようになった現代、紀元前とは対照的に感じる(体験する)機会が極端に減ってしまいました。私たちの文明はこれからどのように歩んでいくのでしょうか。
何を言っても宇宙の秩序は不変であり、地球の自然環境は波はあっても紀元前から大して変わりはありません。
情報や物流の量は圧倒的に現代が大きいにも関わらず、私たちは未だにピラミッドを作ることが出来ないのです。
法則は変わらないのに、情報を簡単に手に入れられるのに、感じることを忘れただけで私たちは宇宙法則に従うことが出来なくなってしまうのは本当に不思議なことです。現代人が退化しているようにも感じられます。
自然に従うというのがいかに大切であるか、お分かり頂けたかと思います。自然は、完璧かつ美しさや愛で満ちた秩序ある完成された世界です。
製作者によるプログラミングが終わり、配信がスタートしたホームページみたいなものでしょうか。やがて中で生きるコードが好きに動き回るあまり、エラーが発生し始めたところでしょうか。
それは、私たちが生きる意味を模索して動き回っていることと何ら変わりはありません。自然の秩序(無意識)から切り離され、自由意志を与えられた私たち人間は一体何のために生まれてきているのでしょうか。
ここまで疑問を投げかける形で述べてきましたが、無意識について語ることは1つです。「ただ、好きに生きろ」と。いろいろ考えて悩んで好きに生きても、最後にたどり着くのは自然です。自然の秩序の中に浸る、つまり無意識に浸っている状態がいちばん自由であるということを感じるのです。さすれば、全てが明瞭に見えてきます。
この宇宙が無意識の中で創造されたと仮定して、私たちが生きる理由を模索したいのなら「あそぶ」のみです。
何度も申し上げますが、全てに意味はありません。愛に満ち溢れていることを知り、感じるのみなのです。
完成した完璧な宇宙法則の中に私たちは生きているのですから、何も考える必要はありせまん。
完璧な美しい宇宙の秩序を感じることで、全ては太陽のまばゆい光のように、強い温もりによって明るく照らされるでしょう。
全ての人間が、無意識をカタチにする日が来ることを願って無意識の話を終わります。