【ロシア連邦の歴史8】新戦略・ハイブリッド戦争
こんにちは、ニコライです。今回は【ロシア連邦の歴史】第8回目です。
前回の記事では、ユーロ・マイダン革命に端を発するウクライナ危機についてまとめました。ウクライナにおけるロシアの行動は、後にNATO首脳会議などにおいて「ハイブリッド戦争」と規定されました。これは「古典的な戦争」=正規軍を用いた国家同士の暴力的な戦いに対し、非正規軍の活用や、サイバー攻撃、情報戦・宣伝戦など非軍事的な要素の重要性が大きくなった戦争のことを指します。今回は、ロシアが新たな国家戦略としたハイブリッド戦争について見ていきたいと思います。
1.ハイブリッド戦争論の興隆
ソ連時代の軍事理論では、戦争とは暴力を用いた軍事的闘争であるというクラウゼヴィッツ的な理解が主流であり、情報戦などの非軍事的な闘争の可能性についてはほとんど議論されてきませんでした。
しかし、ソ連崩壊後には、ハイテク兵器の登場により古典的な地上軍によらずに戦争に勝利可能になるとする「非接触戦争」や、今後の戦争は心理戦(情報戦)を主な手段とするようになるとする「非線形戦争」、情報戦の考え方を体系的に理論化した「情報地政学」など、非軍事的手段を用いた戦争に関する様々な議論がなされるようになりました。
ロシアが生み出した古典的な戦争とは異なる形態の戦争と、その手法を描き出すものとして注目されたのが、2013年3月にロシアの軍事専門誌上で発表された、ロシア軍参謀総長ヴァレリー・ゲラシモフによる演説を書き起こした論文でした。この論文の中で、ゲラシモフは、政治的、戦略的目標を達成するために非軍事的手段が果たす役割が増大しており、また、「アラブの春」のように、21世紀の「新しい戦争」は従来の戦争とは異なった形で進行する、と主張しました。
2.国家戦略となるハイブリッド戦争
2014年12月25日、プーチン大統領が署名したロシアの新軍事ドクトリンは、こうした「新しい戦争」を踏まえて改訂されたものでした。このドクトリンの中では、現代の軍事紛争の特徴は、「軍事力と政治、経済、その他の非軍事的手段が統合的に使用される」とされ、非正規の武装グループや民間軍事会社(PMC)の参加、間接的・非対称的手段の使用などが言及されました。
ロシアにおけるハイブリッド戦争論に特徴的なのは、現にロシアが非軍事的手段を用いた戦争を仕掛けられているという認識です。ロシアでは、ソ連崩壊や、旧ソ連諸国で起きた民主化政変「カラー革命」、アラブ世界で起きた民主化運動「アラブの春」などは、ロシアやその友好国に対する西側諸国による「非線形戦争」、「情報戦争」であると被害妄想的に解釈されたのです。そのため、ロシアでは「ハイブリッド戦争」とは西側が仕掛けてくるものを指し、ロシアが行うハイブリッド戦争は「現代戦」、「新世代戦争」などと呼ばれました。
ロシアがハイブリッド戦争を重視する理由のひとつは、戦争の低コスト化があげられます。GDPが世界11位のロシアにとって、米国やNATOに対抗するだけの軍事費を捻出するのは極めて困難であり、現状の兵力を維持するのが精いっぱいというのが実情です。そこで、比較的コストのかからない非軍事的手段を有効に活用することで、低コストで大きな利益を得ることを期待しているのです。
3.ウクライナ危機における情報戦
次に、ハイブリッド戦争という言葉が広まるきっかけとなった、2014年のウクライナ危機において、ロシアがどのような非軍事的手段を用いたのかを見て生きたと思います。
まずは情報戦です。ロシアは実効支配下においたクリミアやウクライナ東部地域の住民に対し、テレビやSNSを通じて、キーウで起きた政変は違法なクーデター、ウクライナ政府はネオナチの信奉者、そして米国こそが一連の出来事の黒幕である、といったメッセージを繰り返し発信し続けました。
もともとキーウでの政変に対し好意的でなかったクリミアや東部地域の住民は、ロシア発の情報に触れることでますますそうした認識を強め、ロシア軍や民兵が到着した際には、彼らを迎え入れさえしました。この影響は民間人だけにとどまりませんでした。クリミアに駐留していたウクライナ軍の中でも、約2万7000人の軍人がロシア軍へと再入隊し、うち9000人がロシア国籍を取得しました。
さらに、戦場においても、電磁波作戦による心理戦が展開されました。ロシア軍の発する妨害電波により、ウクライナ軍は無線通信を遮断されてしまい、連絡手段として私物の携帯電話を使用せざるを得なくなりました。そして、ロシア軍はウクライナ兵の持つ携帯に上官を装って偽の命令を送信したり、「ロシア軍が攻めてくるから俺は逃げる」といったメッセージを送りつけ、ウクライナ軍の指揮系統を麻痺させ、動揺を誘ったのです。
4.ウクライナへのサイバー攻撃
ロシアとウクライナとの戦いは戦場のみならず、サイバー空間上においても繰り広げられました。もともとロシアは近隣諸国に対し、たびたびサイバー攻撃を仕掛けており、2007年にエストニアが、2008年~11年にかけてはジョージアがその対象となってきました。ウクライナに対しても、ユーロ・マイダン運動が活発化した当初から、反政権派に対するサイバー攻撃がしかけられていましたが、クリミア併合以降、より組織的で大規模な攻撃が行われるようになりました。
2014年5月に行われたウクライナ大統領選挙では、ロシアが集計システムに侵入し、データを消去・改ざんし、右派セクターのドミトロ・ヤロシュが勝利したかのように見せかけました。これは実際の勝利者であったペトロ・ポロシェンコが不正を働いたかのように見せかける心理戦でした。
ロシアはウクライナのインフラ設備もターゲットとしました。ロシアのハッカーたちは、ウクライナの複数の電力会社にフィッシングメールを送信し、制御システムを乗っ取るためのマルウェアをインストールさせ、2015年と2016年の2度にわたって、寒さの厳しい12月に一斉に電力供給をダウンさせる命令を送信し、大規模停電を発生させました。また、2017年のウクライナ憲法記念日には、ウクライナ全土に存在するコンピューターの3割が乗っ取られ、政府機関、金融機関、インフラ企業の活動を麻痺させました。
5.ロシア・ゲート事件
ウクライナ危機と並び、ロシアがハイブリッド戦争の対象としたのが2016年の米国大統領選挙です。同選挙に対しては、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)や連邦保安庁(FSB)といった政府機関のほか、「トロール工場」と称される民間企業インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)が、ドナルド・トランプ候補が有利になるようにさまざまな手段を用いて介入しました。
IRAは入念にアメリカの政治傾向を調査し、架空のアメリカ人になりすまして作成したSNSアカウントによって、反ヒラリー・プロパガンダを展開する一方、トランプこそが唯一の希望である謳って投票を呼びかけました。IRAによるTwitterへの投稿は77万件以上、YouTubeにアップロードされた動画は1000以上になると言われています。こうして巧妙に作られた偽アカウントにはフォロワーが数十万人に達するものもあり、トランプの側近たちによってもリツイートされ、拡散されていきました。
一方、GRUは指揮下にあるサイバー戦部隊を用いて、ヒラリー候補や民主党のコンピュータネットワークをハッキングしてメールや機密文書を盗み出しました。標的は300人以上で、5万通以上のメールが盗み出されたとされています。それらの中には、ヒラリー陣営による情報収集の成果や、戸別訪問の情報が含まれており、こうした情報はトランプ陣営へと渡り、選挙戦を彼らに有利なものにするために利用されたと言われています。
6.まとめ
このように展開されてきたロシアによるハイブリッド戦争ですが、先に述べた通り、その最大の特徴はロシアは西側によって「ハイブリッド戦争」を仕掛けられている、という被害妄想意識です。ロシアの主観でみると、ユーロ・マイダン革命こそが、西側による「ハイブリッド戦争」で、その後のクリミア併合やドンバス紛争はその対抗策であり、2016年の米国大統領選挙への介入は、それまで散々仕掛けられてきた「ハイブリッド戦争」に対する意趣返しなのです。「非線形戦争」の提唱者メッスネルは、「非線形戦争」には平時と戦時の区別がないとしていますが、それに従えば、ロシアは米国とNATOとの永続的な戦争状態にあり続けている、ということが言えるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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