見出し画像

鶴を折る人

ここ数日、鶴を折っている。
仕事の小休止や就業時間前のほんの数分を見つけては、せっせと折っている。
人生の最期を向かえようとしている一人のおばあさんのことを考えなから折っている。

新型コロナウイルス感染拡大を受け、私の働く高齢者入所施設を利用している人たちは面会が禁止となり家族と会えぬ生活に順応しようと今なお我慢の毎日を送っている。
この混沌とした状況でも施設ではその人らしい最期、その人らしい看取りを細々と続けている。

コロナ禍の看取りはいつも以上に気を使う。その一つが面会である。
世の中の感染状況を鑑みながら、1日数分の家族面会を提供するという看取り専用の施設ルールを作った。
面会ルールは一律でなく、緩くしたり、厳しく制限したりとまるで生きものだ。
他の入所者さんへの配慮必要である。
「あの人の所だけ面会が来る。私の所にはこない」など誤解を招きかねない。だからと言って、包み隠さず事情を説明すれば精神的ショックを受ける可能性もあることから、伝える相手、伝える内容は熟慮する。
嘘も方便の場合も多々ある。

変化するウイルスが市中で増加する中、フミさんの見取りが始まった。

娘さんは「毎日会いに来たいけど、他の入所者さん達に申し訳ない。控えめに面会します。おしゃべりが好きだった母と私の分までたくさんおしゃべりしてあげてください。」とあくまでも謙虚である。
もっとワガママになれば良いのにと思いながら、私は娘さんの優しさに込み上げてくるものがあった。
安全な施設運営は重要だが、個々の豊かさを考えることはもっと大事だろう。
頭をさげなから、ワタシは心の置き場に迷った。

看取りが始まって2週間が過ぎた頃、理学療法士のミキコちゃんからフミさんのために鶴を折りませんか?と提案があった。ミキコちゃんが娘さんから聞いた話では、フミさんは元気な頃から自宅で折り鶴を折っていたという。その習慣は施設生活でも変わらず、フミさんのテーブルには常に大小様々な折り鶴が羽を広げていた。

フミさんの鶴の折り方は独特である。
どんどん折り目だけを付けていき、ある時、突然一気に折りあげる。端から見ると折り紙に折り目が増え続けるので、折り方を忘れて紙をクシャクシャにしているようにしか見えない。折り目だらけの折り紙から一瞬で折り鶴に変わる様はイリュージョンである。
周囲の感嘆の声をフミさんは不思議そうに見つめ、「普通の折り方の方を知らんのよ。ずっと、こうやって折っとったでね。」とマイペースだった。

フミさんの体調は波があり、ベッドで横になる時間も増えた。ミキコちゃんの声がけにより有志の職員数名でフミさんの千羽鶴作りは始まった。
有志の職員はそれぞれ自宅や職場の休憩時間に折り進め、時にはフミさんが寝ているベッドサイドで折った。「フミさん、鶴、折ってるよ」と耳元で伝えながら折った。

春祭りの行事を午後に控えたある日、その日もせっせと職場のデスクで鶴を折っていた。
そこに洗濯物の交換のために娘さんがやってきた。
施設の玄関ロビーで担当の介護職員と簡単な会話を交わしている。
会話が途切れ、娘さんが帰っていく。
その姿に後ろ髪を引かれた。
気持ちが波打ち、落ち着かない違和感を感じた。
思わず鶴を折る手をとめ、足早に帰る娘さんの背中を追いかけ「面会、していきませんか!!?」っと投げかけた。

娘さんは私の手を取り「いいの?本当は顔見て帰りたかったの。今、起きてるって聞いて、この間の面会の時はお母さん寝てて話ができなかったの。だから今日は会いたいって思ったんだけど、遠慮があって」と心の内を明かしてくれた。
私の胸にチクリ小さな痛みが走った。
母親の死を間近に向かえようとしている人が、世話になっている施設とはいえ、他人に遠慮をしなければならない昨今の状況は異常である。

「せっかくですから、どうぞ。」
もっと気の利いた事を言え、バカ!
自分が情けなくて、娘さんが面会している間、私は黙々と鶴を折った。

「にこさん!」
面会を終えた娘さんが事務所のカウンター越しに私の名前を呼んだ。
「今日ね、たくさん話ができたの!私を気遣ってね、気をつけて早く帰れですって。声をかけてくれてありがとう」娘さんは嬉しそうに帰り、午後になってもフミさんの体調は良かった。
予定はしていなかったものの、フミさんは春祭りに参加し、職員が折り紙で作った桜を嬉しそうに眺めていた。

その2日後、フミさんはそっと静かに息を引き取った。97歳の人生だった。
職員有志で折っていた千羽鶴は完成することなく中途半端な数の折り鶴が私のデスクで行き場を失い転がった。他の職員のカバンの中やデスクも同様である。
しかし、千羽鶴が間に合わなかったことを口にする職員はいなかった。

葬儀を明日に控えて娘さんが荷物整理のために施設にいらっしゃった。
私の顔を見るなり、「あの時、声をかけてくれて本当にありがとう。あの時、母に会えたから後悔なく看取ることができたの。ありがとう、ありがとう。」
娘さんはあの時と同じように私の手を取り、何度も何度も頭を下げる。

棺の中にはフミさんが折った千羽鶴を入れるという。私は思わず中途半端に残っていた折り鶴をひとつ残らず無造作に封筒に入れ、「この鶴たちも一緒に入れて下さい。」と娘さんに手渡した。
千羽鶴作りの事情を知った娘さんの目からは大粒の涙が溢れ、フミさんにようやく折り鶴が届いた気がした。

あの日、あの春祭りの日に折っていた折り鶴は尖った羽の先でツンと私の背中を押したのだ。
「ほら、声かけなさいよ」と私の背中の真ん中を目がけて翼を伸ばしたに違いない。
何でもいい、どんな手段でも誰かを思って自分の時間を使う尊さをフミさんは教えてくれた。

フミさんがなぜ折り鶴を折っていたのか。
それは広島の原爆被爆者のためだった。かつて地域の取り組みの一環で千羽鶴を作って広島に送ろうという企画があったそうだ。フミさんはその取り組みに参加し、企画が終わってからも自主的に鶴を折っていたという。
フミさんもまた、誰かを思って、誰かのために鶴を折っていたひとりだ。