考えるこけし
「えっーと、それはぁ…。だから…。」
瞳を斜め上を見ながら考え事をしている女の子に出会った。
ここは宮城県仙台市青葉区上下にある西方寺、通称定義さんの参道の店の中である。
漬け物や乾物が並ぶみやげ物屋の店の奥にこけしがズラリと並べられ、不思議とみんなちょっとだけ瞳が斜め上を向いている。
明らかに考えていた。
見ようによっては考えているようにも見えるし、何かをごまかしている様子にも見える。
知ったかぶりなことがバレてバツの悪い小学生の女の子にも見える。
みんながみんな斜め上に視線を向けて、終始その場をどうやり過ごすか考えているような集団は、どこかマヌケで、完璧でない思考回路に愛嬌があって、友だちにいたら楽しいかもしれないと私の想像力をくすぐった。
定義系こけしと言うらしい。平家ゆかりの山あいで考えるこけしは生まれた。
白石市にある弥次郎こけしの里のこけし職人さんが言っていた事を思い出した。
こけしの顔はその地域の人の顔に似ていると。
のっぺりとした凹凸のない顔、目が大きくて一重の顔、鼻筋が通っている顔、なるほどと思う。
こけしの顔が懐かしく、妙な親近感を感じる印象は、いつかどこかで見たことのある面々だった。
目元が腫れぼったく紅色に化粧されたこけしは寒さのせいか、はたまたポッと温まった暖炉のせいかと土地の空気を吹き込んだ表情は神業である。
何もそこまで無表情でいなくても良いではないかと口もとの表情筋をこわばらせるのにも、きっと土地特有の事情がありそうだ。
そんな想像をするとこけしは面白い。
定義さんは源氏に追われた平家が建てた寺である。生き抜くためにあれこれ思案して知恵を出し合い生きてきたかもしれない。時にのらりくらりと世をくぐり続ける術も駆使して生きてきた。
考え抜きながら生きていた人たちが多かったから、こけしも考えている。納得だ。
勝手に想像を膨らませてしまったが、諸説ありの中にそんな説もあると思います。
私が考えるこけしを手に取った事を確認し、「買うのかい?」
と夫に聞かれて、私は斜め上を見ながら、
「えっと…。それは…。だから…。」
衝動買いの言い訳を考えた。