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三線持って沖縄へ#04石垣島のナミィさん・その④

「飛行機早く着いたの?お墓の場所はすぐ分かった?」
会いたかった人が目の前にいる。ナミィさんが巡り会わせてくれたとしか思えなかった。

娘さんはナミィさんの写真をお墓に置いたり、手際よく線香を焚きながら、「今日は暑いけど風があるから涼しいねぇ」っと一言。
電話で申し訳なさそうに「会わないでおきましょう」っと残念そうだった声の主は、一夜明けて私に笑顔をくれている。昨日の電話のやり取りは夢かと思うほど自然な笑顔だった。

私は改めてナミィさんと娘さんの前で歌う。
娘さんが教えてくれたのだか、ナミィさんのお墓で歌うのは私で3人目だという。
ナミィさんのような味のある歌声ではないけれど、私の今、出来るすべてを歌三線に込めて歌った。
娘さんは歌っている私に強い日差しが当たらないようにと、日傘をさして立っている。ナミィさんが立っているようで嬉しかった。

ナミィさんは9歳で身売りされ、三線は生きていくための手段だったかもしれない。しかし、三線を弾き続けて人生を学び、人と繋がり、人間としての豊かさが増した。だから、ナミィさんの歌三線には人を惹きつける魅力がある。
それに比べると、私の歌三線はお気楽な趣味を脱しない。
この先、私の歌三線に「私らしさ」や「豊かさ」が表現できるのかは未知だが、三線の練習以外で私が出来ることといえば、三線を通した人との繋がりを大切にするということかしらと思う。

ナミィさんの墓参りから1年、人間としての厚みはまだまだ薄いが、1年前と比べて少しだけ上達した気がする私の歌三線をナミィさんに聴いてもらいたい。

だから、近所の公園や湖畔で三線の練習をしている時にチョウチョやトンボが目の前を通り過ぎたり、側に留まると「この子はナミィさんかな」と思う。
おわり。

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