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三線持って沖縄へ#05・おもいでの三線の音

故人を思い出すきっかけは些細なことなのかもしれない。

沖縄県読谷村の沖縄三線の祖と言われている赤犬子(あかいんこ)の墓参りに行った時の出来事である。
墓のあるユーバンダの浜は浜の端から端まで歩いても5分位の小さな小浜で、コロナ禍の夏休み期間中だったためか海水浴客は3人組のグループとスノーケルを楽しむ親子連れらしき2人くらいのものだった。
これでもかと透明感を追及したのような美しい海と大きく空が広がる沖縄の絶景が惜しみ無く続く場所である。

沖縄の絶景と赤犬子が眠る墓がある。
ここで歌三線をせずにどこで歌三線をするのかと言う気持ちになった。
私は墓のすぐ側にある岩に腰かけて前日に出場した球古典芸能コンクールの課題曲「稲まづん節」を歌い、夫はうろ覚えの「安波節」や「てぃんさぐぬ花」をポロポロ弾いた。外で弾く三線は気持ちが良い。
いい気分、いい気分である。

日差しも陰り始めた頃、足早にこちらに向かって歩いてくる1人の女性に気づいた。先程まで海水浴を楽しんでいた女性である。60代くらいのふくよかな体型にこんがり焼けた肌がよく似合う印象だ。

「三線の音が聞こえて、子どもたちが死んだおじいちゃんが弾いていた楽器じゃない?って教えてくれたの。私の父は沖縄育ちでよく三線を弾いていた。
今回はお墓参りで、これからやんばるまで行くの。
ずっとお墓参りしたかったんだけど、沖縄は遠くて、ようやく来れた。三線の音を聴いたら父との思い出がよみがえってきたの。1曲弾いてもらえないかしら?」

ややぎこちない日本語に何か色々なドラマがあるのではないかと深く話を聞きたくなったが、彼女の目にはうっすら涙が浮かび、亡くなった父親と繋がるリボンをギュッとつかもうとしている様に、そんなことはやめようと気持ちにブレーキをかけた。

夫は任せたとばかりに三線を私にグググッと近づける。何を弾くか考える。
私はこの年の1年間、琉球古典芸能コンクールの課題曲「稲まづん節」しか弾かなかったと言っても過言ではなかったため、自信を持って人様の前で披露できる曲目はこれしかなかった。稲まづん節は4分50秒の曲である。長いと思ったが、その時の私に他の曲は思い浮かばなかった。
彼女は私が歌っている間、スマートフォンの動画撮影をしながら、潤んだ瞳を少しだけ擦っていた。

しかし、物事には適度がある。
琉球古典音楽である「稲まづん節」を聴いたことがない人にとっては、ゆったりしているし長く感じる曲である。

上の句で彼女は飽き始めた。

稲まづん節は曲の途中で止めるなんて出来ないし、止めかたを知らなかった。
間延びした雰囲気は彼女の涙をカラカラに乾かし、動画を撮るために構えられていたスマートフォンは力なく手のひらでうなだれているように見えた。

それでも彼女は演奏が終わると「お父さんの事、たくさん、たくさん思い出しました。ありがとう。」と子どもたちが待つ海岸線に足早に向かって歩きだした。
彼女がたどった人生に一時でも父親の弾く三線の音がよみがえり、今日という日が記憶に残れば最高である。
また一つ三線が人との縁を作ってくれた。
三線を通して他人の人生に触れる。
三線は不思議な楽器だ。

この話しには続きがある。
この後、私は夫から「長すぎるし、もっとさぁ、あったでしょ?他の曲。」と選曲についての小言を言われた。
「だったら、お前が弾けよ。」と思いながらも、確かに私が選曲した「稲まづん節」はゆったりとした曲調の曲であり、夏の夕暮れ時のユーバンダの浜で「何か1曲を。」のリクエストとして歌うには少々堅苦しかった。
もっと何かはあった。
コンコンと続く小言に反省しつつも、赤犬子の墓の前でこんなに小言を言われる三線奏者もいるまい。
もしかしたらコンクールが終わってホッとしている腑抜けの私に対して、赤犬子からのメッセージなのかもしれない。

「帰ったら短めで弾ける歌三線の練習だね。」

夫の一言は、まるで赤犬子に言われているようで、ハッとして墓を見た。
実在した定かではない赤犬子をその時は近くに感じた。

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