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ふるさとのこと知らなかった大使

灯台もと暗しとは怖いもので、何が怖いかと言うと、当事者はそれに気づきにくいということだ。
「そんなの知ってるもん。」が命取り、実は全く知らない井の中の蛙まっしぐらの人生を歩むと言っても過言ではない。

関東以南で生まれ育った夫は私のふるさとを絶賛する。彼の帰省は未だに旅行者気分が抜けず、相変わらず「今回も良い旅だった。」とか「楽しい旅だった。」と満足げにお茶をすする。
私と言えば「だから、ただの帰省だから、旅行じゃないから。」と何度も心で呟いた。

ふるさとを離れて四半世紀が経ち、年に3回帰れば上等で、帰って何をするわけでもなく、家族と三食を共にして日帰り温泉に入って、のんびり日がな1日を過ごす。
ふるさとはそーゆーところです。
何もないのですから、のんびり実家でグータラするが一番、と言う思い込みは根深く頑固だった。

結婚し、夫と帰省する機会が増えると決まって夫から「これは何?」「あれはどこ?」とふるさとについて矢継ぎ早な質問が飛んでくる。何もないふるさとについての質問責めに当然、ふるさとには何もないという概念の持ち主の私はろくすっぽ答える事が出来ない。
こんなもんかなと思う一方で知っているはずのふるさと私との距離感を感じた。

しかし、夫と私のふるさとの雪山を見たり、郷土料理や伝統料理を味わい、旨い日本酒に舌鼓を打つと、じわりじわりと私の中の今まで触れてこなかった湖面のような所にポチャンと何かが落ちる音がして、そこから水面が広がり、気にしてもみなかったその湖面の、その水面の美しさに気づく。
知っているはずのふるさとの再発見は新鮮でしかなかった。

ある時、駅の構内ポスターに「ふくしま知らない大使」という旅行キャンペーンのキャッチフレーズを見た。
目に飛び込んできたキャッチフレーズは私の中のその湖面を叩いて波しぶきをあげた。

「これ、私じゃん。」

ハッとして思う。
知らないなら知ればいい。
そうだ今日から私は宮城のこと知らない大使であり、ふるさとのこと知らなかった大使だと思ってしまって、ついでに変な使命感なんかも芽生えたのです。
ということがあったので、noteという場所を使ってふるさとのこと知らなかった大使の活動を記録します。