新しいかばん
新しいかばんを買った。
一澤信三郎帆布製の白いトートバッグだ。
私はこの真新しいカバンが遂げるであろう経年変化が楽しみである。
結果は25年後、気の長い話だ。
京都にある一澤信三郎帆布を初めて手にしたのは今から25年以上前である。ファッション雑誌に掲載されていたねずみ色の肩掛けかばんに一目惚れをし、半年待ちと言われながらも待った。
届いた帆布のかばんは糊の硬さが新鮮で、使い始めは帆布の硬さに肩が凝った。まるで一見さんお断りの古都京都を可視化しているようだった。
しかし、使い込めば帆布はその土地の空気に慣れ、布目はしなやかに波打ち、いつしか私の肩にちょうど良く寄り添ってくれるようになった。
仕事用、お出かけ用、1泊旅行とあらゆる場面で活躍し、しまいには帆布のかばんにも関わらずスポーツクラブのプールで使った水びたしの水着やゴーグルをゴソッと入れて乱暴に持ち歩いた。
汚れたら洗濯機でバサバサと洗い、パンパンと豪快に叩き乾かせば良いだけである。
乱暴に扱っても丈夫なかばんは、年を追う毎にさらに雑に扱われ続け、いつしか20年選手となる。とうとうほつれが目立つ物言わなかったカバンは「もう疲れた。」とポッカリ開いた穴から私に訴えてきた。
ごめんよ、ごめん。
この際、修理代は度外視だ。25年分の感謝代で納得がいく寸法である。
一澤信三郎帆布は修理にも定評がある。
穴が開いた所は裏から当て布をして丁寧にミシンをかける。ミシンの目は隠さず、オリジナルの模様として見てとれる。それは経年劣化の修理箇所を経年変化の味の良さに変え、新品で買った時の嬉しさがよみがえる。
そんなこんなで数ヵ所の修理を終えた帆布のカバンは、今やスポーツクラブ用かばんからお出かけ用かばんに返り咲き、日常の登場回数は数あるかばんの中で今やトップクラスだ。
修理したとはいえ、クタクタな生地と消えぬシワは健在で、同じ色の新品と見比べると赤子と老婆といった印象である。
しかし、シワは唯一無二のシワとなり、クタクタな生地はしなやかな柔軟性が武器になった。
使い擦れたのではない、味わいの域に達するまでの25年が尊かった。
だから、いま手にした新品の白い帆布カバンの 25年後の姿が楽しみなのである。
シワもキズも汚れも受け止めて、新しいかばんと共に経年美化の世界を味わう年が始まった。