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越冬サナギが起きたなら・その③

昼休みに夫からこんなLINEが来た。
「ナタネを見つけたけど見失った。あきらめていたところ、部屋の真ん中で風に飛ばされまいと床にしがみついているナタネを発見して保護しました。」
部屋の中で姿をくらました元越冬サナギのナタネは、どうやら自ら姿を現したらしい。
ふーっと安堵のため息とは裏腹に蝶のくせに飛ばずに床にしがみついているなんて情けないと、イライラする気持ちが見えかくれする。
ナタネに対して愛着を感じ始めた私の気持ちはユラユラと不安定だった。

帰ってきた、否、保護したナタネを土手から摘んできた菜の花に乗せるとチューチューと蜜を吸った。その後、爆睡し始めたという夫の報告は嬉しくもあった。しかし、会社の窓から見える強風でなびく木々の様子にナタネの行く末を案じずにはいられなかった。
強い風、部屋の中にいても半袖から出た二の腕をひんやりと冷たくする空気である。
こんな日にナタネは飛ぶのか。
まさか今晩も泊まる気ではあるまいな。ムムム。

夕方、帰宅するとナタネはお腹いっぱいに菜の花の蜜を堪能し、無風適温な心地よい部屋でピタリもとせずグーグー寝ていた。
アゲハチョウに極上のおもてなし付き2泊3日を提供する。この世に存在した滑稽で平和な事実を例えるならば、飛び立つ練習のオプション付き高級旅館のおもてなしで過言はない。

「もう、居たいだけ居れば良いわよ」と爆睡するナタネを起こさないようにひっそりと夕食をすませた。
自然と咀嚼は控えめである。

翌朝、空は恨めしいほどの寒さがしみる曇天模様。
分厚いフリースをいそいそと羽織りながら見たナタネはちょっとだけ飛んだ形跡があった。
菜の花から少し離れた観葉植物の葉にちょこんとぶら下がって静かに寝息を立てていた。私はまた行方知れずになっていたらどうしようと心配のあまり、ろくに寝ていない。
この家で寝不足は家主だけである。

ナタネを見ていて分かったのだが、蝶が飛ぶための条件はかなり厳しそうだ。
空気が寒いと体が温まらず、十分に羽根を動かすことが出来ない。多湿では羽根が湿気で重くなるのか、動きが悪くなる。
お花畑で蝶が舞う様子を見て美しいと思う理由は蝶にとって過ごしやすい環境であり、それは人間が感じる過ごしやすい気候と似ているのではないだろうか。

ナタネは今日も我が家に泊まるのだろう。
明日は朝から晴天の予想だ。
あれやこれや考えると疲れる。諦めも肝心である。
追加の菜の花も摘んできた。
ナタネは相変わらず眠気に逆らわずマイペースで新鮮な菜の花にペタリと体を寄せている。
明日こそ出立だ。
頼むから飛んでくれ。
つづく

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