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久米島紀行⑥球美の島、はての浜ヤドカリの家

久米島には、はての浜と言う天国のような場所がある。

久米島から北東に5km、船で約30分、まっ平らで細長く真っ白な砂浜の島が3つ浮かぶ。
それぞれ久米島に近い手前の島からマエノ島、ナカノ島、ハテノ島と名前が付いていて、総称してはての浜と呼ばれている。
青い海と永遠に続く錯覚を覚える真っ白な砂浜がシンプルに広がる。目を開けてはいられないまぶしい世界。日陰を作るのは大きく成長した雲か人工的に設置されたビーチパラソルくらいだ。
真夏のはての浜の紫外線は通常の7倍とも言われ、夏の盛りに数時間居ようものなら、あっという間に良い色に日焼けする。
否、丸焦げる。

私は、はての浜の景色を思い出す時に、麦わら帽子の少女とヤドカリの家があった夏に思いを巡らす。

7月上旬マリンショップのツアーで、はての浜を訪れた時の事である。
夏休み前の梅雨明け直後とはいえ、ツアー客は多い。はての浜へ向かう小型船には20人近くの観光客が乗船し、船が作り出す波と水しぶきを感じなから、おのおのはての浜への上陸に胸を弾ませていた。私が上陸した島は、はての浜の中でも一番奥のハテノ浜である。
船着き場はないので、波打ち際近くまで船を寄せて、はしごを伝ってエイッと上陸する。雪山よりも白く、太陽の日差しをまともに受けて透明感が五割増しである。
肌を刺す暑さも最高の演出となり、天国の窓が開かれた気分だった。

スノーケルを楽しむ子ども達や、パラソルの下でプシュッと缶ビールを開けて昼から呑める幸福感に、それこそ天国だと喉を鳴らす大人達。
果てしなく続く海岸線を静かに散歩をするのも、また良し。
海しかないが、それで満足である。

波打ち際をよく見ると、砂浜と同じ真っ白な魚の群れが今にも打ち上げられそうなほど近くを泳ぎ、砂が動く場所に目をこらすと、これまた真っ白なヤドカリが波と同じ速さで四方八方に動き回っていた。魚もヤドカリも久米島一等地の住人である。

てっぺんの太陽が海に向かって傾きかけ、帰る時間を知らせた。鼻の頭がジリジリと焦げ始めたが、遊び足らぬのだ。
あと10分、あと5分、大人げなく粘る大人はもちろん、チビッ子達も粘る、粘る。
いよいよ待ち時間をフルに使ってトボトボと船に乗り込もうとした時にひとりの少女が小さな箱を持って粘っていた。
どうやら一緒に帰る連れが出来た言うのだ。

覗き込むと箱の中には貝殻で作ったベッドと椅子、出入り口には珊瑚のかけらで出来た扉、ちょこんと桜色の渦巻き貝殻を背負った小さなヤドカリがいた。
昼間のビールに舌づつみをうち、バサバサとシュノーケリングで大はしゃぎしていた大人を横目に、少女ははての浜で運命的な出会いをし、ヤドカリの家を建てた。すでに「サクラちゃん」などと名前を付けたかもしれない。
母親らしき女性は「置いていきなさい、持って帰れないのよ」と、一貫して冷静な態度だ。涙目でうつむき、左右に体を揺すって粘る少女の情には絶対に流されないと、母親も粘る。
少女の気持ちも母親の気持ちも分かるが、大人子どもの私としては少女寄りである。

少女の粘りもむなしく、タイムアップだ。
少女は箱ごとはての浜のできるだけ中心近く、家が斜めにならないように、波がかぶらないようにと置いた。
少女の勇気を讃えよう。
私までも肩に力が入っていたのか、少女が箱を砂浜に置いたと同時に安堵と緊張の糸が緩んだ。

少女の感性は感度を増しさらに成長しするだろう。
きっと豊かな感情を持つ魅力的な女性となるに違いない。

久米島のはての浜で少女は、衝動的でも自分の出来るとこを目の前の絶景も無視して汗水垂らし、ひたむきに行動する夏を過ごしていた。