医者が病院を去る日

無知であること、何の目的もなく神秘の宇宙で途方に暮れることに恐れは感じない。私の知る限り、世界とはそういうものなのだから。

リチャード・ファインマン

今の僕の生活は、医業としては週に数時間非常勤(いわゆるバイト)の仕事があるだけで、ほとんど自由時間です。
大半の時間は、物思いに耽ったり、運動と読書と勉強と散歩しながら、人生のパートナーである鳥と過ごしています。
この生活になってから2年になります。医者が病院を辞めた日①〜⑩でお話ししてきたのは、いくつかの動機でした。

今回のお話は、当時の環境がとても悪かったから、必死になって切り開こうとしたわけではない、ということです。
医療業界でない人にも当てはまると思うので、解説していきます。

僕は病院で働いていて、とても幸せでした。

特に最後の5年間は、素晴らしい人間と緒に仕事をしたことは僕の人生でとても幸せなひとときでした。

彼らの先導のおかげで、人の身体を通して、とても複雑で、魑魅魍魎としていて、カオスで、鋭く、残酷な世界の有様を見ることができました。

例えば、女性は、高齢になるにつれ、頭蓋骨の厚さが増えていきます。でもこんなの教科書には書いていませんでした。文献に記述されていない、さまざまな現象が毎日僕の目の前を通り過ぎていきました。

目の前を妖怪の行列が通っていく感じです。

最後に僕とペアで仕事をしたのは、南俊介先生という方です。
どういう人だったかというと、無名の天才で、狼でした。専門医すら持っていませんでした。

病院での医療従事者同士のミーティング、医者同士の勉強会みたいなものを総称して、
カンファレンス、略してカンファと言います。
僕はその狼と、休日も含めて、3年間で1000回以上はカンファを行い、ひたすらディスカッションしました。
ほとんど全てを、A4のメモにスケッチ入りで記録したので、子供の背の高さくらいまで積み上がりました。

彼とは、特殊な癌のタイプから、健康診断の闇、小説に至るまで広く議論しました。
定年退職の月に、同時に僕も退職しました。

最後の日に「僕はもう立派な人生を歩むつもりはありません。」とメールを送り、

返ってきた返事は、
「私も君の知性 ( intellect ) に強く刺激を受けました。私も立派な人生を目指したことはありません。これからもお互いに前進しましょう。」

知性を表す言葉が、intelligenceではなく、intellectでわざわざカッコがきで記した意図に気づくまで半年かかりました。

メールも必要最小限の、プログラムコードのような文面しか送らない人でした。

この返事は嬉しかったです。
僕も彼も、周りの医者とはあんまり合わなかったようでしたが、たまたま僕たちは長く話をできました。
褒められた嬉しさ(僕はあまり感じなくなった)ではなく、砂漠の中で、人間に出会ったような感覚に近いでした。

何が言いたいかというと、当時は、
知的に満たされた生活であったことです。

仕事が激務だから、人間関係が嫌だから、上司の言うことを聞くのは嫌だから、ストレスがあるから、フリーランスになりたいから、報酬が割に合わないから、みたいな思いはありませんでしたし、突然思いついたわけではありません。
辞める3年前にすでに会社も所有していましたし、経営も回るように色々進めてきました。

それに、誰にも相談しませんでした。
南先生にも本当のことは明かしませんでした、「今後どうするのか」と聞かれても「自分で何とかする」の一点張りでした。
当時私の勤めていた病院は、京大の医局(各大学が持つ医者を構成員とする組織、よく言えばギルド、悪く言えばマフィア組織のようなもの。構成員を各病院に配置する人事権を持っている。病院は労働契約は結ぶが、人事権は医局にある場合が多い)の系列で、僕が入職した当初は、もう誰も新しい人を配置してこない病院だったので、病院のポストに欠員があったのです。

そこから教授が代わり、新しい教授は頑張ろうとしたのか、今まで人を送っていなかった病院の活性化を図ろうとしたため、人が送られてくるようになり、部長の南先生定年退職し、権限がなくなるので、僕がい続けるのが難しくなってきた(だろう)と言う事情があります。

そう、僕は、京大の医局にもどこにも属していない医者でした。業界の人から見れば、どうやって生きていくの?と思われる類の医者です。

医者の仕事は好きなので、細々と趣味で非常勤を続けながら、会社の経営を気が向いたら、して、あとは、さまざまな本を読んで勉強し、人と美味しい食事を共にする人生を作り上げていく。
このために、休日カフェで、今まで読んだ本の知識と、経営者や芸能人の友達の助言を組み合わせて、思いついたアイデアをナプキンに書き殴り、
毎週のさまざま人に連絡を取ったり、システムを設計したり、ポートフォリオを修正したりしていました。

本当にワクワクしていました。
辞める日までの準備期間はとても楽しかったです。

現実世界に対して、うまい問いを突きつければ、いい答えが返ってくるが、下手だと情報や知識は得られない、身をもって体験しました。

わかりやすい例を一つ、
趣味で続けたい非常勤の仕事が世の中にあるのかどうか、医師のバイトのマッチングサイト(かなりのピンハネをする)ではなく、各病院に勝手にメールを送ったりしました。

突きつける問いの種類は、無限とも言えるパターンがあります。
僕の提示した条件はかなり良いものだと思ったので、どのようなメール文面であれば、末端職員でスルーせず、上層部に読んでもらえるかといったことを試したのですね。
ドブ板営業から成功している経営者なんて、みんなやっていることです。

「自由になるための」クズのようなビジネス本なんかにノウハウとして書いてありません。
とりえる手段は有限ですから、どれをチョイスするのか、新しい方法を考えついてしまったらどうするかなど、自分で現実を見て頭を働かせないといけませんでした。

生きていることをみずみずしく実感しました。

相談していなんだから当たり前ですが、自分が正しい方向に進んでいるのか、間違えているのか、誰もはっきりってくれません。

後から気づきましたが、自由で何でもありな世界に漕ぎ出していくために、途方に暮れたこの感覚に耐え続けることが大切なんだなと思いました。

次からのエッセイでは、やめた後、気づいたこと、考察したこと、経験したことを、いくつかのトピックに分けてお話ししましょう。