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【読んだ】忘れられた日本 沖縄文化論

おすすめ度 ★★★★★

岡本太郎の本を読みたくて借りた。昭和36年発刊、図書館の書庫にしまわれてたボロボロの本で、古書のような佇まい。

芸術が爆発してる人だから、どんだけ難解なんだろうと身構えていたが、意外と読みやすかった。
勢いがあって、真っ直ぐでひねくれてて人間臭い。
言葉の鋭さに圧倒される。めちゃくちゃカッコいい。

ちなみに、岡本太郎に興味を持ったのは、NHKのタローマンという作品の影響。子どもたちも大好き。


さて、沖縄文化論である。
琉球舞踊に魅せられた岡本太郎が、文化論の調査として沖縄に向かう。
戦後10数年しか経っていない当時の沖縄。もちろんまだ占領下にある。

私の母は沖縄出身で、つまり私も半分沖縄の血が流れている。
小学生の時、沖縄の祖父母の家で過ごす夏休みが大好きだった。
母はこどもの頃ドルを使ってた話を時々してくれたし、祖母は私が尋ねたら沖縄戦の話をしてくれた。
大人になってから、興味を持って琉球時代や沖縄戦の本もいくつか読んだ。沖縄のドキュメンタリーはなるべくみるようにしてたし、今年初めてひめゆりの塔にも行って、ショックを受けた。

だけど、生々しさが全然違った。
占領下の沖縄を訪ねて、そのときに描いた文章。後から振り返って現代のために作られたものの何倍も生々しい。岡本太郎の熱量ある表現がさらにそれを引き立てる。

有名な「ひめゆりの塔」「健児の塔」「魂魄の塔」などを見た。大地にぽかっと暗く空いた岩穴や、珊瑚礁をめぐらす荒い磯に迫って、高々と突っ立った岩石の下の鍾乳洞。そこで降伏することも許されず、無数の若い娘たちが少年たちが自決し、あるいは惨殺された。白い腕、脚、首がちりぢりに飛び、地底の暗闇に埋もれたイメージはむごたらしい。

一段と高い荒い岩山の上、あそこで司令官、牛島中将が最後に自決したのだなどと聞くと、とたんにムラムラする。(中略)
とことんまで叩き潰されていながら、そして目の下に自分らのおかした惨憺たる無意味な破局を眺めながら、ついに最後まで虚栄の中に、反省もなく、「帝国軍人らしく」自刃した。ー 彼個人がどんな立派な人格の持ち主だったかそれは知らない。だがその軍部を象徴する暗いエゴイズム ー 
私は嫌悪に戦慄する

沖縄人がこの島で、沖縄人として生きることを許さなかったのだ。「皇民化」という屈辱的な名目のもとに、まるで蛮族のように沖縄本来のものを圧迫し、官僚的な画一主義の枠にはめ込もうとしたのである。(中略)私の惚れ込んでいる、だからというわけじゃないが、あの素晴らしい踊りも、民謡も、禁止に近いまでの圧迫が加えられた。中学校卒業以上の知識層には、こういう「卑しいもの」をやることを禁止したとかしないとか。腹が立つのを通り越して、馬鹿馬鹿しくなる。

岡本太郎の熱量は、怒りから来ている。めちゃくちゃ怒ってるし、それを隠さない。いわゆる「文化論」っぽい冷静さはまったくない。

八重山諸島の「人頭税」についても、全く知らなかった。
江戸時代に琉球を支配した薩摩藩が課した、非人道的に厖大な年貢の取り立て。どんな飢饉でも、餓死者がででも島単位で連帯責任を負わされる。
船が難破すればその分は未納として追徴される。制度が廃止され、日本国民として扱われたのは明治36年だという。
元々台風や疫病で、様々な困難に見舞われてきた島で、なぜさらに酷い目に合わなきゃいけないのか。
今も昔も、本土と沖縄の扱いの違いをどうしても感じてしまう。本土に住んでいる私ですら。

沖縄の人はいい。私は大好きだ。(中略)
自然と人間をひっくるめて、ともに許容するおとなしい柔らかさ。運命を見抜き、優しく諦観し、しかも人生を捨て切らないで、自分たちの分量だけで充実して生きることを楽しんでいる。

真っすぐ、無駄な飾りのない言葉は、読んでいる側のなんちゃって批評家精神を正面からぶっ壊すほどの力を持っていた。


新版では、タイトルは「沖縄文化論」だが、私が借りたのは初版で、黒い表紙に「忘れられた日本」とだけある。

沖縄を語りながら、岡本太郎は本土の批判を入れる。本土のというか、日本全体への。
それは芸術や、宗教観、生活のスタイルなど多岐に及ぶ。

われわれは時間によって区切られ、いつも追いかけられる。しかもさらにこちらの方からそれに追いつこうとして焦るのだ。もう何時だとか、後30分だ、なんて。瞬間瞬間はかえって空虚になる。(中略)
この時間の内容はひどく複雑で、せわしい。政治経済、労働問題、相場、相撲、野球、テレビ番組、そしてそれらを反映した新聞、週刊誌。

日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。(中略)
それにしても、今日の神社などと称するものはどうだろう。その殆どが、やりきれないほど不潔で、愚劣だ。いかつい鳥居、いらかがそびえ、コケオドカシ。安手に身構えた姿はどんなに神聖感から遠いか。とかく人々は、そんなもんなんだと思いこんで見過ごしている。

全体を通して、「忘れられた日本」というタイトルがしっくり来る。
岡本太郎は沖縄を通して、もちろん沖縄を描きたかったのだろうけれど、忘れられていく日本の良さみたいなものへの情熱を感じる。
「これ以上忘れられないでほしい」いう痛切な願い。

ただ、その願いは叶えられていない。
むしろもう、岡本太郎の願った日本はどこにも残っていない気がする。

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