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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑯

創造的復元が伝えた2つの物語

今回の行き先
日本基督教団神戸栄光教会

連載16回目になって今さらだが、あなたは「ヘリテージ」という言葉の意味を説明できるだろうか。辞書を調べると、「heritage:遺産。継承物。または伝統。伝承」と書かれている。では、この連載のテーマである「ヘリテージ建築」は、何を指すのか。辞書を調べても、ずばりの解説は見当たらない。
 
連載では、誰もがヘリテージと認める「原爆ドーム」のような文化財的建築から、日常使いの「東京メトロ銀座駅」まで、なるべく広いレンジで取り上げることを心掛けてきた。

今回訪ねた「日本基督教団神戸栄光教会」は、その中でも最も「これってヘリテージなの?」と言われそうな建築である。読み終えたときに、「なるほど確かに」と思ってもらえるかどうか、筆者の腕の見せどころだ。

写真1 西側外観

阪神大震災で「瓦礫」として撤去

この教会が完成したのは2004年。まだ築20年に満たない。場所は神戸市・元町、兵庫県庁前の三差路。1995年の阪神・淡路大震災で全壊した旧会堂を再建したものだ。大正期から「赤レンガの教会」として市民に親しまれてきた建物である。

2002年に設計コンペが行われ、日建設計が当選。震災から9年後の2004年に完成した。新しい会堂は、ゴシック調の鐘楼と三角屋根が特徴的だった旧会堂の意匠を継承したが、いわゆる「復元」ではない。平面や断面も大きく改変しているし、旧会堂の部材を使いまわしてもいない。かつての意匠を尊重しつつ、現代の技術と材料で「これから教会が持つべき機能」を実現した。
 
それでも、完成時には神戸市民に好意的に迎え入れられた。20年たった現在は、震災前からあったように街になじんでいる。完全な復元でなくても、そこにあった“物語”は受け継がれた。ここでは、ほとんど知られていないと思われる2つの物語を紹介する。

写真2 南側外観
写真3 南西外観

再建案を設計コンペで選ぶ

物語の1つは、“風景の記憶”をめぐるものだ。
 
神戸栄光教会は1886年、宣教師で教育者・医師でもあったウォルター・ラッセル・ランバス(1854~1921年)が創設した。ランバスは関西学院の創立者としても知られる。
 
当初は現在地とは別敷地で設立された。阪神淡路大震災で全壊した旧会堂は、1922年(大正11年)に建てられたレンガ造の建物で、教会史では2代目とされている。


写真4 旧会堂

震災当時、耐震補強はされておらず、揺れによって鐘楼は道路に崩れ落ち、礼拝堂も大きく損傷した。旧会堂は、当時の被災地の補助により「瓦礫(がれき)」として撤去された。
 
被災後、教会は大きなテント礼拝堂と小さなプレハブ事務所を建てて活動を続けた。テントの礼拝堂は、夏は暑くて冬寒く、交通騒音の中で礼拝はたびたび寸断された。瓦礫の中から取り出された長椅子だけがかつての記憶を伝えていた。このテントは3代目の意味で「第三会堂」と呼ばれた。

教会員の多くも被災者であったため、新会堂建設の資金調達は難航した。デベロッパーや建設会社からは土地売却による移転新築や、複合化・高容積化による資金調達などが提案されたが、会員は現地での自立再建を目指した。

新会堂の設計案は当初、教会建築に多くの実績を持つ設計事務所が進めていた。しかし、会員たちの思いが強く意見がなかなかまとまらず、プロジェクトは停滞していた。そこに交代着任した相浦和生・主任牧師(故人)は、「このままでは教会がばらばらになってしまう」と考え、指名設計コンペを提案。安田丑作・神戸大建築学科教授を委員長とする審査委員会が構成された。

いったんは参加を辞退した日建設計

2002年、安藤忠雄建築研究所、一粒社ヴォーリス建築事務所、稲富建築設計事務所、坂倉建築研究所、瀬戸本淳建築研究室、日建設計の6社を指名して、コンペが実施された。
 
コンペへの参加を求められた日建設計だが、担当した日建設計の児玉謙さん(日建設計代表取締役副社長・当時設計主管)は、「当社にはキリスト教会の実績がなかったので、最初は辞退しました」と、驚きの事実を明かす。それでも会員らから参加を強く求められて参加したが、「当初は全く違う案を検討していました」とも。
 
児玉さんはこう続ける。「あのロケーションとキリスト教会という課題を与えられれば、建築家なら誰でも、自らに天才が宿ることを願います。ですが、コンペ要項の示すプログラムを丁寧に読み込むと、旧会堂のボリュームでも納まるものであることが分かってきました。私自身が神戸っ子でもあるので、市民の方々も赤れんが教会の風景が取り戻されることを望んでいるのではと考えるようになりました」

2週間の展示期間中に理解が深まる

各社の提案は、テントの会堂の中に2週間ほどパネル展示された。児玉さんは、「各社の力作が並ぶなかで、会員の方々に『日建さんには積極的に取り組んでもらえなかった』という印象を与え、当初は人気がなかったようです」と振り返る。旧会堂は、施設としては老朽化して機能不全が多く、また震災の暗くつらい記憶も重なったのだろう。しかし、毎週の礼拝で見比べているうちに、建物の中身が一新されていることが徐々に読み取ってもらえるようになった。
 
2週間の展示後に、全会員への公開ヒアリングが行われ、審査委員会と同時に行われた会員投票の結果が一致。安田教授の「復元的創造を期待する」という評とともに、日建設計案が実施案に決まった。「2週間の展示がなく、すぐヒアリングが行われていたら、票が割れて頓挫していたかもしれない」と児玉さんは言う。
 
かつての教会を思わせる再建案の完成予想図が地元の新聞に掲載されると、一般市民からも寄付が寄せられるようになった。設計の参考になる旧会堂のスナップ写真なども寄せられた。コンペから2年後の2004年9月、かつての記憶を伝えつつ最新機能を備えた「第四会堂」が完成した。

写真5 外から見た礼拝堂窓回り
写真6 礼拝堂の窓回り

設計者は曾禰達蔵でなく、難波停吉

もう1つの物語は、ディープな建築好きならぐっと来るであろう“設計者の記憶”だ。

2代目会堂の設計者は、「難波停吉」という建築家である。たぶん知っている人は少ない。筆者も知らなかった。調べてみると、この人が実に面白い。

ウィキペディア(WEBのフリー百科事典)で「神戸栄光教会」を調べると、旧会堂の設計者は「曾禰中條建築事務所」と書かれている。ジョサイア・コンドルに学んだ日本の建築家第1期生の1人、曾禰(そね)達蔵 (1853~1937年)の設計事務所だ。1922年竣工なので時代的におかしくないし、デザインもそんなふうに見える。
 
筆者もそれを信じて予習していたのだが、直前に児玉さんから「設計者は難波停吉」と教えられた。竣工時の図面を見せてもらうと、署名欄に「難波建築事務所」と書いてあるので、間違いない。
 
建築の歴史書の中にも、旧会堂の設計者が曾禰中條建築事務所となっているものがあるようだ。なぜそうなったのか。
 
以下は、日本建築学会2002年大会で伊藤喜彦さん(当時は東京大学工学系研究科、現在は東京都立大学准教授)が発表した研究内容から拾ったものだ。
 
難波停吉は1890年(明治23年)生まれ。難波という苗字から関西人を想像するが、生まれは栃木県。養子となって東京で育ち、工手学校(現・工学院大学)建築学科で学ぶ。卒業後の難波は、建築家というよりも「フリーの建築技師」といえそうな立場で活動した。

戦前に幾多の名建築をサポート

神戸栄光教会の設計者に抜擢されたのは1918年、28歳のときだ。難波はこの教会の会員で、当時の牧師に気に入られた。教会が完成すると、翌年には曾禰達蔵の代表作である「小笠原伯爵邸」の現場に参加。1927年の完成に貢献した。その後、アントニン・レーモンドが設計に参加した「アメリカ大使公邸」(1931年)や、竹中工務店の「東京宝塚劇場」(1933年)、前川國男の処女作である「木村産業研究所」(1933年)にも名を連ねている。
 
神戸栄光教会の設計者が曾禰中條建築事務所であるとの誤解は、難波が教会の設計開始時に、曾禰中條建築事務所の設計である「日本神戸郵船支店」(1918年)の建設に関わっていたことから生まれたと考えられる。
 
それぞれのプロジェクトが時代的に重なっており、事務所を移籍したとは考えにくい。プロジェクト単位で契約して、設計や現場を掛け持ちしていたのだろう。
 
そしてこの難波停吉という人、戦後の1956年、66歳のときに神戸のこの教会を訪ねた直後、「出家する」と言って寺に籠ってしまう。1975年に亡くなるまで、伊豆長岡で修行僧として過ごした。若き日はキリスト教徒で、晩年は僧侶って……。戦前に「フリーの建築技師」という存在がいたことにも驚かされるし、その人の怒涛の戦後にも考えさせられる。新会堂が旧会堂と全く違うデザインであったら、難波の存在自体が忘れ去られてしまったかもしれない。

写真7 礼拝堂を2階から見下ろす

最後に、「ヘリテージ」の定義に戻ろう。一般論はさておき、本連載での「ヘリテージ建築」は、「築年数にかかわらず、利用者の記憶を継承し、つくり手の思いや業績を伝える建築」としたいのである。いかがだろうか。

■建築概要
日本基督教団神戸栄光教会
所在地 :兵庫県神戸市中央区下山手通4-16-1
発注者 :宗教法人日本基督教団神戸栄光教会
設計者 :日建設計
施工者 :竹中工務店
構造  :鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造
階数  :地下1階・地上2階
敷地面積:1,179.63㎡
延べ面積:2,213.25㎡
施工期間 :2003年5月~2004年9月

TOP写真・写真7:東出清彦
写真4:建設当時の神戸栄光教会(設計:難波停吉 1923年)


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など


西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
ダイレクター ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。





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