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二軒茶屋餅もの語り【0】プロローグ

いらっしゃいませ。二軒茶屋餅もの語りのnoteにお越しいただき、ありがとうございます。

筆者は、二軒茶屋餅に出合ったことがきっかけで今まで知らなかった「もうひとつの伊勢」を知り、郷土史の面白さにはまった者です。この面白さを皆様にもお伝えしたくて、二軒茶屋餅角屋本店の会長・鈴木宗一郎さんと社長の成宗(なりひろ)さんへの取材をnoteにて綴ることにしました。

「憚りながら口上」に替え、なぜ伊勢の郷土史に惹かれたのかをプロローグとしてしたためました。

「本編(鈴木さん親子のインタビュー)から読みたい」という方は、こちらへお進みくださいませ。

なぜここに「二軒茶屋餅」が生まれたのか

二軒茶屋餅角屋本店

三重県伊勢市、伊勢参宮の旅。神宮で捧げる祈りには、何物にも代えがたい清々しさがあります。
特におすすめは朝いちばんの参拝。木漏れ日がきらめく森の中、玉砂利の音が響く参道を歩き、澄み切った空気の中で手を合わせると、神聖な世界に近付けたような畏敬と感謝の念が湧きあがってきます。

さて、参拝の後は、お伊勢名物を目当てにいそいそと鳥居前町へ。これは昔も今もきっと変わりませんよね。
伊勢には豊かな自然の恵みと、古くからのおもてなし精神によって磨かれた美味・珍味が目白押し。目移りしてしまいます。

中でも餅菓子は欠かせません。伊勢街道沿いには餅菓子の老舗が多く、別名「餅街道」と呼ばれるほどです。
江戸時代、庶民にとってお米は贅沢品。「一生に一度はお伊勢参り」の記念に、茶屋の餅菓子で腹ごしらえしたことも、一生の思い出になったことでしょう。

そのような名物餅のひとつが、伊勢市神久の「二軒茶屋餅」。創業はなんと安土桃山時代の天正年間(1575年)。今から440年以上も前のことです。
ちなみに、この年は織田・徳川連合軍と武田軍による長篠の戦いが勃発した戦国の世。平民・百姓の中には、戦へ駆り出されるのを恐れて故郷を離れ、平和な土地を求めて移動した人もいたそうです。

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二軒茶屋餅角屋本店の縁台でいただくお餅とお茶

引き戸を開けてお店に入り、縁台に座っていただくのは、素朴な餡入りきな粉餅。昔ながらの生餅で、餅本来が持つ美味しさが味わえます。
つき立て餅の滑らかな柔らかさ、こし餡のあっさりした甘さ、きな粉の香ばしさが、三位一体となって醸し出す風味がたまりません。伊勢茶をすすりながらいくつでも食べられそうです。お持ち帰りは竹皮で包まれ、昔ながらの風情もうれしい限りです。

ただ、私はお餅を頬張りながら、ふと疑問に思ったことがありました。

二軒茶屋餅は「二軒茶屋」という地名に由来しています。茶屋ということは往来の拠点だったということですが、この場所は伊勢街道から離れており、どちらかというと海の近くなのです。茶屋ができるほど人が往来する何かがあったのでしょうか。

きっと私が今見えていない歴史がここにあるのだろう。お店の周辺を歩きながら、そんな思いを巡らせていました。

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二軒茶屋餅角屋本店の民具館

私の小さな疑問を有限会社二軒茶屋餅角屋本店・会長の鈴木宗一郎さんと社長の鈴木成宗(なりひろ)さん親子にお尋ねすることができました。

宗一郎さんは20代目で昭和6年生まれ、息子の成宗さんは21代目で昭和42年生まれ。成宗さんは平成9年に伊勢角屋麦酒を立ち上げ、今では地ビールでは全国第4位の出荷量を誇り、伊勢を代表するクラフトビールとして全国で愛飲されています。

この創業家のお二人のお話が、思いがけず、私が知らなかった伊勢の側面を知る旅の始まりとなりました。

「勢田川」から知った、もうひとつの伊勢

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勢田川の二軒茶屋付近

この川は、二軒茶屋餅角屋本店の背面を流れる「勢田川(せたがわ)」です。内宮の真西にある鼓ヶ岳を水源とし、伊勢市街地を通り、伊勢湾へ流れていきます。全長7.3 kmの短い川です。

穏やかに見える川の風景。しかし宗一郎さんと成宗さんのお話を聞くと、別の風景が見えてきました。

伊勢では、江戸時代から昭和初期まで、三河(愛知県)や遠江(静岡県)の民衆が船で伊勢湾を渡りお伊勢参りにやってくる「舟参宮」が盛んだったそうです。その船は勢田川に入り、参宮客は二軒茶屋で上陸して、街道に入る前に茶屋で一服。その時に食べたのがこの二軒茶屋餅だったと。

私は衝撃を受けました。江戸時代のお伊勢参りといえば、伊勢街道を徒歩で行くものだと思い込んでいたのです。陸路以外に、伊勢湾を渡る「舟参宮」の道があったとは。その発想はなかった。伊勢の地図の見え方が変わりました。

さらにお話をお聞きしたところ、江戸時代の勢田川は、一大観光・商業都市である伊勢を支える物流の大動脈だったとか。この短い川は、二軒茶屋の他にも河崎、神社港、大湊という港町を擁し、日本中の荷船が幾艘も出入りし、活況を呈したそうです。
伊勢の経済発展を支えた勢田川。今でも往時の風情が感じられる町並みが残っています。

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河崎の蔵群
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河崎の酒問屋「小川商店」。現在は「伊勢河崎商人館」
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海の玄関口、神社港

そうして伊勢は、古くから観光業・商業が発達したことで、経済力を持った町衆による自治都市が発展。江戸初期には独自の地域通貨を発行するなど、幕藩体制下であっても、町衆自らの手で経済的・文化的なイノベーションを生み出す土壌があったのです。

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伊勢山田の私札「山田羽書」。日本最古の紙幣と言われる

今まで感じていた、神宮の荘厳で神聖な世界。そして今回の旅で出会った、町衆の自由闊達な世界。伊勢はこの2つの世界が表裏一体になった唯一無二の歴史をもつ風土なのだということに気付きました。

改めて二軒茶屋の船着き場に立つと、今まで見えていなかった水の道が見え、往時の人々が闊歩する脈動が聞こえるような気がしました。

知るということは、こうも目の前の景色を変えるのかと思いました。

味覚を生きたものにする「知ること」の喜び

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竹皮に包まれた、持ち帰り用の二軒茶屋餅

往時の風景を思い浮かべて勢田川沿いの道を歩き、再びお店の縁台で一服。歩き疲れた後のお餅は、また格別においしいのです。「昔の人もこうして『うまいなあ』という顔をしたのかな」と思うと愉快な気持ちが湧いてきました。

三重県の餅菓子の歴史を調べていたら、こんな文章に出合いました。

「食べ物は単に味覚を味わうものではない。形や色や匂い、そしてさらにその土地の文化や歴史を知ってこそ、本当に味わうことができるものである。まして、その食べ物にまつわる伝承とか店舗について知っていれば、味わいにもより風情が加わるものである。愛着の度合いにより、日本人特有の心が味覚を生きたものにする。」

出展:『三重県の食生活と食文化』大川吉崇著 調理栄養教育公社刊 2008年

もちろんお菓子のおいしさは作り手によるものですが、食べる側もお菓子にまつわる背景を知ることで、より一層おいしく感じられそうです。

今まで何度も訪れていた伊勢ですが、私にとっては新たな発見に満ちた、もうひとつの伊勢の旅が始まりになりました。

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朝熊山から伊勢市を望む

次回から二軒茶屋餅角屋本店の鈴木宗一郎さん・成宗さんのインタビューを連載していきます。
皆さんにとっても、二軒茶屋餅がもっとおいしくなる、そしてもうひとつの伊勢を知る旅のきっかけになれば幸いです。

〈続〉

いよいよ鈴木さん親子のインタビューの連載が始まります。
次回「二軒茶屋餅もの語り【1】舟参宮の道 」をお楽しみに。

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