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「ファミリア」第十九話

Jim
(7)


 ジョーは、命の尽きた妻に向かって愛を告げ続ける。
「なあ? 君たちにとって、『愛』とは一体何だ?」
 横に立つサマンサに私が訊ねると、彼女は「人間みたいなことを考えるのね」と笑いながら答えた。
「愛って、それ以上先がなく、そして、最果てもない。そんな絶対的なものだとわたしは思うわ。神のようにね」
 そして、ジョーの背中側へ進み出ると、彼を包み込むような仕草をして言った。
「ジョゼフ。わたしも愛してるわ。どうか、今日のあなたの判断を、いつまでも悔やまないで。あなたは間違いなく、正しい選択をしたのよ。本当にありがとう」
 『愛』とは何か――私の質問に対するサマンサの答えは、やはり私には理解できないものだったが、彼等二人には、彼等だけが持つ共通の『愛』という認識が存在している。それは、はっきりと説明できるものではなく、はっきりと形を示すものでもない。
 しかし言葉はなくても、互いの想いは通じ合い、そして目で見ることができなくても、お互いの存在を確かに感じ合っているように私には思えた。
「サマンサ、そろそろ出発しよう」
 呼びかけると、彼女は黙って肯き、立ち上がった。

「ジム。お疲れ様」
 サマンサの魂を冥界まで送り届けた後、再びディランシー総合病院に降り立つと、同僚のアニーが私に声を掛けた。
「やぁ、アニー。ロベルトの魂は?」
「もちろん、滞りなく冥界へと送り届けたわ。今はまた、別のターゲットの元へ向かうところよ」
 アニーが新たなリストを私に手渡す。「立て続けで悪いけど、人手が足りないの」
 そこにある名前を見た瞬間、驚きのあまり私は目を疑った。新たなターゲットの名前は「ケイト・クーパー」――私の知る、ケイト本人だったからだ。
「ジム? どうかしたの?」
 リストを見つめたまま硬直する私を見て、アニーが訊ねた。
「これは……事実なのか?」
 これまでリストに誤りがあったことや、記載された人物が死を免れて生き残ったことは一度としてない。私はその事実を知りながらも、気付けばそう口からこぼれ落ちていた。
「もちろん間違いはないわ。それよりもジム、あなたその人物を知っているの?」
「いや、知った名かと思ったが、勘違いだったようだ」
 私は咄嗟に嘘をついた。アニーにこのことが知れれば、私は直ちに担当から外されるだろう。
「そう、じゃあお願いね」
 少し怪訝な顔をしながら立ち去るアニーを見送り、私は急いでケイトの元へと駆け付けた。

 サマンサを冥界に送り届けてから、それほど時間は経っていない。ケイトはまだICUにいた。母親が寝かされているベッドの横に腰掛けている。その隣に看護師らしき人物が一人立っていた。
 私は一先ず身を潜め、ケイトが一人になるタイミングを待つことにした。
 ケイトと看護師のやり取りを柱の陰から聞きながら、私は考えていた。リストに記されたケイト・クーパーという名前。私が初めて出会った能力者の名はヴァレリー・クーパー。この偶然が示す真実は何かを。
 同じ姓であろうが、同じ名であろうが、名前が同じであることはそれほど珍しくない。しかし、その同じ名を持つ二人が、私が出会った二人きりの能力者であるという事実。
 これは偶然なのか、それとも彼らはやはり同じ一族なのか?

 看護師がケイトから離れ、ICUから出ていく。ケイトの側に誰もいないことを確認した私は、柱の陰から出て声を掛けた。 「ケイト」
「ジム!? 一体いつの間に戻って来たの!?」
 ケイトはひどく驚いて振り返った。私がいつどのようにこの部屋に戻ったのか、それを説明するには正体を明かす必要がある。
「本当に済まない。悪いとは思ったんだが、君たち二人の会話を聞いてしまったよ」
 死の使いであることを伝えるため、前置きとして話し始めた言葉だったが、ケイトは怒りを表した。
「お母さんが大変な時に、変な冗談はやめて!」
 私の配慮が足らなかったのか? そのとき、数名の看護師が部屋に入って来るのに気づき、ケイトが口を閉じる。看護師たちは前を素通りし、サマンサの横たわるベッドに向かった。
 ケイトの怒りが途切れたのを見計らい、私は自分の正体を打ち明けた。
「私は死の使いだ。死神と言った方が君たちには解りやすいだろうか? 私たちの前では、物質は無意味だ」
 突然の説明に状況が把握できないのか、ケイトは驚いて言葉を失い、再び我に返って私に怒りを向けた。
「状況にしても、場所にしても、あんたの冗談は度を過ぎてる!」
 そのとき、私はケイトが手に持つ一枚の写真に目を奪われた。どこか懐かしく、私が好きだったあの絵画のような景色。
「その写真……その写真を私に見せてくれないか!?」
 食い入るように彼女の手にある写真を覗き込むと、ケイトはひどく怯えて写真を手放し、震えた声で叫んだ。
「見せてあげるから、それ以上近付かないで!」
 写真は彼女の手を離れ、私の手を通り過ぎて、木の葉のようにヒラヒラと床の上に舞い降りた。
 写真には、記憶に深いとうもろこし畑に水車小屋の景色が写っている。私の好きな夕日を浴びた光景ではなかったが、間違いなくその場所はアーモットだった。
 写真の中央には、まだあどけなさの残る少女のような女性と、抱きかかえられた赤ん坊。その隣に、女性の母親らしき三名の人物が映っている。ヴァレリー・クーパーだった。
「やはり君か! 君がヴァレリー・クーパーの孫のケイトか!?」
 絡まった糸が解けたような感覚に、私は感情を昂ぶらせるが、ケイト自身は一体何が起こっているのか、まったくわからないといった表情で私を見つめた。
「ケイト? どうした?」
「どうしたも、こうしたも! あなたの手を写真はすり抜けたし、なぜおばあちゃんの名前まで!?」
 ケイトの口調は怒りめいたものだったが、彼女の体は小刻みに震え、母親を庇うようにベッドに向かって身を縮めた。
「さっきも説明したように、私の前では物質は無意味なんだ。それに、私は知っている。君の祖母のヴァレリーのことも、君の母親が彼女にジェシーと呼ばれていたことも」
 始めは、怯えや恐怖の表情を見せていたケイトだったが、私の話を聞くうちに真剣な顔つきに変わっていった。そして同時に、思い詰めたように考え込んだかと思うと、恐る恐る私に訊ねた。
「じゃあ……もし、あなたの言うことが真実で、あなたが本当に死の使いなんて者だとしたらよ?」彼女は慎重に言葉を選んで続けた。「カーテンの向こうのおばあさんと同じように、わたしのお母さんの命も奪い取っていくってことなの?」
 ケイトの視線は小さく揺らぎ、迷いながらもその疑問と様々な推測の答えを私に委ねていることが伝わってきた。
 だが、彼女が訊ねた言葉の意味が私には理解できなかった。肝心の質問の意味が私にはわからなかったのだ。
 私はしばらく黙ったまま、頭の中で彼女の言葉を整理し、その意味を推測しようと努力する。すると、痺れを切らせたのか、ケイトが物凄い剣幕で私に問い正した。
「ねぇ!? どうなのよ! 本当のことを言いなさいよ! あんたはお母さんを殺しに来たんでしょ!?」
 殺しに来た――。
 彼女がそう叫んだとき、ようやく私はケイトの真意に至った。
「なるほど君は誤解している。我々の仕事は人間の命を奪うことではない。死んだ肉体から出た魂を、無事に冥界まで送り届けるのが仕事だ。そして君の母親だが、これも君に話した通り、彼女にはまだその予定はない」
「予定はない!? 予定はないってことは、とにかくまだ大丈夫ってことなのね!?」
「そうだ」
 私が明確に答えると、ケイトは安堵したように見えた。きっと彼女は、誰よりも母親の身を案じ、常に神経を尖らせているのだろう。ヴァレリーが娘ジェシーを気遣ったのと同じように。
「ヴァレリー・クーパーもそうだったが、その特殊な力は彼女よりも遥かに強力に、君に宿っているようだ」
「特殊な力?」ケイトは不思議そうに訊ねた。
 私は肯き、初めて能力者に出会った時のことを語り始めた。ケイトの祖母であり、ジェシーの母親であるヴァレリーについて。
 そして、1994年、ミズーリ州セントルイスから南西に一八〇マイルほど離れた、アーモットと呼ばれる小さな田舎町での出来事を。
 ケイトは真剣な眼差しで話を聞いた。私を見、私の口の動きを見、さらに時折りいくつかの言葉を自分の口で復唱し、それについて承服するように聴き入った。
 ヴァレリーをターゲットとして監視を始めたことから始まり、彼女が私をその目で見ることができた能力者であったこと。ジェシーが、まだ赤ん坊だったケイトを連れてヴァレリーの家に逃げ込んで来た途端、ヴァレリーの意識は削がれ、私を見失ったこと。
 そこまで話し終わると、ケイトは私に訊ねた。
「お母さんとわたしは一体何に怯えて、何から逃げていたの?」
「君のその頬にある大きな火傷跡。それは、その日につけられた物だ」
「それはおかしいわよ! だってこの火傷は自分でやったって……」
「確かに、私は君が火傷を負わされた場面を実際に見た訳ではない。しかし、ヴァレリーとジェシカの会話の内容を聞く限り、君の母親は日常的に夫のドニーから暴力を振るわれていたようだ」
 ケイトはとても賢い人間だ。多少の混乱はしているものの、私の言葉を良く理解し、そして自分の頭の中でさらに咀嚼しているように見えた。
「じゃあ……」
 ケイトは途方に暮れるように呟くと、言葉を濁した。私はその後を続けた。
「そうだ。君の父親、ドニーだ。彼の暴力の矛先が君に向けられたことで、ジェシーはついに堪えきれなくなり、君をつれて町を出た」
 ケイトはその目に溢れんばかりの涙を溜めて、ジェシーの顔を見つめた。
「そしてその翌日、君たちを探しに来たドニーに、ヴァレリーは殺されてしまったんだ」
 ケイトに当時の状況を説明するうちに、再びヴァレリーの言葉が私の頭の中に鮮明に浮かんできた。
「あんたも、人の親になればわかる」
 ヴァレリーの言ったこの言葉から、私の違和感は始まっている。彼女の魂を冥界へ送ってから随分経つが、その間ずっと拭えないシコリが私の中に存在していた。
 本来なら、私たち死の使いが人間を理解する必要はない。私たちの仕事は、あくまで彼等の魂を無事に冥界へと送り届けることだけだ。
 しかし私にとってヴァレリー・クーパーの言葉は、大きな可能性を含んでいるように思えて仕方がなかった。私たちには思い付きもしない言葉であり、理解できない事柄であるがゆえに、その解答を見つけることが叶えば人間を理解することができるかもしれないという可能性に、私は目覚めた。ヴァレリーの言葉が、理解へ通じる鍵のように思えて私はすっかり捉われていた。
 私たちにはなく、人間にのみ存在するものこそが「人間らしさ」だとするなら、その人間らしさがあったからこそ、ヴァレリーは殺されるとわかった相手を前に、一歩も逃げ出そうとしなかったということだ。
 そしてやはりそこがわからないのだ。押し黙り、考え込む私に向かって、ケイトが口を開いた。
「お母さんは、なぜおばあちゃんも連れて逃げなかったのかしら?」
 その内容に私は驚かされた。それこそが、私が最も知りたいことであったからだ。ヴァレリーの孫であるケイトなら、アーモットから芽生えた私のシコリを取り除く手立てを見つけることができるのかもしれない。
「ジェシカはヴァレリーを連れて逃げようとしていたが、ヴァレリーは彼女自身の意思で、君たちに同行せず自宅に残ったんだ。なぜヴァレリーが君たちと一緒に逃げなかったのかわかるか? ケイト、君ならその答えを持っている気がして、私も君に訊ねたかったんだ」
 するとケイトは、その問い掛けに答えるための前提条件を探るように、さらに私へと訊ね返した。
「もし、お母さんと逃げていたら、おばあちゃんは死なずに済んだの?」

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