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「ファミリア」第九話

Cate Cooper(8)

 やがて、白衣を着た先生と看護師が部屋を出ていくと同時に、一つのことを悟った。あのおばあさんは死んでしまったんだということを。
 しばらくお母さんの手を握ったまま、わたしはジムが仕事を終えるのを待っていたけど、一向に戻ってくる気配はなかった。
 心配になって、光が漏れるカーテンの側まで行ってみたけど、カーテンの中には、亡くなったおばあさんと、おばあさんの手を握って何か優しく囁いてるおじいさんしか見えない。
 部屋を出て行ったのは、確かに先生と看護師だけだったし、大部屋のあらゆる場所を確認したけどやっぱりジムの気配はなかった。 
 ひょっとしたら、黒っぽい服装だったし見逃したのかしら? 
 そう思ってお母さんが眠るベッドに戻ろうとすると、表のナースステーションにレイチェルの姿が見えた。
「やっぱり、お母さんのところだったわね」
 レイチェルは静かに部屋に入って来ると、お母さんのいるベッドまでやって来て、丸椅子を並べてわたしの隣に座った。
「この椅子って、長時間座ってると、お尻が痛くなっちゃって嫌いだったわ……」レイチェルがお母さんの手を優しくさする。「マギーさんが、あなたのことを心配してたわ……」
 黙ったまま反応しないわたしに、レイチェルは続けた。
「お母さんのことは、誰にも責任はないわ。あなたにも、そしてマギーさんにも」
 お母さんの手も、わたしと同じに反応しない。
 レイチェルの言いたいことはわかるつもり。でもそれでもわたしは、お母さんがこうなってしまった責任を何かのせいにしたかった。
「私が高校生のときにね、初めてクラスメイトの家に泊りに行ったのよ」なにを思ったのか、突然レイチェルが学生時代の思い出を語り出した。「その夜、急にホームシックになってしまった私は、泣きながら両親に電話を掛けて迎えに来てもらうことになったわ」
 それは、今隣にいる知的でクールな女性像からはとても想像のできない話だった。わたしは驚いて思わず反応する。
「本当に? あなたみたいな人が? 信じられないわ」
「あら、それって心外だわ! 今はこんなでも、私だって昔はあなたみたいにウブだったのよ」
 照れたように笑いながら、レイチェルは続けた。
「でもね、私のパパが夜中に車で私を迎えに来る途中で、事故に遭ってしまったの。車同士の衝突事故よ」
 わたしの視線の先で、彼女の目がうっすら赤く染まっていく。「病院から知らせを受けて、ママと一緒にこの病院の、まさにこの部屋に案内されたわ。丁度、あの光が点いてるカーテンのところ」
 彼女はそう言って、今さっき亡くなったおばあさんの眠るベッドを指差した。
「そのときは、パパがこんな風になってしまったのは、私のせいだって自分を責め続けてたわ。この丸椅子に何十時間も座り続けてね」
 そして彼女は、そのときの自分のパパを見るような目で優しくわたしのお母さんを見つめると、その頭を撫でた。
「でもね、私のママは結局、パパがあんな目に遭ったのはお前のせいだとは言ってくれなかった。パパに関することは誰にも責任はないって……。私のせいだって言ってくれれば、本当はもっと楽だったのにね」
 無機質な機械音がリズム良く聞こえるこの部屋で、少しだけ沈黙を置くと彼女は再び話し始める。
「許すことって、本当に勇気がいることだと思うの。わかりあうことと同じくらいにね。でもそれができるからこそ、本当の家族なんだって私は思うわ。悩みも苦しみも、そして笑いあうことも幸せに過ごす時間も、まるごと分かち合えるからこそ、家族なんだって今の私は思う」
 彼女の言葉が、ずっしりとわたしのお腹を締めつける。
 わたしだって、本当はわかっていた。お母さんがこんな目に遭ったのが、本当はマギーおばさんのせいじゃないってことくらい。
 本当はわかってたのに、何かのせいにしたかった。
 それで何が変わる訳でもないのに、何か理由をつけなきゃ、とても自分の中で整理できそうになくてとても怖かったんだ。
 今もまだ無機質な機械に囲まれて、眠ったまま目を覚まさない眠り姫のお母さんにキスをしたわたしは、ポロポロと溢れる涙を拭おうともせずにつぶやいた。
「わたしもこの丸椅子って嫌い……ずっと座ってると、お尻が痛くなるから」
 レイチェルがわたしの涙を優しく拭う。
「私はまだ仕事があるからERに戻るけど、お尻が痛くて我慢できなくなったら、外科病棟の待合室に行くと良いわ。あそこのソファーなら、丸椅子より幾らかマシよ。マギーさんも待ってるしね」
 レイチェルは立ち上がると、扉のところで一度立ち止まり、児童家庭局のレイナーさんが来た経緯を説明してくれた。
「病院の規則でね、預かってくれる親族の方が見つからない場合は、連絡を入れなくてはならないの」
「虐待もでしょ? わたし、レイナーさんは嫌い。書類ばかり見て、わたしの話なんて書類の足し程度にしか聞いていなかったもの」
 わたしがそう言うと、レイチェルは黙ったまま笑って、エレベーターホールの方へと消えていった。
「ケイト」
 彼女が去ったすぐ後に、背後からわたしの名前を呼ぶ声が聞こえて恐る恐る振り返ると、病室の柱の陰にさっきまで部屋のどこを探しても見当たらなかったはずのジムが、思い詰めた表情でわたしを見つめていた。
「ジム⁉ 一体いつの間に戻ってきたの?」
「本当に済まない。悪いとは思ったんだが、君たち二人の会話を聞いてしまったよ」
 ――会話を聞いていた? その言葉にわたしは一瞬驚いたけど、すぐに我に返って、これは彼の質の悪い悪戯だと考えた。だって、レイチェルがこの部屋へ来るまでの間、わたしは隈なくジムを探していたし、その間、誰一人部屋には出入りしてない。つまり、この部屋に隠し部屋でもない限り、誰にも気づかれずにこの部屋を出入りすることなんてできない。
「お母さんが大変なときに、変な冗談は止めて!」
 頭に来て怒鳴りつけたそのとき、数人の看護師が部屋に入ってきた。光の燈るカーテンの内側へと向かっていく。そこにあるベッドの住人に何か起こったことはすぐに分かった。
 不意にジムが口を開く。
「私は死の使いだ。死神と言った方が君たちには解りやすいだろうか? 私たちの前では、物体など無意味なんだ」
 この病室で起こっている現実などかけらも興味がないといったような彼の態度と唐突な言葉に、わたしは呆れて言葉も出てこなかった。
 一度細く開かれたカーテンの隙間がきっちりと閉じられると、内側から看護師の説明する静かな声とすすり泣く音が聴こえてくる。それから衣擦れの音、テープの音、小さな機械音……。お決まりの手順に乗っとったそれらの音たちは、周りにいる人々に殊勝な静けさを無言で要求する。
 だけど、ジムはこの病室にいるにもかかわらず、わたしとジムの間の出来事以外には一切の興味がないみたいに、いえ、というよりも、隣のカーテン内で起こっているはずの出来事がまるで存在しないような視線でわたしのことだけを見続けていた。その彼の安定した態度にわたしの苛立ちが激しく溜まり始めていく。
 やがて小振りのストレッチャーがカーテンに仕切られた小さな空間へ運び込まれると、しばらくして看護師とおじいさん、そして真っ白なシーツを被せられたおばあさんがカラカラと音を立てる台に乗せられてこの部屋を出ていった。
「状況にしても、場所にしても、あんたの冗談は度を過ぎてる!」
 彼等が出て行ったのを見計らって、わたしはジムを怒鳴りつけた。それでも彼は怒っているわたしを気にも留めず、頻りに写真を気にしている。
「その写真……その写真を私に見せてくれないか⁉」
 まるで重要な手がかりの残る証拠品を見つけた刑事みたいに、ジムはわたしの手元の写真を覗き込もうとしていた。
「見せてあげるから、それ以上近づかないで!」
 わたしの怒りがジムを素通りする。わたしは気味が悪くなり、写真を投げつけるように彼の方へと手渡した。
 すると視線の先で、わたしの手を離れた写真が、彼の掌を通過してヒラヒラと床へ落ちていった。わたしの手から床までの間、なんの障害物もなかったかのように。
 ジムは、その事実になんの反応も見せずに、黙って床に落ちた写真を見ると言った。
「やはり君か! 君がヴァレリー・クーパーの孫のケイトか?」
 ジムがわたしを見上げ、興奮している。その彼の口から聞くはずのないおばあちゃんの名前――ヴァレリー・クーパーという音が発せられるのを聞きながら、わたしは頭を真っ白にしていた。
 一体何がどうなっているのか。しゃがみ込んだ彼を呆然と眺めていると、ジムが心配そうに呼びかけた。
「ケイト? どうした?」
「どうしたも、こうしたも! あなたの手を写真は通過したし、なぜおばあちゃんの名前まで⁉」
 わたしは声と体をガタガタと震わせながら、彼に叫んでいた。精一杯の勇気を振り絞り、ベッドに眠るお母さんを庇うようにしているわたしに向かって、ジムがゆっくりと立ち上がる。
「さっきも説明したように、私の前では物体は無意味なんだ。それに、私は知っている。君の祖母のヴァレリーのことも、君の母親が彼女にジェシーと呼ばれていたことも」
 ジムの真剣な表情に背筋が凍るような気持ちだった。目の前のジムは決して嘘を言っているようには見えなかった。そして、ジェシーという愛称、おばあちゃんだけが呼んでいたとされるお母さんの愛称までピタリと言い当てたんだから。
 お母さんの本名はジェシカで、ジェシーなんて呼ばれがちな愛称だけど、実際にその名で呼んだのはお母さんの両親と、わたしのお父さんだけだったという話を聞いたことがあったからだ。
 そして同時に、うるさい目覚ましのアラームのように頭の中に響いて広がる疑問。
「じゃあ……もし、あなたの言うことが真実で、あなたが本当に死の使いなんて者だとしたらよ? ……」
 慎重に言葉を選びながらお母さんの手をきつく握り、そして遂にジムに訊ねる。
「カーテンのおばあさんのように、わたしのお母さんの命も奪い取っていくってことなの?」
 意を決して放ったわたしに対して、ジムは、言われた言葉の意味が理解できないといった複雑な面持ちでわたしの顔を見ながら押し黙っていた。
「ねぇ⁉ どうなのよ! 本当のことを言いなさいよ! あんたはお母さんを殺しに来たんでしょ⁉」
 痺れを切らせてわたしが叫ぶと、彼は初めて納得がいったという表情で、話し出した。
「君は誤解している。我々の仕事は人間の命を奪うことではない。死んだ肉体から出た魂を、無事に冥界まで送り届けるのが仕事だ。そして君の母親だが、これも君に話した通り、彼女にはまだその予定はない」
 小難しい言い方で、相変わらず愛嬌もなしに淡々と話すジムだったけど、わたしはなにより、お母さんが死んでしまう心配がないことの方に、喜びが集中していた。
「ヴァレリー・クーパーもそうだったが、その特殊な力は、彼女よりも遥かに強力に君に宿っているようだ」
「特殊な力?」
 彼は肯くと、初めて自分がわたしのような特殊な力を持った人間に出会った時のことを語り始めた。
 1994年、ミズーリ州セントルイスから南西に一八〇マイルほど離れた、アーモットと呼ばれる小さな田舎町での出来事を。
 彼は任務のため、そのアーモットと呼ばれる田舎町に滞在していた。彼の仕事は、死期の迫った人物を監視し、肉体から出た魂を速やかに冥界と呼ばれる場所に連れて行くこと。つまりは、ツアーコンダクターみたいなものね。死期の迫った人間のことを、彼等はターゲットって呼んでいた。
 そのターゲットは、上からの指令で現場で働くジムたちのような存在に伝達されるようだ。わかりやすく表現するなら、「冥界ツーリスト」とでもいう大きな旅行会社があり、その本社ビルが旅行招待客リストを順次、現場で働く従業員に送っていく。
 そのリストを受けとった現地で働く従業員が、招待客が人間としての寿命を終えたと同時に、冥界ツアーへと案内する。――かみ砕いて説明するなら、きっとこんな感じだろう。彼の小難しい言葉と、愛嬌のない淡々とした語り口では、わたしの脳みそではとても理解できないから。
 そんななか、ジムが出会ったのがわたしのおばあちゃん、ヴァレリー・クーパーだった。
 いつものように、彼女の側で監視を始めると異変が起こった。なんとおばあちゃんはジムのことが見えていたんだ。今のわたしみたいに。
 驚いたのはおばあちゃんだけじゃなく、ジム本人も驚いていた。自分たちの姿を認識する者たちの存在は、仲間内で噂されてたみたいだけど、実際に出会ったのはそれが初めてだったからだ。
 おばあちゃんに問い詰められたジムは、自分の正体を明かすと、今のわたしのように、おばあちゃんも驚いていたみたい。
 まぁ、当然の話なんだけど。
 そのとき、おばあちゃんの家に、子供を抱いた女の人が慌てて駆け込んで来た。酷く怯えた表情で。
 そう、わたしのお母さんと、わたしだった。
 お母さんが入って来るなり、おばあちゃんはジムを指差して助けを求めたみたいなんだけど、どうやらそのときには、おばあちゃんはジムの姿を認識できてなかったって彼は話す。
「君の祖母、つまりヴァレリーは、他に意識が削がれると、私を見失っていたように思う。その証拠に、君たちが出て行った後は、彼女は私のことを再び認識していた」そう説明すると、ジムはさらに付け加える。
「君の場合は彼女と違って、意識が削がれる状況でも、私を認識できるみたいだ。絵描きの事故の時や、ロベルトの公園でもそうだったように」
 ジムが話し終わるのを見計らって、わたしはこれまでに感じた疑問を投げかけた。
「それで、お母さんとわたしは一体何に怯えて、何から逃げていたの?」
 わたしやおばあちゃんの特殊な力よりも、お母さんが何に怯えて逃げ出そうとしていたのか、わたしにはそっちの方が気になって仕方がなかった。
「君のその頬にある火傷。それは、その日につけられたものだ」
 わたしはまた混乱し始めていた。だってこの痕は、お母さんが目を離した隙に自分でやったものだと聞かされていたから。
「それはおかしいわよ! だってこの火傷は自分でやったって……」
「確かに、私は君が火傷を負う場面を見た訳じゃない。しかし、ヴァレリーとジェシカの会話の内容を聞く限り、君の母親は、日常的に夫のドニーから暴力を振るわれていたようだ」
 彼の話す言葉に、一瞬頭の中は真っ白になり、そしてわたしは気がついたんだ。お母さんが何に怯え、そして何から逃げようとしていたのかを。
「じゃあ……」
 その続きの言葉は、実際には口には出さなかったけど、残りはわたしに代わってジムが話してくれた。
「そうだ。君の父親、ドニーだ。彼の暴力の矛先が君に向けられたことで、彼女は堪えられなくなり、町を出て行ったんだ」
「あなたのお父さんは……優しい人だったわ……」
 お父さんはどんな人だった? って聞くと、お母さんは決まってこんな風に話した。でも、決してそれ以上は何も答えようとはせず、ただ黙って悲しそうに笑いながら、わたしを見つめるだけだった。
 きっと、大好きだった人が死んでしまってもう会えないから、悲しそうに笑うんだってずっと思ってきた。でも、もしジムの言ってることが正しいなら、お母さんはお父さんのことをただ思い出したくなかっただけってことになる。自分を傷つけ、娘まで傷つけた男のことを。
 そう考えるとお母さんの悲しさや悔しさが、まるで自分のことのように感じられ、いつの間にかわたしは涙を流していた。
「そしてその翌日、君と母親を探しに来たドニーに、ヴァレリーは殺されてしまったんだ」
 そう話し終わると、ジムは考え事でもするように黙り込んでしまった。そのわずかな静けさが、悲痛な気持ちを増幅していく。わたしは沈黙を破るように言った。
「お母さんはなぜ、おばあちゃんも連れて逃げなかったのかしら?」
 お母さんの頬を撫でながら彼に訊ねると、ジムも同じことを考えていたとばかりに話し始めた。
「ジェシカはヴァレリーも連れて逃げようとしたが、彼女は彼女の考えで、君たちには同行しなかったんだ。君ならなぜ彼女が君たちと一緒に行かなかったのか? その答えを持っている気がして、私も君に訊ねたかったんだ」
 わたしはその疑問には答えることができなかった。もし、わたしがおばあちゃんの立場だったなら、迷わずにお母さんと逃げていただろうし、それ以外の選択肢なんて想像もできない。おばあちゃんがなぜ一緒に逃げなかったのか――わたしはジムのその問いに答える代わりに、さらなる疑問を投げ掛けた。
「もし、お母さんと逃げていたら、おばあちゃんは死なずに済んだの?」
「いや、肉体の死は決定事項だ。たとえ彼女がドニーから逃げおおせても、また別の事柄で、彼女は命を失っただろう」
 ジムの返答でますますわからなくなった。
 おばあちゃんがその事実を知っていてもいなくても、ジムが現れた時点で自分に残された時間があと僅かなのはわかっていたはずだ。それなら尚更、わたしなら少しでもお母さんと一緒にいたいって思うはずだから。
「ごめんね、ジム。どうやらわたしは、あなたの疑問の答えを持ってないみたい」
 わたしが答えると、彼は少し俯いて、そして顔を上げた。
「それならそれで構わないさ。それよりも、今こうして君と言葉を交わせることの方が、私には喜びだから」
 ICUに並ぶいくつもの装置やアームに繋がれたモニタ――呼吸を助ける機械や、脳波や心拍を計測する機器のアラーム音が、お母さんに繋がれたコードの先から聴こえている。
 そして脇には死神だと名乗るジム。これまでの人生でこれほどまでに日常から掛け離れた現実に直面したことなんてない。
 電話を受けて必死でここまで来て、お母さんの生死についてさっきまで絶望の淵に立たされていたのに、『君の母親なら大丈夫だ』そう言ってくれた彼の言葉によって、まるで息を吹き返した気分だった。この言葉がどれほど不安を取り除いてくれたか、マギーおばさんに話したら……信じてくれるだろうか?
 おばさんと喧嘩してしまったことをすっかり忘れていた。
「マギーおばさんに謝らなきゃ……」
 わたしがつぶやくと、ジムは不思議そうに訊ねた。
「その……マギーという人物に、君は何か謝らなくてはならないような失敗をしたのか?」
 謝らなきゃならないこと――。それは、お母さんがこんな目に遭ってしまった原因を、すべておばさんに押しつけたことだ。そうやって誰かのせいにしてしまえば、それ以上悩む必要もないし、この先ずっとその誰かを責め続ければ良いだけだから。
でもそんなことをしても現実は何も変わらない。わたしの心が救われる訳でもない。レイチェルのお母さんは、父親の死について決して彼女を責めなかった。お母さんが重体である今、この現実に打ちのめされているのは、わたしだけじゃなくてマギーおばさんだって同じはずだった。
『許すことって、本当に勇気がいることだと思うわ。わかりあうことと同じくらいにね。でも、それができるからこそ、本当の家族なんだって私は思うわ。悩みも苦しみも、そして笑いも幸せな時間も、まるごと分かち合えるからこそ、家族なんだって今の私は思う』
 レイチェルの言葉が頭の中に響いている。
 お母さんのことで頭が一杯で、わたしは同じ家族であるマギーおばさんを傷つけてしまった。お母さんも言っていた、家族にとって大切なのは、血の繋がりではなく、心の繋がりだって……。
わたしはお母さんの手を握りながらジムに答えた。
「えぇ、とても大きな失敗よ。許してもらえるかどうかはわからないけど、とにかくわたしはマギーおばさんに謝りたいって思う」
 吹っ切れたように話すと、ジムは肯いて言った。
「同行しても構わないか?」
「それは構わないけど、あなたのことをマギーおばさんにも話して良い? この写真の場所がアーモットだとわかった理由を、おばさんはきっと気にするはずだから」
 彼は少し考えたように黙ると、わたしに答えた。
「構わない。君に同行させてくれ」
 ベッドに眠るお母さんの頬にキスをして、耳元で囁いた。
「マギーおばさんに謝ってくるわ。また戻ってくるからね」
 ICUを出てエレベーターホールへと向かい、外科病棟へと降りていく。大勢の入院患者やその見舞客のいる広い待ち合いスペースでは、わたしが飛び出したときとまったく変わらない姿勢で、マギーおばさんがレイナーさんと二人でわたしの帰りを待っていた。
 わたしを見つけると、レイナーさんが駆け寄ってくる。
「ケイト、話の途中だったけど、あなたのこれからについて話をしたいの」
「写真の場所を思い出したんです。町の名前はアーモット。セントルイスから一八〇マイルほど離れた場所だって、昔お母さんが言ってたのを思い出したわ」
 わたしがそう言うと、レイナーさんは慌てて書類の片隅にメモを取り始める。
「わかったわ! 問い合わせて調べてみるから、ここで待っててちょうだい!」
 そう言い残すと、彼女はパタパタと走り去った。
「大丈夫か?」ジムが心配そうに背後から声をかける。
「うん」一言だけそう答えると、わたしはマギーおばさんに近づいていく。おばさんは、相変わらず不安そうにじっと見つめていた。「マギーおばさん……あの……」
「あぁ……ケイト! 本当にごめんなさい……」
 わたしの声を掻き消すようにおばさんが言った。 車椅子から両手を広げて、許しを乞おうと大粒の涙を流しながら話す。
「ケイト! あぁ、ケイト……! ごめんなさい」
「シー! おばさん、大丈夫。全部わかってるわ。悪いのはおばさんじゃないのよ。謝らないで……」
 わたしも同じように涙を零しながら、マギーおばさんの胸に飛び込み、彼女を抱きしめた。
 学校で問題を起こすたびに必ず迎えに来てくれるおばさんが、帰り道で伝えた話。お母さんに対する、わたしの強い使命感。――マギーおばさんは、いつも喧嘩の理由をそんな風に例えてくれたけど、それは、同時に大きな欠点でもあった。お母さんのことになると抑えが効かなくなるという欠点。
 おばさんは、きっとすごく早い段階からそれに気づいていた。だからあんな風に『使命感』っていう言葉で、わたしにも気づかせようとしたんだと思う。
 そう考えると、今回の事故の責任を自分のせいにし、わたしの怒りの矛先を自分に向けて、痛みも苦しみもすべて一人で受け止めようとしてくれたおばさんの気持ちが、嬉しいと同時にとても心苦しくて、なんて謝れば良いのかわからなかった。
「もう謝らないでね、おばさん? もう絶対に謝らないでね!」
 わたしの口からはこんな言葉しか出てこない。それでも、おばさんは何度もわたしの頭を撫でながら、「ありがとう、ケイト。本当にありがとう」と言ってくれた。
 おばさんの心の熱が、彼女の涙を通してわたしの皮膚に伝わって来る。おばさんの心が、わたしの心と繋がってるのを確かに感じた。
 マギーおばさん、本当にごめんなさい……。言葉はなくても、わたしの言いたいことをおばさんはしっかりと受け止めてくれた。

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