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この国はいつ障害者を見て、その声を聴こうと思うのか

年明けから「今年はオリンピック・パラリンピックイヤー」という事がテレビやメディアなどで多く取り上げられるようになりました。

パラリンピックを開催するという事は世界中から人が来ます。そうなると障害のある人が使いづらい都市であることは世界の恥。そう思ったのかパラリンピック開催する事になってから割と頑張ってバリアフリー化が進んでいるような気がします。障害者がいくら声を上げても改善されなくても、世間体ならぬ世界体が気になる日本は、こういう時に急にやるようになるんですね。

ところが表面だけ、物だけ整えればそれで充分だろうという考えが透けて見える事があり、それが先日書いた上の記事です。パラリンピックのエンブレムが入ったユニバーサルデザインのミニバン型タクシー、それが車いすを乗車拒否するという所が、設備を整えただけで「やった感」を出して満足して終わってしまう事を如実に表していると思います。

「私は以前、普通の部屋を予約していて、チェックインの時にホテルの人に『バリアフリーのお部屋もありますよ。プラス5000円です』と勧められ、断りました。今日のこの部屋は、バスタオルも低い位置に置いてあっていいですね。タオルはときどき、バリアフリーの部屋でも高い位置にあって、取れないときがあります。この部屋でちょっと残念なのは、バスルームのシャワーヘッドが高い位置にしてあること。可動式なので、最初から低い位置にしてあればいいのですが。テレビのリモコンなども棚の手が届かない位置に置いてありますね。設備をバリアフリーにすればいいという安易な考えの象徴的な部屋です」

基本的な疑問なのですが、バリアフリーの部屋を作る際に車いす利用者に話を聴いたり、部屋を使ってもらう前に車いすで一泊してもらい改善点をあげてもらい直すという事をしているのでしょうか。

「私たち抜きに私たちのことを決めないで」というのは障害者に関する事でずっと昔から言われているものですが、いまだにこうした事が繰り返されています。

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東京パラリンピック開催が障害の理解につながると思うか
※共同通信アンケート 564人が回答 2019年9月10日毎日新聞

「あまり思わない」(27%)、「思わない」(11%)と答えた人に理由を聞くと、「一時的な盛り上がりで終わり、関心は続かない」「日常的に障害者と接する機会がないと理解が生まれない」などが挙がった。
東京大会開催が決まった2013年以降に「バリアフリー化や周囲の障害理解が進んだ経験、時間があるか」と尋ねたところ、「なし」(66%)が「ある」(34%)を大きく上回った。
「最近、障害を理由に周囲の言動で差別を受けたりしたことがあるか」との質問には、36%が「ある」と答えた。

見ただけではわからない障害となると、さらに理解されづらいのではないでしょうか。

パラリンピック選手が活躍する姿は盛り上がるしメダルへの期待もあります。でもその競技会場での障害者と、街や学校、近所にいる障害者が別になっているのがとても気になります。

「メダルを取った!新記録が出た!おめでとう!」それが障害者が生き心地の良い社会に繋がらなくてはパラリンピックの意味がありません。またパラリンピックに参加できない様々な障害についても知ってもらわなければなりません。

昨日は相模原障害者施設殺傷事件の初公判がありました。パラリンピックなどが開催されるこの国で、障害者は生きていても仕方ないという考えによって凄惨な事件が起こりました。植松被告の考えはこの国が障害者を見えないようにしてきた事、見ないようにしてきた事が生み出したものではないでしょうか。

社会から「見えないようにされてきた」障害者、そこからさらに「見えない障害」となると、知ってもらうのはとても難しいです。

オリンピックが開催される2020年は、精神障害者の自宅監禁を「私宅監置」として合法化した精神病者監護法が制定されてから120年、また私宅監置が禁止される事となった精神衛生法成立から60年となります。

様々な生きづらさをどうしたら少しでもほぐす事ができるのか、パラリンピックが開催され、相模原の事件の裁判が行われる2020年。ここで障害者について考えなければ、この国はいつ障害者をまっすぐ正面から見るのでしょうか。

新聞記事のアンケートの自由回答に障害者の思いが出ていました。
マスコミは障害者への哀れみの言葉を使わずに、特別な障害者だけでなく地域で暮らす普通の障害者にスポットを当てるべきだ(40代男性、肢体不自由・難病)
障害を強みに変えて成功する人だけでなく、苦しんでいる人の方が大半。どちらの立場であっても苦労している実情を知ってほしい(30代女性、聴覚障害・発達障害)

こうした声にバリアフリーをやっているはずの日本の本当の姿が出ている気がします。

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