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自分史上に残る伝説の一日!【コトバビタミン】第31回

こんにちは!虹色さん太(@nijiiro_santa)です。


今回は自分の音楽活動の中で、ある忘れられない一日についてお話しします。


あれは2000年の12月16日、当時のエモ界の最重要バンドであったNAHT(ナート)が佐賀の小さなライブハウス(キャパ400〜500人は小さくないかな?)で、自分のライブイベントに出演してくれたという、本当にあったの?と思うような一日が存在したのです。

歌詞カードに掲載されているツアースケジュール



人伝に、「NAHTがメジャーから新しいアルバムを発売して、ツアーで福岡に来る!」という話を聞きつけて、何かに載っていたメンバーの連絡先に直電し、「福岡に来るなら、その流れで佐賀まで来てライブしませんか?」と、私は超無謀な提案をしてみました。


何週間後だったか、知らない番号から電話がかかってきて出てみると

「NAHTのメンバーが佐賀まで行くと言っています。イベントのブッキングよろしくお願いします。」

と、言うではありませんか!

その知らない番号は、よく知る名前のイベント会社の方からでした。


この電話がかかってきた時、大学のパソコンを使って課題をやってたと思いますが、超でかい声で驚きと喜びを表現してしまっていたと思いますw


このライブのブッキングは、地元の出て欲しいバンドにいくつか声をかけましたが、なかなかスケジュールが合わずで、てんてこまいしました。どうにかこうにかいくつかのバンドに出演の承諾をいただき、素敵なラインナップでイベントを組むことができました。


面子も決まり、フライヤーを作って色んなところに置いてもらったり、地元の雑誌などにもイベントを載せていただきました。また地元のFMにも出演させていただき、告知と曲を流していただきました。

このツアー、都会ではSOLDOUT(因みに東京公演の下北沢シェルターで対バンはカウパァズとナンバーガール。鼻血でる面子w)するNAHTでしたが、この日の佐賀では色んな音楽系のイベントが重なっていること、そして、まだ地方での知名度があまりなかったためか、集客的にかなり厳しい状態でライブ当日を迎えることになりました。


すでにリハからNAHTのその凄さを体感し、いつも以上の緊張感の中、自分も気持ちの入ったライブをし、共演してくれたバンドもいいライブをしてくれました。


お客さんが少なかったこともあり、NAHTのライブもほぼ最前で観れて、個人的なライブ鑑賞としては最高の状況でしたが、イベントを仕切った者としてはやはり、集客できなかったことがずっと引っかかっていました。


終了後にハコ(ライブハウスのことをハコという場合がある)のスタッフさんとの精算で告げられた来場者数は39人

普段出演しているライブでもこんなに少ないことはあまり無いぐらいの人数です…


その後、機材の片付けも終わり、私はライブハウスの駐車場でNAHTのメンバーに

「今日はお客さん少なくてすみません。」

と力無く告げました。

するとバンドのリーダー的な存在であるSeikiさんから…

「お客さんが一人いたら、ライブだから。大丈夫だよ。」

というお言葉が…

私は、悔しさと情けなさと、NAHTの優しさに涙と震えと鳥肌が止まらなくなり、一時動けなくなりました。


気持ちを落ち着けて、次への決意や安堵も得られている状態で、予約していた打ち上げ会場へ!


この日の打ち上げの時間は、もう楽しいだけ!長い間インディーズで、DIYの精神で活動していたバンドがメジャーで勝負する葛藤や活動のスタンスを理解してくれるレコード会社があることなど、その話は田舎の地で過ごしていた自分たちには、貴重な情報ばかりでした。

何も知らないガキンチョ軍団で面倒だったと思うんですけど、ホント優しく接してくれて、益々NAHTさんが好きになりました!


んで、オチとしては、この日の打ち上げ代… 自分たちがお呼び立てしておいて、NAHTさんに出してもらうという恐ろしい状況で終えたことは、一生忘れませんw


この時期は、ジッタリンジンさんやBLUE BEARDさんとも対バンさせていただいたりして、とても刺激的な日々を過ごしていたことを思い出します。


自分の経験をこれから音楽活動をしていく方々にも還元して行けたらよいなと思います。


ではまた次回に!

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