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私は私の価値を認めようとしている

休職して、1ヶ月半以上が経った。
『行かなくちゃ』と焦る気持ちとは裏腹に、身体がそれを拒否している。


私にとって、今の職場は、私が作った私の居場所だった。
しかし、いつの間にか『私の居場所ではない』と感じていた。
それが、なぜなのか分からなかった。


休職して、段々と職場の記憶が薄れていくような気がした。
あの時の私は、誰かに必要とされたかった。
誰かが私を必要としてくれることで、私が居てもいい場所になっていた気がしていた。
自分の価値が分からない私にとって、ここは私の存在価値を認めてくれている気がしてた。


最近、ふと思った。
『私はもう、ここで必要とされなくても、私は私の価値を認められてきているのではないのか。だから、嫌だと思うような仕事内容に、もう無理して向き合わなくてもいいって思えているのかもしれない。』
『私はやっと自分の素直な気持ちに、素直に従おうとしているのではないのか。』
『これは、私が私の素直な気持ちに気がつくための、必要な休みなのかもしれない。』


そんなことが、急に頭に浮かんだ。
好きだと思っていたこの仕事。
自分に合っていると思っていたこの仕事。
だけど、今はこの仕事をしたくないという気持ちがある。


嫌だ、行きたくないという気持ち。私が必死で作り上げなくてはいけなかった『自分の価値』や『自分の居場所』を確認するだけの行動を私の身体は今、精一杯拒否している。
きっと、もうそんな行動に必要性を感じなくなったからなのかもしれない。


もうそんなに必死に『自分の価値』や『自分の居場所』を探さなくてもいい。
そんな風に思えてきたのではないのか。
私は、誰かに必要とされなくても、今の職場という居場所が無くなっても、私は『生きているだけで価値がある』ということを、少しずつ認められるようになっているからなのではないのか。


この休みは、前向きな休みなのではないのか。
少しだけ、そう思えた。


何十年もかけて積み重なっていた、私の自己肯定感の低さ。自信の無さ。見捨てられるのではないかという不安。


そんなことを少しずつ、少しずつ、消していこうとしてきたけれど、どんなに本を読んでも、どんなに話を聞いても、どんなにネットで関連サイトを読み漁っても、YouTubeを見ても、どうしたらいいのか分からなかった。


試せるものは試してきたけれど、それが前へ進めているのかも、分からなかった。
それが、正解なのかも分からなかった。


でも、この休職でやっと少しだけ答えが見つかったような気がした。