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赤羽の三線演奏家が伝えたい想い「もっと自分の人生を楽しんでほしい」

沖縄県や奄美地方に伝わる伝統的な弦楽器「三線(さんしん)」は、14世紀頃に中国の福建省から琉球王国(のちの沖縄)に伝わり、約600年ものあいだ親しまれてきた。

現在では琉球古典音楽や琉球歌劇だけでなく、民謡、民俗芸能、ポップスなどさまざまな音楽シーンに用いられている。

三線が奏でる音色には、癒しの効果やヒーリング効果があると言われている。心にまっすぐ届くような素朴な音が、聴く人の気持ちをなごませてくれるのだろう。

東京・赤羽には、「三線を通して、生徒さんたちを現代社会のストレスから少しでも解放できたら」と願う人がいる。会社経営者でありながら、三線演奏家としても活動している相川政美さんだ。

相川さんは、毎月第2・第4土曜日に赤羽の洋風鉄板台所「せをりぃ」で三線教室を開いている(※)。いったいどのような想いで三線の指導にあたり、何を生徒たちに伝えているのだろうか。

※現在は緊急事態宣言中のため、三線教室はお休み中。

三線の音色に懐かしさを感じ、「カンカラ三線」を購入

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沖縄の平和祈念公園(写真=Getty Images)

まずは相川さんが三線と出会った経緯から説明していきたい。彼がはじめて三線の音色を聴いたのは、1987年。CM撮影の仕事で沖縄に行ったとき、三線の生演奏を聴いて自然と涙があふれたそうだ。

「三線の音色に、何だか懐かしさを感じたんです。『これはきっと、ぼくのDNAのなかに三線の音色が記憶されているんだ』と思って。だからそのとき、いつかは自分で三線を弾かなければいけないと思いました」

三線に運命的なものを感じた相川さんは、その後も沖縄に行くたびに三線の音色に魅了され、三線への想いを強くしていった。

そして実際に三線を弾き始めたのが、2001年。赤羽の楽器店で「カンカラ三線」が売られているのを見て、すぐさま購入。カンカラ三線とは、空きカンと棒を組み合わせて作られた手作りの三線だ。

「沖縄の平和祈念公園に行ったとき、沖縄の人々が太平洋戦争の地上戦でガマ(自然洞窟)に隠れながらカンカラ三線を作って、みんなで歌ってなぐさめ合っていたというのを聞いたんです。そのときに『弾き始めるならカンカラ三線がいいな』と思いました」

第二次世界大戦後には、アメリカの厳しい監視下に置かれた沖縄の捕虜収容所で、捕虜としてとらわれた沖縄出身の日本兵たちがカンカラ三線を使って戦争の悲哀を歌ったという。

ギターの経験を応用しながら、独学で三線の弾き方を学ぶ

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中学生時代からギターを弾き続けている(筆者撮影、以下同)

この歴史を知った相川さんは、フォークギターを弾き始めた自身の中学生時代を思い出した。

当時、ベトナム戦争の反戦歌を歌っていたアメリカのフォークソング・トリオ「ピーターポール&マリー」や、シンガーソングライターの「ボブディラン」に傾倒していたのだ。だから戦争とのかかわりが深いカンカラ三線に、思いを馳せることができたのだろう。

相川さんは大人になってからもフォークギターを弾き続け、アマチュアライブで演奏するほどの腕前を持つ。三線を弾き始めたときは、ギターの演奏方法を応用させることですぐにコツをつかめたそうだ。

「外観や弦の数は違いますが、弦を手で弾いて音を出すという仕組みは一緒なので。覚えるのはそんなに難しくなかったです」

三線は「琉球古典音楽」「沖縄民謡」「奄美群島の島唄」の3つの流派にわかれるが、相川さんはどの流派にも属さず、インターネットを活用しながら独学で学んでいった。

ダナンでの出会いが、三線教室を開くきっかけに

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黒檀の棹を使った相川さんの三線

2006年、三線を弾き始めた相川さんに転機が訪れる。もともと仕事のつながりがあったベトナム・ダナンの人民委員会から「現地の技能実習生を日本に派遣するために、日本語や溶接を教えてほしい」と依頼されたという。

相川さんはその依頼を引き受けるためにダナンに会社を設立し、自身も現地に飛んだ。その際に三線も一緒に持って行き、休みの日には三線を弾いて過ごしていた。

そんなある日、現地のJICAの人から興味深い話を聞く。

「JICAの人に『沖縄からダナンに来て、三線を作っている人がいる』と教えてもらって、その人に会いに行ったんです。そしたらぼくが欲しいと思っていた、黒檀(こくたん)の棹(さお)を使った三線も作っていたんですよ」

黒檀とは、黒い心材(木材の中心に近い部分)を持つ木材で、重さと堅さがあるのが特徴だ。家具や仏壇、楽器、工芸品などに使用されることが多い。黒檀の竿を使用している三線は高級品とされており、高いもので一挺100万円以上するという。

相川さんはその三線工房の代表に、念願だった黒檀を使用した三線を作ってもらい、それから親しく付き合うようになった。

そしてあるとき、三線工房の代表が相川さんのもとを訪れて「東京でうちの三線を売りたいから、誰か紹介してほしい」と相談を持ちかけてきた。この言葉が、彼が三線教室を開くきっかけとなる。

2010年に三線教室を開き、延べ150人以上の生徒に指導

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これまで、延べ150人以上の生徒に三線を指導

「東京で三線を売りたい人なんて、いるわけないじゃないですか(笑)。だから『僕がやるしかないですね!』と伝えたんですよ。でも、ただ販売するだけじゃ売れないので、三線教室を開いて三線を教えながら販売もしようと思ったんです」

相川さんはダナンにいる際、JICAの人たちや現地の技能実習生たちに三線を教えていた。だから日本でも三線を教えられるという確信があったそうだ。

帰国した相川さんは当初、日本橋に三線教室を開いたが、移動の利便性などを考慮して2012年に地元の赤羽に三線教室を移した。三線の販売はインターネットと教室を通じて行い、赤羽でもその名が知られるようになった。

冒頭で説明した通り、三線教室は毎月第2・第4土曜日に赤羽の洋風鉄板台所「せをりぃ」で行われる。

参加費は、ドリンクとおつまみ代込みで2時間2000円。「来たいときに2000円を握りしめて来てもらう」という方針のため月謝制は採用しておらず、もちろん入会費もない。三線を持っていない人のために、貸三線も用意している。

また、生徒たちのモチベーションを維持するため、”実践型”の教室にすることも意識しているという。コロナ禍前は年間30本以上のオファーを受けて、老人施設や街のお祭りなどで生徒たちと演奏を披露していた。

これまで教えてきた生徒の数は、延べ150人以上。小学生からお年寄りまであらゆる年代が集まるという。なかには外国人の生徒もいて、テレビ東京の人気番組『YOUは何しに日本へ?』の密着取材を受けたこともあるそうだ。

「うちの教室では、はじめに『十九の春』『安里屋ユンタ』『てぃんさぐぬ花』の3曲を教えています。この3曲ができれば、あとはとくに難しい曲じゃないかぎり、だいたい弾けるようになるので」

三線を教えながら「自分の人生を楽しむ」ことも伝える

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「ぼくと話した方々の価値感が少しでも変われば」という想いが、相川さんの原動力

相川さんが三線教室で説いているのは、三線の弾き方だけではない。生徒たちには、「既成の価値観を捨てなさい」ということも伝えている。

「最近の人たちは『生産性のない人間はいらない』というような価値観を植え付けられていると思います。だから一旦その価値観を捨てて、自分の価値観で物事を判断するように伝えていますね」

なぜ三線講師である相川さんが、生徒たちにそのようなことを伝えているのだろうか?

それは、彼の心の内に「いまの社会の価値観を変えたい」という想いがあるからだ。

「いまの世の中は、社会に便利な人間をつくろうとしているだけのように感じます。それになじめない人は社会からはじき出されて心を壊し、うつ病になってしまう。これはおかしいことですよね」

”生産性”にとらわれすぎた現代の資本主義社会に疑問を投げかける相川さん。しかし、ひとりの人間が社会の価値観を変えることは、現実的には難しい。

だから彼は「自分の身近で悩んでいる人の心の有り様を変えていくことを意識している」という。

当初は三線の販売を目的に開いた三線教室だが、現在は三線をひとつのツールとして「いままでにない喜びを味わって、もっと自分の人生を楽しむ」ことの大切さやきっかけを伝えている。

「三線を弾いていると、ストレスを吹き飛ばせるし、何より楽しめるんですよね。練習して上達すれば、今度は違う喜びを感じることができる。そうやって三線を通してこれまでにない生き方を提示できれば、社会に心を壊されてしまった人たちを救えるかなと思っています」


相川さんのツイッター:https://twitter.com/aima_jp
赤羽三線教室のブログ:http://yuntakuya.blog122.fc2.com/
※販売している三線は、ベトナム産ではありません。

取材協力:洋風創采台所「せをりぃ

読んでいただき、誠にありがとうございました!!これからも頑張ります!!