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子どもたちの支援をする仕事の夢を叶えた私の生い立ち③

引っ越した団地での生活が始まり少し経つと私は小学校に入学しました。この小学校での生活は2年と少し続き3年の夏休みに母親と2人で夜逃げをすることになります。引っ越した団地での新しい生活は当初は順調に進んでいました。新興住宅地で何棟も同じオレンジと白の建物が立ち並んでいるごくごく一般的な団地です。お店はよくわからない名前のコンビニが1軒あるだけで他には何もない場所でした。食材などの買い物は、定期的にトラックで注文した品物を届けてくれる業者さんが居ました。今で言うネットスーパーのようなもので、トラックが来た時は住民は1階に下りてそこで自分の家庭の食材を受け取ります。そして、私ののちの人生を変えるのが、この食材を運んでいた母親よりいくつも若い男性だったのです。こう書くと恨んでいるように思えますが、この人に関しては悪い思い出はあまりありません。辛い思いをする経験はありましたが、悪い人ではなかったです。うちの「不幸の連鎖」に巻き込んでしまった被害者側の人間だったと感じています。今考えると真面目な人で女性の経験もほとんどなかったのではないかと思います。本当は私が憎むべき相手であろう人間なのにこう考えるということは、大人になっても何とも複雑な心境です。どう受け入れて消化すれば良いのかが未だにわかりません。心の中で宙に浮いてしまっていてずっと心の中を彷徨っているような出来事です。全てに正面から向き合わずそんな出来事もあっても良いのではないかと私は思っています。

順調だったように見えた団地での生活でしたが、徐々に不穏な空気が再び流れ始めます。
1つ目の原因は上の姉の非行が益々大きくなっていったことです。姉を迎えに家に暴走族のバイクが沢山集まることがあるぐらいに姉の非行は大きくなっていました。パンチパーマやリーゼントの人が大きな音のバイクで大勢毎晩のように集まって来ていたのを覚えています。その後すぐに姉は夜の世界の人間になっていきました。18才という若さでスナックのママになり、周りに大阪では名の知れた人達が集まるようになるのもそう時間はかかりませんでした。下の姉と私は必然といつしか同じ非行の道に走ってしまいます。上の姉のことについてはまた改めて書きます。

不穏な空気のもう1つの問題は、両親の夫婦仲が悪化したことが大きな原因でした。大声での喧嘩は増え、近所にも知れ渡るほどになりました。下の姉と2人で歩いている時に知らないおばさんに「あんたの家いつも大声でケンカしてるやろ。みんな知ってんで。」と言われたこともあります。下の姉と私は何も答えず無言でその場を逃げるように走り去りました。姉が唇を噛み締めている姿を今でも覚えています。知らないおばさんの一言を昨日のことのように鮮明に覚えているのは、当時の私には衝撃的な体験だったのであろうと思います。両親のケンカでもう一つ鮮明に覚えていることがあります。私達が住む団地は円のように建っていて真ん中には大きな広場のような公園がありました。その公園では時折祭りや盆踊りなどが行われていて、団地中の子ども達が集まる憩いの場でした。両親がケンカをしていて私はその祭りに1人で行ったことがあります。家に居たくないという思いがあったからです。1人で行った祭りの景色は今でもよく覚えています。幻想的なそして何か怖さもあるどこかに迷い込んでしまったようなそんな感覚でした。昔の話しとはいえ当時でも6才が夜1人で歩いているのは奇妙な光景だったと思います。私はきっと景色から浮いていたのだと思う。この時が始まりで私は夜を徘徊する小学生へとなって行きます。1人で祭りをふらふらしていると1人のおじさんが声をかけてくれました。「1人で来てるの?おじさんの家にもキミと同じぐらいの男の子がいるんやよ。今から遊びに来る?」スーツを着て長身のメガネをかけた優しい笑顔のおじさんは私にそう言ってくれたのです。家に帰りたくない気持ちもあり、私はそのおじさんに付いて行くことにしました。偶然にも同じ棟に住んでいておじさんは10階に家がありました。家に行くと私と同じ歳の男の子とその妹がいました。男の子の名前はまっちゃんと言います。お母さんも優しい笑顔で迎えてくれ、突然のわけのわからない徘徊していた6才をよく快く迎え入れてくれたと今思い返しても思います。まっちゃんの家族はとても品のあるご家庭でした。6才の私にもわかるほど上品で暖かく心にゆとりがあるご家庭です。家に入るとまっちゃんは色々な虫の標本を見せてくれ、標本にする注射器なども生まれて初めてその時に見ました。私とまっちゃんはすぐに意気投合し、それから毎日のように虫を捕まえに行って標本にしたりザリガニ釣りなどをしに出かけました。小学校に入ると偶然にも同じクラスになりさらに沢山遊ぶようになります。まっちゃんとは夜逃げをする2年生まで毎日遊んでいました。最後に会ったのは夜逃げをした後の小学3年の夏休みです。私が居なくなってからまっちゃんも引っ越したのですが、その家にその時泊まらせてもらいました。子どもながらによく覚えているのですが、その時は母親がまっちゃんのお宅に私を押し付けたのです。母親はその時上に書いた男性とは違う家庭がある男性と不倫をしていたのですが、その男性と会いたかったようです。子どもながらにまっちゃんのご家庭が押し付けられたのがよくわかりました。ただ、まっちゃんのご家庭は色々な理由も知っていたと思いますが、そんなことも微塵も出さず本当に優しく接してくれました。それとは裏腹に私の心は揺れに揺れていました。まっちゃんのご家庭と自分の家庭を比べてしまったのです。頭の中が訳の分からない感覚に陥ったのを覚えています。まっちゃんのご家庭にお邪魔した初日夕食を済ませてから家に行かせてもらいました。家に着いた時まっちゃんのご家庭はまだ夕食を済ませて無くまっちゃんの部屋でみんなが食べ終わるのを待たせてもらいました。まっちゃんへのお土産のプラモデルやお菓子などを手に持ってイスに座って待っていた時のことをよく覚えています。子どもながらに本当にお邪魔している感覚があり、まっちゃんのご家庭が笑いながら食事をされている声を聞きながら「自分は何をしているのだろう。なんて惨めなんだ。」とその時心から思ったのです。まっちゃんと会ったのはその時が最後でした。まっちゃんのご家庭は私にとって幼少期の幸せな家族像そのままです。まっちゃんのお父さんがよく言ってくれていた言葉があります。「おれが先に友だちなったんやからな〜」と笑顔で事あるごとに言ってくれました。子どもを気遣いさせない配慮や暖かさが沢山詰まった言葉でした。まっちゃんのお父さんのように懐深く余裕のある大人になりたいと今でも考えます。

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