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子どもたちを支援する仕事の夢を叶えた私の生い立ち①

私は大阪でトラック運転手の父親と専業主婦の母親、そして歳の離れた姉2人と暮らしていました。両親は大阪の出身ではなく、大阪弁のイントネーションが特徴的な両親でした。両親の馴れ初めや大阪に至る経緯については詳しいことを知りません。故郷で問題を起こした父親が逃げるように大阪に移り住むようになったとは聞いています。父親のことを思い出すと、言葉数の少ない昔気質の不器用な男のイメージが浮かび上がります。口数は少なく体力には自信があるが、うまく気持ちを伝えることが出来ないそんな父親です。はじめに書いたように父親は酒を飲むと私に暴力を振るいました。「男は強くあるべきだ。」と言い竹刀でよく殴られたものです。そんな時私は泣きながら何度も父親に立ち向かっていきました。そうするしかその場を治める方法がなかったからです。大人になった私はお酒で酔っ払う人がとても苦手です。お酒は何の言い訳にもならないと身を持って体験しているからです。母親が止めに来ても止まることはなく、結果何度も同じことが繰り返されたのです。ここでの出来事の詳しい両親の心情はわかりません。ただ、現在家族を持ち仕事で子どもたちと関わる私には理解出来ない事柄です。気持ちを聞いても理解することは難しいと思います。のちに母親はこれが離婚の原因であったと私に告げました。

父親に関してはこんな出来事を覚えています。ある日の誕生日に私が欲しかったファミコンのゲームソフトがテレビの上に置かれていたことがありました。父親が買ってきてくれて置いてくれていた物だったのですが、私が発見して喜んでも父親は何も言いませんでした。本当に不器用な人だったのだと思います。のちに母親と夜逃げをすることになるのですが、父親は探偵を雇って私たちの居所を探します。しかし、父親が家に来ることは一度もありませんでした。父親は何を思っていたのだろうかと今でも考えます。もしかしたらもっとわかり合えたことや話せたことが沢山あったのかもしれません。

母親の生い立ちは自分の実の母親が早くに亡くなり幼き頃から継母に育てられたようです。母親が違う兄弟が居る中で育ち色々な経験をしたと聞いています。今思えば私の人生の歯車の狂いは母親の幼少期のこの経験から来ているのではないかと考えています。私は同じ過ちを繰り返さぬように何度も自分を振り返り確認し修正するようにしています。自分の幼き頃からの歪みが出ていないか気付くことが出来ているか、何回も何回も振り返り考えます。時には他の人の意見や考えなどを聞いて擦り合わせることもします。受け入れて上手く共存していくのが一番の幸せに暮らす近道だと私は考えています。

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