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#12 「もし明日耳が聴こえなくなったら?」 (新潟大学講義レポート)

こんにちは.NPO法人にいまーるの吉井です.

先日2021年12月6日(月),新潟大学教育学部の授業の1コマをいただき,にいまーる理事の臼井千恵が講義を担当させていただきました.テーマは「ろう者である私がどうやって言語を獲得したか ~1人のろう者の体験談を通して~」という内容で,聴こえない当事者の生い立ちから,聴覚障害について,また聴覚障害に起因する課題にどのように向き合ってきたかなどを,教職を目指している学生さんたちにお話ししました.

内容は以下のスライドをご覧ください(※難聴の方も読んで理解できるよう文字多めです).

また現地では,にいまーるの施設利用者(難聴)も見学に来ていたため,UDトーク(+文字通訳スタッフ)」「手話通訳」の2つの情報保障を備えて,講義を受けてもらいました.

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写真:UDトークによる情報保障の様子

こういった情報保障は,聴こえる人だけの社会の中では普段目にすることはないかと思いますので,学生さんにとっても新鮮だったのではないでしょうか?

今回は,講義を受けて学生さんたちが,どのような感想を抱いたのかご紹介していきたいと思います.
初めて「聴こえない人」を目の当たりにした学生のリアルな声ですので,我々のような支援団体にとっては非常になるものと思います.

もし明日耳が聞こえなくなったら?

今回の講義にあたって,学生さんには,事前課題として1つのお題に答えていただきました.

 「もし明日耳が聞こえなくなったとしたら,できるようになることとできなくなることは?」

こちらのお題に,前提知識のない中,思うがままにお答えいただきました.
いくつかご紹介いたします.

■できるようになること

周りの雑音が入らなくなるので(耳鳴りがなければ),集中して物事に取り組める。目から入ってくる様々な情報を,集中して,より楽しめる。
目の前の出来事にすぐ気付くことができる…常に視覚的情報を得ようとするため。
耳が聞こえなくなったら、他の人の表情から気持ちを考えるようになると思いました。聞こえない分、話す相手がどんな気持ちなのか、表情や仕草をよく見るようになると考えました。

このような声が挙がり,「聞こえない分,視覚から貪欲に情報を収集するようにあるのではないか」というのが多くの学生さんから聞かれた意見でした.

■できなくなること

目覚まし時計の音で起きることや情報を耳で収集すること,音楽を聴くことなど,日常生活の中で何気なく行っていた行動ができなくなると感じました。これらはただ聞こえないだけでなく,二次障害として体内時計の狂いや情報獲得の遅れを生じさせると感じます。
とても困ると思います。目覚ましの音,テレビの音,人の声,最近だと外の天気が荒れている音など,生活を振り返ってみると耳からの情報を頼りに生きていると実感します。クラクションを鳴らす音が聞こえなかったり,電子レンジの中で加熱しすぎている音が聞こえなかったりと,危険を避けることが難しくなることも大変だと思いました。
私は、毎朝かなり大音量の目覚ましでないと起床することが出来ないので、朝起きられないと思います。起床しても、自分の動く音や、エアコン駆動音が聞こえないと、かなり違和感がありそうだと思いました。

こちらのような身体の「機能」の面で不便を心配する声が大多数でした.「できるようになること」もお題になっているのですが,「できなくなること」の方がたくさん思いついたようで,多くの意見が集まりました(※ここに紹介したものはほんの一部です).

さらに加えて,

もしも明日、耳が聞こえなくなったら、目の前が真っ暗になると思います。
しかし、それは単純に耳が聞こえなくなってしまったからという訳ではなく、今まで当たり前にできていたこと、やっていたことができなくなってしまうからです。私は気持ちを切り替えるときに音楽を聴くことが習慣化しているので、それができなくなってしまったら、リズムが色々と崩れてしまって、しばらくまともに生活できる気がしないです。
もし明日耳が聞こえなくなったら、私はきっと大学にもバイトにも行けず、ずっとお家にいて、一人でできること以外何もできなくなると思います。
人とのコミュニケーション手段が分からないからです。
この先どうなるのかという不安ばかり考えて、1人ではどうすることも出来ないような気がします。手話も口話も会得するのには時間がかるイメージがあり、自分がそれを会得しようと頑張っている姿が想像できませんでした。

このようなかなり傷心的な声も見受けられました.

元々聴こえていた人が聴こえなくなるというのは恐怖であることは当然のことながら,素直な意見を聞かせていただきました.

当事者の声を聞いてみて

講義を受けた後の学生さんの感想をいくつかご紹介いたします.
内容は記事前半のスライドをご覧ください.

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写真:講義の様子

■講義の感想

臼井さんのお話をお聞きして、家族の中で自分だけ聞こえないために疎外感を感じるということ聞いて、本来一番安心できるはずの家の中でも疎外感があるということに衝撃を受けました。
また、口語を用いる時に聾学校時代は上手いと言われていても、社会に出た時は聞こえる人の日本語と比較されてしまい、さらに日本語が分からないので日本語文化も分からなくなってしまい、さらに社会になじみにくくなるという負の連鎖になってしまう。にいまーるのようなコミュニケーションができる環境を作ることの重要性を感じました。
1番印象に残ったことは,50%ぐらいの聾者が日本語が苦手ということです。助詞や述語,ことわざの難しさをお話を聞いて確かにそうだと納得し,自分たちでも区別を無意識に使っている日本語なら尚更理解することが難しいと感じました。自分たちでも感覚的に使っている言語であるのに,その日本語の使い方が間違っていると能力を低く見られてしまうという問題を知り,とても苦しくなりました。そのような問題は小学校や中学校での現場でも起こりうる課題だと思いました。LINEの利用は子供たち同士でもコミュニケーションツールとなっているため,もしかしたらそこからいじめやその子を下に見るようなことに繋がることも考えられます。その課題に対し,教師という立場でどのように対応していくことが子供たちにとって良いのか,考えていきたいと思いました。
ろう者の方のお話を聞くことは初めてだったので,とても多くのことを学ばせていただきました。「手話を覚えてもあまり役に立たない(みんなが使えないから)」と感じたお話や「本を読んで感想を書くことが本当に困難だった」などの臼井さんが大変だったお話の中でも,「自分の身体に日本語がフィットしない感覚」という言葉が印象に残りました。そんな中で,ご家族と一緒に語彙を増やす努力を積み重ねたり,自らがロールモデルとして聴者との関わりのヒントを与えることを意識していたり,自分の道を切り拓いている姿がとても眩しいと感じました。
 また,今回UDトークを使用している様子を拝見して,ICTの可能性を強く実感しました。教育現場では,積極的にICTの活用方法を探していきたいと思いました。また,日々人と接するときに「なぜだろう」と疑問をもちながら,考えながら接することを忘れないようにしたいです。 

いかがだったでしょうか.

普段聴こえない人と関わる機会のない学生さんからの感想を受け,私たちも聴覚障害についての理解を広める活動をますます努めていかなければならないと感じます.

今回の講義をきっかけに,今後教職を目指す皆様のヒントになるものがあれば幸いです.

おまけ:Q&A

講義の後,学生さんから受けた質問に答えていきます.

ーー お話とは直接関係ないかもしれませんが、InstagramやiPadなどの比較的最近使われることが多くなった言葉でも手話言語として使われている様子を見て、そのような「新しい言葉」が使われるようになった時にどのように情報発信や周知されているのかが気になりました。

ご質問の意図としては比較的最近使われることが多くなった言葉を、ろう者同士はどのように情報発信しているのかということでしょうか。
内容によりますが、InstagramやiPadの場合は視覚的にアイコンがありますのでアイコンの色や形を準えて手話を各地で作りコミュニケーションを図っていきます。言葉としての「音」より先に、「物」があるのでそれを理解した上で、手話ではどうやるのか、というあたりです。

ーー 聴者は学校の講演会でノートをとったりするが、手話やスクリーンに文字が写されている状態だとそこから目を離すことができなさそうなので、ノートをとるときはどうやっているのか。

目を離すことができないのは確かで、聴者よりは上手くノートに取ることができませんが、文脈によっては目を離して書き取ることもあります。どうしても難しい時は目を離さないまま書き取ることもありますが、乱筆になりがちです。終わった後に、資料をもらえないかとお願いしたこともありました。
別の場面になりますが、事前に資料が配布され、同時に話を始める人がいたときは「すみません、耳が聞こえないので1分だけ、資料を読む時間をください」とお願いしたこともありました。


ーー 今まで聾者として生活してきた中で、聞こえないことで危険だと感じたことはありましたか?
また、授業中に紹介してくださったにいまーるの最新のnoteを読ませていただいたのですが、聾者の方に触れても本当に大丈夫なのかと少しだけ不思議に思いました。気配を感じない分、急に触れられるのが苦手な方が多いと(勝手に)思っていたからです。

聞こえないことで危険を感じたことについて、慣れてしまったのであまり気にならない人も多いと思います。それでも、やはり車の音が聞こえなかったり、周囲の音が聞こえないことでもしかしたら「この人、邪魔だ」と相手を怒らせていることがあると思います。後になって知った時は「私の身に何も起こらなくてよかったな」と安堵しますが、聞こえないことがどういうことなのかについては、おそらく聴者の方が気付きやすいのではないでしょうか。

車を後ろに動かすときに音がするそうですね。大学生になるまで全く知らなかったので衝撃を受けました。

ろう者の方へ肩を叩くことについて、さすがに初対面でいきなり叩かれると驚くと思いますが、視界に入るよう呼んでも気づいていなければ、肩を優しく叩いても問題ないと思います。気配ですが、聞こえない分、敏感なところがあるので近くに寄れば大丈夫だと思いますし、仮に驚かれても「すみません」と一言あれば大丈夫です。


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にいまーるでは日頃より「聴覚障害への理解を広める活動」「手話を広める活動」へ尽力しています.今回のような教育機関での講義や,講演やイベントなどへのご依頼は随時承っておりますので,下記リンクのホームページよりご相談ください.

臼井千恵
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文:吉井大基
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