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「目に見えるもの=確かなものじゃないんだな。」と悟った時、日本の「美」は生まれた。【極私的考察】

私が、日本の「美」を理解するにあたり、突破口を破ってくれた言葉があります。仏教美術史学者である林良一先生が提言された「自然との融合」です。この言葉を手がかりに今回は、日本の「美」という壮大なテーマで、極私的考察を書きます。

「え!?壮大すぎん?」という自分の心の声が聞こえてきます。美術史も哲学も嗜んでいない、一般ピープルがこんな壮大なテーマを書かざるを得ない、自分のこじれ加減に嫌気がさします。
しかしっ!この前提なくして「日本画=日本の心性を体現した超ナイスな表現ツール」というこのnoteの主題が語れませんので…。

目次
1. 日本の風土が育んだ自然への畏敬の念
2. 「何もない」が在る。変化を常とする日本の心性
3. 日本の「美」=自然との融合


1. 日本の風土が育んだ自然への畏敬の念
日本の「美」というと、侘び寂び、もののあわれ、などが上位にランキングされるキーワードではないでしょうか?
これは私の個人的考えですが、これらの美意識はいきなりぽっと誕生したわけではなく、原初的な背景があると感じています。それは「日本の風土に育まれた心の在り方」です。

 主な日本の風土の特徴を挙げてみます。
・海に囲まれた小さな島国
・四季がある
・地震・火山噴火・台風などの自然災害

 時には豊かで多様な恵みをもたらし、時には牙を剥いて猛威を振るう自然。日本の人々の自然への畏敬の念が「自然崇拝(アニミズム)の信仰」となり、「神は山であり、木であり、岩」(※1) として崇められるようになります。そうして自然崇拝は、日本の生活全般の意識基盤になったのでしょう。


2. 「何もない」が在る。変化を常とする日本の心性

そして、自然を神とし、美しいと感じる心が、日本に独特の心の在り方を生みます。

仏教哲学者 鈴木大拙はこう言っています。


「西洋の人は我をかたく持って動かぬ」のに対し、「東洋の人はもとより我がない」、「何もないものを見る」 (※2)。

つまり、変化に富んだ自然に反して、確かなものや安定を求める方向に進んでもおかしくなかっただろうに、その非恒常性を受け入れる。変化と共にあろうとする方向へ発展したわけです。

「カタチは確かなもの。目で見て、触って確かめられる。」という道理が通らない日本の自然。
ある日、自然災害によって、昨日まで見ていた風景が一変してしまう。昨日まであると信じていたものが、予告なく無くなってしまう。
それが日常的に起これば、「あ、目に見えるものは確かなものじゃないんだな。じゃ、ボクは何を確かに信じようか?」と思い巡らす気持ち、分かります。その結果、目に見えないものに、確かさを見出そうとしたのだと想像します。

そういえば、日本には素晴らしい言葉がありますね。

見えぬものこそ(ゲド戦記)。
見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ(金子みすゞ)。

たまりませんね。これは、つまり私の日本的な心に響いてくるから、えも言われず、胸の奥にグッとキュンとセンチメンタルなところを突いてくるんですな。うん、深く理解できます。


古来、日本に住んでいた先人たちは、四季や自然災害で常に移ろう土地で暮らすために、いつ何が起こってもそれを受け入れられる柔軟な状態でいることを選んだ。逆説的ですが、人々の心は「何もない」状態によって、「在る」ことが出来たと言えるのではないでしょうか。

この心性って、とても平坦な言葉ですが「日本的」だなと感じます。個人的には、移ろいやすさへの情緒的感性が、もののあわれや侘び寂びへとつながったのではないかと推察します。

 

3. 日本の「美」=自然との融合
 さらにその心理特性は、美術表現へと現れます。そう、ここで登場です、パワーワード。仏教美術史学者である林良一のこの言葉。

日本の美術の特色は「自然との融合」
日本列島の四季と、豊かな自然の恩恵に浴してきたために「自然の風物に親近感を」持ち、「自然を範とし、自然と融合する造形に終始するのが、伝統的な方法」 になった(※3)。

 この日本の美の思想は他にも、日本を代表する画家である横山大観の「有形の物象をかりてきて無形の霊性を表現するのが日本画」という「気韻生動」の考え(※4) とも一致しています。

そう、美術においても「目に見えないもの」を描くんですね。「見えないもの」は見えないから無い、じゃなくて、見えないけど在る訳です。だから、なんとか、それを、どうにかして、引っ張り出してきて、描こうとする。

こういう部分は、大いにアートセラピーと重なる部分が多いと感じています。
心あるいは自分、という、「在る」のは分かるんだけど、目に見えないもの。それを探求していこうとする動きです。

 古来、日本に暮らす人の思いは「生きていく」ことに集約されていたと思います。この土地で生きるために、どうすればいいか。
その智慧の集約によって、日本的精神が育まれて、美術にも反映された。そうシンプルに考えてみると、私は非常に納得がいきました。これが日本の「美」の根底に流れるルーツ。

なお、ここでは心理、美術、文化史にまたがる全ての情報を記述することはできないので、不足もあるかと思いますが、超私的な見解のメモとして読んでいただければ幸いです。

<引用文献>
※1) 城一夫(2017). 日本の色のルーツを探して, パイインターナショナル

※2)鈴木大拙(1965). 東洋の心, 春秋社

※3)駒沢大学文化10,1987-03,p.73-107, 林良一「日本の美」

※4)細野正信(1987). 流転・横山大観「海山十題」, 日本放送出版協会




ありがとうございます。サポートは、日本画の心理的効果の研究に使わせていただきます。自然物由来の日本画材と、精神道の性質を備える日本画法。これらが融合した日本画はアートセラピーとなり得る、と言う仮説検証の為の研究です(まじめ)。