いわく付き 登波離橋(十針橋)行ってみた。【信州の民話】
長野県安曇野市池田町に登波離橋という名の橋がある。
元々は「十針」の漢字が使われていたこの橋、その由来ともなった民話が想像以上に怖いものだった。信州に言い伝えられる伝説の中でも極めて興味深かったため、実際に行ってみることにした。
登波離橋のいわく
鎌倉時代中期、樋口行時という城主がいた。行時は2人の女性と縁を結んでおり、「ふじ」を正室に、「きよ」を側室に迎えていた。きよは正室であるふじを日頃から恨んでおり、ついにふじの暗殺を目論み、花見を企画する。そして、きよはふじを橋へ誘い、二人で桜を見物しているところで、ふじを突き落とそうとした。
しかし、ふじはきよの計画に気付いていた。ふじは前もって2人の袖を十針ほど縫っていた。つまり、きよを道づれにしようとしていたのだ。ふじときよは袖の繋がったまま、ともに奈落へ落ちていった。
女同士のどろどろした関係性が伺える。何故ふじは暗殺を阻止するのではなく、道づれにしたのかは定かでないが、きよの殺意に気付いてなお受け入れた諦観の念と、それを上回るより深い憎悪を感じざるを得ない。
いざ、登波離橋へ
池田町の県道51号の小道を曲がると、軽い傾斜のついた一本道を上がっていく。看板を頼りに進み、緑色の錆びれた小型バスが右手に見えたかと思うと、急に勾配の激しいつづら折りの山道に突入した。ガードレールも少なく道幅も狭いため危険な香りが漂う。しばらく進むと駐車スペースがあり、そこから歩いてすぐに登波離橋はあった。
橋の全長は想像より短く、道幅も車一台分。車が通った時は欄干の段差へ乗り出して避けることになった。山道を上がって来ただけあってかなりの高さがあり、下を覗くと足がすくんだ。
偶然か否か、橋の近くには藤の花が散見された。ふじの呪いだろうか。少し枯れかけていた。
二本松?
由緒書きにもある通り、ふじときよが落ちて以降、2つの頭を持つ蛇と、2本の幹を持つ松が現れるようになったという。
早速、橋の真隣に二本松らしきものを見つけた。根元を覗くと、やはり下で一本に繋がっている。二つの幹から伸びる枝葉が、十針で繋がった2人の袖のようにも見える。
逆側にも同じような松が自生していた。
二本松(本物)
橋を越えると三叉路があり、「二本松」の看板を見つけた。どうやら橋の松は本物の二本松ではなく、本物はこの先にあるようだ。
急勾配を進むと、もはや車では通ることは出来ない。仮設トイレや人の気配のない民家を脇目に5分ほど歩いていく。「尾崎先生墓」と書かれた墓石がぽつねんと所在していたのが少し気になった。
道すがらにプリムラや釣鐘水仙、ニチニチソウが群生していた。
さらに二又に分かれた道を右に進むと、小さな広場を見つけ、ようやく二本松らしきものを見つけた。
大きな赤松が木柵に囲まれていたが、根元しか残っていない。平成19年に虫の寄生などが問題で伐採されてしまったようだ。周囲はサツキが綺麗に花を咲かせている。
ここは実際に樋口行時が花見を開いた広場らしい。
軽く橋を見物する心積もりだったが、思いのほか楽しんでしまった。少し寒かったが、森は澄んでいて居心地がよく、もう少し何もせずに居座っていても良かったなと思う。
帰りはホトトギスやセンダイムシクイが挨拶をしてくれる中、車のエンジンをつけた。
おまけ
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