ことだまをしんじてる
わたしにとって、文章化してる言葉は自分の内面の鏡みたいなもの。それは、ときには外出先の手鏡だったり、ときには自分の部屋にある鏡台だったり。今は、ひとりの時間にゆっくり、じっくり、確認しなおす鏡台の感じ。
取り留めのない日記も、テーマや意思を持って書いてるものも、基本的には他人へのメッセージというよりは、まずは自分が見返すために書くことの方が多い。
そしてそれをこうやって媒体に残すのは、自分の姿を写真に撮って残すことに近いのかもしれないな。
だから、鏡なんて見る余裕ないときや、写真なんて残したくないくらい、自分の顔である言葉を遠ざけたくなるときもある。
それでも、吐いた言葉を反芻することによって自分を省みたり、「自分の意思で、自分を奮い立たせる目的」で書いてる部分は大きいかもしれない。
鏡に写す自分と、鏡に映る自分。ふたりいる感じ‥。この感覚わかるひといるよね、きっと。
そういうつもりで書くものだから、自己反省したり弱音を吐くことはあっても、誰かや何かを攻撃するようなことは、なるべく、なるべく、書かないようにしてる。
だって、わざわざ怒り狂ってる怖い自分を曝け出してそういう部分を自分で目の当たりにしたら、自分が後々後悔するのが目に見えてるんだもの。
すごく怒って怖い顔をしてる自分の顔が写真に残っちゃう感じというか。え、わたしこんな怖い顔してたの‥?って再確認して自分が凹む。笑
そんなわけで、不満なことがあったときはそれをただ攻撃するのではなくて、なぜ違和感を感じるのかって自分に問いつつ、自分ならどうする?どうしてた?って置き換えて考えるようには心がけてる。
これは相手のためというより、むしろ自分がどういうことに不満や違和感を感じるのかって気付きにもなることで。
それは今後の自分の生き方の戦略を立てるために大事なことだと思ってる。無駄な争いと、必要かつ意味のある争いを、自分の中で見極める基準を作りたいから。
なるべく解決策の考案とか、どうやったら改善するのか、こうしたら多少改善できるかもしれない、ってことまで考えれるといいよね。
自分にとっては言葉は、言霊として自分を励ますものでありたい。他人を攻撃するエネルギーで自分にも呪いがかかっちゃうようなことは、自分のためにしないようにしたいな。
自分が発する言葉は間違いなく自分を写すもので。それが原因で自分を嫌いになっちゃうこともたくさんあるから。
他人のためなんて言えない。自分の身と心を守るために、そうしたいの。