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教育書として読む『言い訳』(ナイツ塙宣之)

 一教員の目線で読んで、考えたこと。


浜辺で食べるカップラーメンは最高においしいですが、宮殿の食堂でカップラーメンを食べてもちっともおいしいとは感じないと思います。

 
 漫才日本一決定戦「M-1」は、今では結成15年目のコンビまでが出ることができる。そのラストイヤー、15年目の決勝で審査員の酷評を浴びたギャロップ(2018年)のネタについて、筆者は上記のようなたとえを使っている。15年目というと、芸人の中でも、中堅からベテランをうかがう時期である。知名度があって、ファンもついて、そのアドバンテージで笑ってもらえる。そのためにネタの作りこみが甘くなる時期だという。



 言葉を教員向けに置き換えてみるとどうだろう。

・校内である程度評判がいい。

・とりあえず、学級や授業が安定する。

・そもそも信頼感があるから、子どもや保護者がついてくる。

・それに甘えて、学級や授業の作りこみが雑になる…。

 そうして気づくと、ベテランになっている。いつの間にか、舞台が浜辺から宮殿に変わっている。私たちは、そのとき、求めに合ったものを差し出せるか。そのための準備が、若手・中堅の時期に必要になるのかもしれない。

(ダウンタウンがクイズ番組で好き勝手やっているのを見て、)
得も言われぬ解放感がありました。間違っていることでも、「ボケ」という括りの中に入れることで、人間はこんなに自由になれるのだ、と。僕は、松本さんを見て、生まれて初めて「許された」と思いました。自分を初めて肯定できたのです。


 筆者は、幼稚園の頃、ウンコを漏らしてしまった。結果、小学校の途中までいじめられることになった。人とあまり話さず、運動も勉強もダメな子だったという。国語のテストで「この登場人物の心情は?」と聞かれると、軽いパニックになる。生活全般に自信を失う状態だった。
 筆者はその後、テレビでドリフを見て衝撃を受けた。そして、そこから発想した「ウンコの歌」をクラスで披露し、人気者へと一発逆転を果たした。加えて、彼の人生に決定的に影響したのは、直後のダウンタウンとの出会いだ。お笑い、特にボケに、「自由」や「許し」を見出せたからである。そして、その結果として、初めて「自己肯定」がなされたからである。


 “間違っていることでも、「ボケ」という括りの中に入れること”

 それは、お笑い芸人にしかできないワザなのだろうか。

 いや、違う。そういう会話は、日常を見渡せばあふれている。

 ならば、それを教室に持ちこむこともできるはずだ。
 

 筆者は、本書を読む限り、自閉傾向が強い(と私は感じた)。しかし、そのこだわり傾向は強みでもある。筆者はこの出会いから30年間、ボケを追求し続けている。(ブログに365日ネタをアップしている。)


 近年、ホリエモン等の著名人にも度々指摘されているように、発達障がいには、プラス面も大いにある。「こだわり」や「多動」は、人生にとってはかけがえの無い成功要素である、とも言える。1つの目標に向かって、粘り強く考え、行動し続ける。だから、ナイツは売れたのだ。

 しかし、筆者が本文に書いている通り、彼らは学校教育の中で自信を喪失しやすい。筆者は自力で、あるいは芸人の力で立ち上がったが、私は教員として学校現場でできることを探したい。

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