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”優しい人”になるには?

「人に優しくしなさい」
「あの人は優しい人だ」


”優しい”は、
とても良い印象を与える言葉だ。

しかしながら、その優しさをはき違えると、それは

「優しさ」ではなく、
むしろ相手をより苦しい状況に追い込みかねない。



例えば、あなたの友人が人間関係で悩んでいたとする。

「あの人には怖くて何も言えない」
とか、
「あの人がどう思っているのか気になる」
とか言った具合だ。

さて”優しい”あなたは、どうするだろうか。


「こうしてみたら」
とアドバイスするかもしれないし、
「そういうこともあるよね」
と共感して話を聞くかもしれない。


もしくは、
「私が直接掛け合ってみようか!」と提案するかもしれない。


その結果、その人の悩みが解決したとする。

あなたはきっと達成感を感じて、「いいことをした」と感じるだろう。
助けてもらった相手は、あなたのことを「優しい人」と感じるだろう。


ここまではまあ良しとして、
また同じ人に同じ問題が出てきた場合、
その人はどういう行動をするだろうか。

おそらく過去の成功体験から、またあなたを頼りにして、
「あの人と直接掛け合ってほしい」となりそうではないだろうか。


ここで問題なのが、
あなたが相手に与えた「優しさ」によって、
相手はあなたに依存し始めるということだ。


そんなことが繰り返されていくうち、
相手はあなたを頼っていろんな頼み事をしてくるかもしれない。

その時にあなたはどう感じるだろうか。


「自分でやれよ」
と思うのか、
「しょうがないなあ、私がいないとだめなんだな」
と思うのか。

ここが大きなポイントになる。


人を頼ったり助けてもらうというのは確かに必要な場面があるが、
そればかりでは人は成長しない。

その時はしのげても、また同じ課題がやってくる。
何回も何回も。
あなたがクリアしない限り。


そして依存が共依存になっていき、

あなたの存在意義は”その人がいなければならない”ことになる。
相手もあなたが”いなければならなく”なる。


これははたして、
理想的な人間関係といえるのだろうか。


僕はそう思わない。

基本的に人は自立・自律していることが理想だし、
自分の課題や生き方や選択は、自分で引き受けるものだと思う。

でも前述のような場面は、自分もよく出くわす。
そしてうまくいかなかった時に限って、「人のせいにする」のだ。

結局みんな責任は少ないほうが楽だし、
人のせいにしてるほうが楽だ。


でもこれだと、人生という時間をかけた堂々巡りにしかならない。


どこかで自分の選択は自分で引き受けていかないと、
何も進まず、ただ愚痴をこぼすだけの人生になる。


本当の優しさは、
「してあげること」
「与えること」
「やってあげること」

だけではなく、

時に
「見守る」
「答えを提示しない」
「あえて距離をとる」

ことも含まれると思う。



僕たちがやろうとしている「優しさ」は、

・「嫌われたくない、好かれたい」から来るもの

・やってあげることによって自分の存在意義を見出す

ものになっている時はないだろうか。


親が子どもにすぐ答えを提示したり、助けたり、
「自分でやったほうが早いから」となんでもやったり。

先進国が新興国に過剰な援助、開発をやっていたり、

DV夫と別れることができなかったり。


そうなると
依存を生み、相手は過度に頼るようになる。

それに全力で答えると、自分の身を崩し、
結果的にお互いが崩壊することにつながる。

はき違えた「優しさ」が起点となって。



人は一人では生きていけない。

それは事実であり、他者との関係によって、
僕たちは存在できている。


しかしそれはあくまで自立・自律して初めて表現できる言葉であって、

人のせいにしていたり、
誰かの選択を受け売りでやっていたりしていると感じたら、

その時がチャンスだ。


また一歩、自分を高めるタイミング。



そうして生きていけるほうが、社会も自分も健康的になると思うのだ。












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